36 / 54
5章 きぼう
5-6
しおりを挟む
8月のぬるい夜風は、俺たちの髪を簡単に乾かした。
15分ほどで部屋に戻ると、3人はみんなそれぞれ、スマホをいじってダラダラしていた。
チャボが目線を上げて尋ねる。
「おかえりー。変態来なかった?」
「来ない来ない。気遣ってくれてありがとう」
「何だ、達紀はいやに機嫌が良さそうじゃないか」
鼻歌を歌う達紀に、アーサーが話しかける。
達紀はちょっと目を細めて笑った。
「ちょっと外を散歩してたら、良いメロディが浮かんだから、忘れないように歌ってた」
達紀はギターとスマホを取り出し、アンプなしのチャカチャカしたコードを弾きながら、生まれたての歌をスマホに吹き込む。
ゲームをしていた基也が顔を上げ、達紀の手元を見た。
「いいね、ジャズっぽさあって」
「ちょっと意識した。それか、誰かキーボードのサポートを連れてきて、シティポップ風にしてもいいかなとも思ってる」
俺にはよく分からない会話だ。
けど、湖を眺めながら急にピコーンと思いついた達紀は可愛かったし、いつも無気力な基也も、音楽の話をしているときだけは目の奥に熱を宿している感じがして、かっこいいなと思う。
少しうらやましかった。
もちろん俺も、仲間に入れてもらえて、こんな風に一緒に練習して、自分なりに成長も感じるし充実感もある。
けど、やっぱりまだ、音楽を自分のものにはしきれていなくて、どういう風にしたいみたいな主体性もない。
「ねえ、みんなはプロになるの?」
俺が尋ねると、いすにダラッと座っていたチャボが、コーラのペットボトルを開けながらニヤッと笑った。
「おれはマイクと結婚してマイクと共に死ぬ」
「何それ? プロになるってこと?」
「うーん。具体的には考えてねーけど、まあ、形はどうあれ音楽はやるんじゃないかなあ。歌ってないとこがあんま想像できねーし」
チャボのフランクな感じは、熱く『プロになる!』とか言うよりも、音楽を愛しているように見えるし、一生歌っていそうな感じがする。
アーサーはどうかと尋ねると、腕組みをして、意外なことを言った。
「俺はライブハウスを作るのが夢だ。というわけで、大学は経営学部にいく。軽音サークルが有名なところがいいな。そしてゆくゆくは、基也を養う」
「養う!?」
びっくりして見ると、基也は涼しげな顔で言った。
「養われるつもりはないんだけど。オレ、裏方志望だから、音響の専門に行くことに決めてるんだよね。アーサーが日本一のライブハウスを作るって言ってるから、できたら雇われようかなと思ってるだけ」
なんだか、すごい信頼関係があるんだろうというのは感じ取った。
「達紀は?」
マートムの曲は、主に達紀が作っている。
もしかしたら、プロになるつもりなのかも知れない。
……と思ったけど、その答えは意外なものだった。
「普通に大学に進学するよ」
「え? ギターは?」
「趣味としては続けるだろうけど、僕はプレイヤーにはなれない」
あっさりそう言って微笑んだ。
正直、もったいないと思う。しかし達紀は、すらすらと続けた。
「僕は、音楽を提供する側の仕事がしたいんだよね。レコード会社とか、販売や配信サービス関係でもいいけど。とにかく、誰かの作った音楽を人に届ける仕事がしたい。なるべく大手がいいな、たくさんの人に関われるから」
達紀は優秀だし、しっかり有名大学に入って、誰もが知る音楽関係の大企業に、優秀な新入社員として入るだろうと思う。
「なんか、みんなすごいな。俺、なんにも考えてないや。当たり前に、偏差値で選んだ大学に行くと思ってたから」
夢と呼べるようなものは、何もない。
別に、全員が持ってなくちゃいけないわけでもないと思うけど、素直に、目標があることがうらやましいなと思う。
達紀は、俺に向かってにこっと笑った。
「僕は、偏差値で選んだ学校でも全然いいと思うよ。ていうか、生きてさえいればいい気がする」
「そうかな。俺、みんなみたいにやること決めてないの、ちょっと恥ずかしい」
「いやいや。生きてれば、何か希望が湧く瞬間があると思う」
――希望
考えたこともなかった。
けれど、達紀の口から発せられたそれは、確かに俺の中に小さな種を植えつけた。
発芽するのか、腐ってしまうのか、どんな植物なのか、花は咲くのか――未来のことは何も分からないけれど。
「……うん、そうかも。なんかいま、人生ではじめて、夢中でやってて楽しいことしてるし。ギター」
それと、達紀。
心の中で付け足した、その時。
「うわあっ!」
後ろを通り抜けようとしたチャボが、俺の布団に思いっきりコーラをこぼした。
「やべやべやべ!」
「バカかお前は!」
アーサーが叫ぶと、基也が呆れ顔で、机の上に置いてあった箱ティッシュを投げた。
達紀はザッザッとティッシュを何枚も出して、「あーあ」とかなんとか言いながら強めに拭いている。
呆然とする俺。
ややあって、大笑いし始めた。
なんだかもう……泣けるくらい。
ひーひー言いながらなんとか立ち直ると、めちゃくちゃな4人を見て、本当にうれしくなっちゃって。
涙がにじんだのは、笑いすぎということにする。
チャボは、心底申し訳なさそうに顔の前で手を合わせた。
「あおちゃん、マジでごめーん。おれ畳で寝るから、こっち使って?」
「体痛くなっちゃうよ」
「でもあおちゃんを畳に寝かせるわけにはいかないしなー。一緒に寝る?」
そう言ってチャボは、ペンペンと布団を叩く。
しかし、アーサーが即座に却下した。
「ダメだ。チャボはむちゃくちゃ寝相が悪い。蹴り飛ばされるぞ」
「でもアーサーはデカいから無理じゃん? 基也は神経質だから人と同じ布団なんて絶対無理だろ?」
「一睡もできないと思う」
みんなの視線が達紀に集まる。
達紀は、穏やかな顔でこくっと首をかしげた。
「一緒に寝る?」
「う、うん……じゃあ、お言葉に甘えて」
感動から一転、妙なことになった。
15分ほどで部屋に戻ると、3人はみんなそれぞれ、スマホをいじってダラダラしていた。
チャボが目線を上げて尋ねる。
「おかえりー。変態来なかった?」
「来ない来ない。気遣ってくれてありがとう」
「何だ、達紀はいやに機嫌が良さそうじゃないか」
鼻歌を歌う達紀に、アーサーが話しかける。
達紀はちょっと目を細めて笑った。
「ちょっと外を散歩してたら、良いメロディが浮かんだから、忘れないように歌ってた」
達紀はギターとスマホを取り出し、アンプなしのチャカチャカしたコードを弾きながら、生まれたての歌をスマホに吹き込む。
ゲームをしていた基也が顔を上げ、達紀の手元を見た。
「いいね、ジャズっぽさあって」
「ちょっと意識した。それか、誰かキーボードのサポートを連れてきて、シティポップ風にしてもいいかなとも思ってる」
俺にはよく分からない会話だ。
けど、湖を眺めながら急にピコーンと思いついた達紀は可愛かったし、いつも無気力な基也も、音楽の話をしているときだけは目の奥に熱を宿している感じがして、かっこいいなと思う。
少しうらやましかった。
もちろん俺も、仲間に入れてもらえて、こんな風に一緒に練習して、自分なりに成長も感じるし充実感もある。
けど、やっぱりまだ、音楽を自分のものにはしきれていなくて、どういう風にしたいみたいな主体性もない。
「ねえ、みんなはプロになるの?」
俺が尋ねると、いすにダラッと座っていたチャボが、コーラのペットボトルを開けながらニヤッと笑った。
「おれはマイクと結婚してマイクと共に死ぬ」
「何それ? プロになるってこと?」
「うーん。具体的には考えてねーけど、まあ、形はどうあれ音楽はやるんじゃないかなあ。歌ってないとこがあんま想像できねーし」
チャボのフランクな感じは、熱く『プロになる!』とか言うよりも、音楽を愛しているように見えるし、一生歌っていそうな感じがする。
アーサーはどうかと尋ねると、腕組みをして、意外なことを言った。
「俺はライブハウスを作るのが夢だ。というわけで、大学は経営学部にいく。軽音サークルが有名なところがいいな。そしてゆくゆくは、基也を養う」
「養う!?」
びっくりして見ると、基也は涼しげな顔で言った。
「養われるつもりはないんだけど。オレ、裏方志望だから、音響の専門に行くことに決めてるんだよね。アーサーが日本一のライブハウスを作るって言ってるから、できたら雇われようかなと思ってるだけ」
なんだか、すごい信頼関係があるんだろうというのは感じ取った。
「達紀は?」
マートムの曲は、主に達紀が作っている。
もしかしたら、プロになるつもりなのかも知れない。
……と思ったけど、その答えは意外なものだった。
「普通に大学に進学するよ」
「え? ギターは?」
「趣味としては続けるだろうけど、僕はプレイヤーにはなれない」
あっさりそう言って微笑んだ。
正直、もったいないと思う。しかし達紀は、すらすらと続けた。
「僕は、音楽を提供する側の仕事がしたいんだよね。レコード会社とか、販売や配信サービス関係でもいいけど。とにかく、誰かの作った音楽を人に届ける仕事がしたい。なるべく大手がいいな、たくさんの人に関われるから」
達紀は優秀だし、しっかり有名大学に入って、誰もが知る音楽関係の大企業に、優秀な新入社員として入るだろうと思う。
「なんか、みんなすごいな。俺、なんにも考えてないや。当たり前に、偏差値で選んだ大学に行くと思ってたから」
夢と呼べるようなものは、何もない。
別に、全員が持ってなくちゃいけないわけでもないと思うけど、素直に、目標があることがうらやましいなと思う。
達紀は、俺に向かってにこっと笑った。
「僕は、偏差値で選んだ学校でも全然いいと思うよ。ていうか、生きてさえいればいい気がする」
「そうかな。俺、みんなみたいにやること決めてないの、ちょっと恥ずかしい」
「いやいや。生きてれば、何か希望が湧く瞬間があると思う」
――希望
考えたこともなかった。
けれど、達紀の口から発せられたそれは、確かに俺の中に小さな種を植えつけた。
発芽するのか、腐ってしまうのか、どんな植物なのか、花は咲くのか――未来のことは何も分からないけれど。
「……うん、そうかも。なんかいま、人生ではじめて、夢中でやってて楽しいことしてるし。ギター」
それと、達紀。
心の中で付け足した、その時。
「うわあっ!」
後ろを通り抜けようとしたチャボが、俺の布団に思いっきりコーラをこぼした。
「やべやべやべ!」
「バカかお前は!」
アーサーが叫ぶと、基也が呆れ顔で、机の上に置いてあった箱ティッシュを投げた。
達紀はザッザッとティッシュを何枚も出して、「あーあ」とかなんとか言いながら強めに拭いている。
呆然とする俺。
ややあって、大笑いし始めた。
なんだかもう……泣けるくらい。
ひーひー言いながらなんとか立ち直ると、めちゃくちゃな4人を見て、本当にうれしくなっちゃって。
涙がにじんだのは、笑いすぎということにする。
チャボは、心底申し訳なさそうに顔の前で手を合わせた。
「あおちゃん、マジでごめーん。おれ畳で寝るから、こっち使って?」
「体痛くなっちゃうよ」
「でもあおちゃんを畳に寝かせるわけにはいかないしなー。一緒に寝る?」
そう言ってチャボは、ペンペンと布団を叩く。
しかし、アーサーが即座に却下した。
「ダメだ。チャボはむちゃくちゃ寝相が悪い。蹴り飛ばされるぞ」
「でもアーサーはデカいから無理じゃん? 基也は神経質だから人と同じ布団なんて絶対無理だろ?」
「一睡もできないと思う」
みんなの視線が達紀に集まる。
達紀は、穏やかな顔でこくっと首をかしげた。
「一緒に寝る?」
「う、うん……じゃあ、お言葉に甘えて」
感動から一転、妙なことになった。
2
あなたにおすすめの小説
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる
結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。
冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。
憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。
【完結済】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている
キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。
今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。
魔法と剣が支配するリオセルト大陸。
平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。
過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。
すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。
――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。
切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。
全8話
お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /c
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる