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「あっ! 部長!」
冬樹が手を挙げて答え、「どうやった?」と尋ねた。
「残念ながら見当たりませんでした。別れ道も無いですし、藪も崖も多いんで、他の道へ行ったとは思えません」
「こっちもや。──虎島方面やな」
「ホンマ、勘弁してほしいです……」と、首を振る春平。
「急ごら、もう昼過ぎや」
「そうですね…… 最終便も無くなってまうでしょうし」
「はい、これ」
春平が、差しだされていたゼリー状の携帯食品を受けとる。
「なんです? これ」
「昼飯や、昼飯」
「ああ……」
「行くで」
春平は飲み口のノズルから、中身のゼリーをチュウチュウ吸いあげながら歩きだした。
冬樹が手に持っていたパンフレットを広げ、二八番のところで二手に分かれようと提案した。
春平は虫が大量にわいていそうな池を避けるため、虎島方面の道を行きますと伝えた。
「ええんか? 険しいし長いで?」
「構いません」
──虫に出会う方が何倍も疲れる。
春平は心の中でそう付けたしていした。
しばらくして、二八番の立て札が見えてくる。
冬樹と別れた春平が、虎島と言う島へ向かうための山道を登っていった。
地図上では平坦に見えるが、実際はかなりデコボコの多い道で、しかも道幅が狭い。
島の道はいずれも、旧日本軍が舗装した道らしいが、ここのは風化が激しいのか、未舗装の砂利道みたいになっている。
春平がヒィヒィ言いながら、飲料水を飲もうとする。──ペットボトルを縦に振るが、一滴も出てこない。
舌打ちした春平は、ボトルをポケットへ仕舞ってから深呼吸して、先へ進もうと前を見据えた。
すると、妙な樹木が目に留まる。
その樹木は、妙に明るい色を露出させていて、よくよく見ると、折れた枝が毛羽立っているらしかった。
春平がその木に近付く。やけに近くの地面が掘れていることに気付いた。
嫌な予感がしたから、落ちないように気を付けながら下を覗く。
――血の気が引いた。
夏美が、体の前にある松の木にしがみついているのか引っかかっているのか、とにかく、そこにいた。
「あんのアホ……! だから言うたやろ……!」
そう言って、春平が夏美の名前を叫んで呼びかけるが、一向に動かない。
よくよく見ると、松の木が水平に近い形で生えていて、そのために根っこ周辺の土が盛りあがり、平地のようになっている。だから、夏美が落ちずに済んでいるらしかった。
春平は、彼女が身動きを取らなければ落ちることは無いと思いつつ、
「待て待て、落ちつけ……」と、自分に言い聞かせた。「まず連絡や……」
ポケットから乱雑に携帯端末を取りだした春平が、冬樹へ電話を掛けた。
『見つけたか?』
「大変ですッ! あのアホ、崖から落ちてますッ!」
『ホンマに夏美ちゃんなんか?』
「間違いないですよッ! ただ、途中にある松の根っこに引っ掛かってるみたいで、落ちきってはないです……!」
『絶対に下りるなよ? ええな? 絶対やからな? 振りちゃうぞ?』
「アホなこと言うてやんと、早う来てください部長ッ!」
『待ってて、もう向かってるから』
風を切る音と共に、冬樹が声を弾ませていた。
数分後、走ってきた冬樹と合流する。
「どんな状況なん?」
リュックを下ろしながら冬樹が言った。
「さっき呼びかけたら、少し動いてました。ただ、ちゃんとした返事はまだです」
「大きな外傷は無さそうやけど……」
ナイロンの野外活動用ロープを手に、下を覗きこんだ冬樹が言った。
「よう見えますね……」
「それだけが取り柄やさけな」
「てか部長、そんなロープどこで手に入れたんです?」
「釣り具屋さん」
「え?」
「春平君に上げた昼食のついでに、置いてあったの見つけて買ったんや。備えあればなんとやらって言うやろ?」
それで船に乗る時間を遅らせたのかと、感心するやら、あきれるやらの春平を余所に、太めの木へロープを巻いた冬樹が、
「足るかなぁ……」
と言いながら、ロープを下ろす。
「良かった、なんとか足るみたいやな」
「僕が行ってもええですか?」
「えっ? 春平君が?」
冬樹がロープを手繰りながら訊き返すと、春平は冬樹のリュックの網ポケットに入っていたペットボトルを抜きだし、
「これ、持っていってもええですか?」と言いつつ、自分が持っていたからっぽの容器と交換していた。
「ちょっと待ちなぁ」
そう言って、今度は冬樹がリュックを漁り始めた。そうして中から、タオルと軍手を取り出し、春平へ手渡した。
「えらい色々と入ってるんですね」と、目を細める春平。
「傷の手当ては引きあげてからにしよら。重傷っぽいなら、レスキューに連絡せんとな。
とにかく安否確認したら、一旦ここへ戻ってきて。頼むで春平君、くれぐれも慎重にな」
うなずいた春平がロープを腰に回す。
冬樹は右手の土壁の上にある、幹の太い木を選んでロープを結んだ。
「ほな、行きます」
「慎重にやで、春平君」
軍手を着けた冬樹がロープをつかむ。同じく軍手を填めた春平が、ロープに捕まりながら急勾配の崖を下りていった。
春平が斜面を滑って移動するたび、土煙と小石が夏美の近くを通過した。反応は今のところ無い。
やはり彼女は、松の木に引っ掛かっているわけでも、しがみついているわけでもなく、盛りあがった根っこ周辺の土に着地しているような格好で、座り込んでいた。
春平も平らになっている松の木の近くに、足裏をしっかりと接地させる。
見たところ、ひどい怪我は無さそうだった。すり傷も見た限りは無い。どうやってほぼ無傷を保ったのか分からないが、とにかく九死に一生の中でも奇跡的な方だろうと、春平は思った。
彼は、三角座りみたいな格好でジッとしている夏美へ近寄り、体をゆすった。
夏美がゆっくり目を開ける……
「追いかけっこは、もうやめよら」春平が言った。「お前も自分の体に傷なんか付けられたら嫌やろ? 秋恵は絶対に嫌なはずや。借りてるって自覚あるんやったら大人しく一緒に来てくれ。まずは秋恵に事情を説明してほしんや。
何かすんのは、そのあとでもええんとちゃうか? 僕も話、訊きたいし」
こう言ってから、春平は徐々に自分の発言に違和感を覚えはじめた。
散々、手こずらせた挙げ句、こんな大事を起こした夏美に文句を言ってやろうと思って下りてきたのに…… それが結局、停戦協定を呼びかけるような言葉になっている。
夏美はと言うと、返事もせずに虚ろな目で見返していた。これでは続けて本音を言えない……
「お~い! 大丈夫か~?」
上にいる冬樹が声を掛けてきた。春平は上体を捻り、手を挙げて答えた。
「とりあえず、コレ飲みな」
夏美の方へ向きなおした春平が、尻ポケットからペットボトルを抜きだした。そして夏美の上体を起こして、飲み口を彼女の唇に当てた。
「どんな理由があるにせよ、他人の体で好き勝手すんのも大概にせぇ」
ようやく言いたかったことを少し言えた。
「別に──」
夏美が何か言う前に、春平がペットボトルを傾けて水を流しこんだ。
「──やめてよ!」
咳こみながら春平の手を払う夏美。
「ちょっと待ってて」
春平は無視するように言って立ちあがり、冬樹へ「あがります!」と告げた。
そしてロープを手繰りながらあがっていく。間も無く、平地にたどり着いた。
「フゥ……」
「何を言うたんや?」
冬樹が苦笑いながら言うと、春平は腰に回したロープをほどきながら、至って普通に、
「停戦協定です」
と言った。すると、冬樹が吹き笑いした。
「あの声からすると、交渉は決裂なんか?」
「決裂も何も、秋恵に会うてもらって、話をしてもらいます。それだけは絶対です」
「僕も大賛成や」
そう言って、冬樹が手繰り終えたロープを持って、崖へ近付いた。
冬樹が手を挙げて答え、「どうやった?」と尋ねた。
「残念ながら見当たりませんでした。別れ道も無いですし、藪も崖も多いんで、他の道へ行ったとは思えません」
「こっちもや。──虎島方面やな」
「ホンマ、勘弁してほしいです……」と、首を振る春平。
「急ごら、もう昼過ぎや」
「そうですね…… 最終便も無くなってまうでしょうし」
「はい、これ」
春平が、差しだされていたゼリー状の携帯食品を受けとる。
「なんです? これ」
「昼飯や、昼飯」
「ああ……」
「行くで」
春平は飲み口のノズルから、中身のゼリーをチュウチュウ吸いあげながら歩きだした。
冬樹が手に持っていたパンフレットを広げ、二八番のところで二手に分かれようと提案した。
春平は虫が大量にわいていそうな池を避けるため、虎島方面の道を行きますと伝えた。
「ええんか? 険しいし長いで?」
「構いません」
──虫に出会う方が何倍も疲れる。
春平は心の中でそう付けたしていした。
しばらくして、二八番の立て札が見えてくる。
冬樹と別れた春平が、虎島と言う島へ向かうための山道を登っていった。
地図上では平坦に見えるが、実際はかなりデコボコの多い道で、しかも道幅が狭い。
島の道はいずれも、旧日本軍が舗装した道らしいが、ここのは風化が激しいのか、未舗装の砂利道みたいになっている。
春平がヒィヒィ言いながら、飲料水を飲もうとする。──ペットボトルを縦に振るが、一滴も出てこない。
舌打ちした春平は、ボトルをポケットへ仕舞ってから深呼吸して、先へ進もうと前を見据えた。
すると、妙な樹木が目に留まる。
その樹木は、妙に明るい色を露出させていて、よくよく見ると、折れた枝が毛羽立っているらしかった。
春平がその木に近付く。やけに近くの地面が掘れていることに気付いた。
嫌な予感がしたから、落ちないように気を付けながら下を覗く。
――血の気が引いた。
夏美が、体の前にある松の木にしがみついているのか引っかかっているのか、とにかく、そこにいた。
「あんのアホ……! だから言うたやろ……!」
そう言って、春平が夏美の名前を叫んで呼びかけるが、一向に動かない。
よくよく見ると、松の木が水平に近い形で生えていて、そのために根っこ周辺の土が盛りあがり、平地のようになっている。だから、夏美が落ちずに済んでいるらしかった。
春平は、彼女が身動きを取らなければ落ちることは無いと思いつつ、
「待て待て、落ちつけ……」と、自分に言い聞かせた。「まず連絡や……」
ポケットから乱雑に携帯端末を取りだした春平が、冬樹へ電話を掛けた。
『見つけたか?』
「大変ですッ! あのアホ、崖から落ちてますッ!」
『ホンマに夏美ちゃんなんか?』
「間違いないですよッ! ただ、途中にある松の根っこに引っ掛かってるみたいで、落ちきってはないです……!」
『絶対に下りるなよ? ええな? 絶対やからな? 振りちゃうぞ?』
「アホなこと言うてやんと、早う来てください部長ッ!」
『待ってて、もう向かってるから』
風を切る音と共に、冬樹が声を弾ませていた。
数分後、走ってきた冬樹と合流する。
「どんな状況なん?」
リュックを下ろしながら冬樹が言った。
「さっき呼びかけたら、少し動いてました。ただ、ちゃんとした返事はまだです」
「大きな外傷は無さそうやけど……」
ナイロンの野外活動用ロープを手に、下を覗きこんだ冬樹が言った。
「よう見えますね……」
「それだけが取り柄やさけな」
「てか部長、そんなロープどこで手に入れたんです?」
「釣り具屋さん」
「え?」
「春平君に上げた昼食のついでに、置いてあったの見つけて買ったんや。備えあればなんとやらって言うやろ?」
それで船に乗る時間を遅らせたのかと、感心するやら、あきれるやらの春平を余所に、太めの木へロープを巻いた冬樹が、
「足るかなぁ……」
と言いながら、ロープを下ろす。
「良かった、なんとか足るみたいやな」
「僕が行ってもええですか?」
「えっ? 春平君が?」
冬樹がロープを手繰りながら訊き返すと、春平は冬樹のリュックの網ポケットに入っていたペットボトルを抜きだし、
「これ、持っていってもええですか?」と言いつつ、自分が持っていたからっぽの容器と交換していた。
「ちょっと待ちなぁ」
そう言って、今度は冬樹がリュックを漁り始めた。そうして中から、タオルと軍手を取り出し、春平へ手渡した。
「えらい色々と入ってるんですね」と、目を細める春平。
「傷の手当ては引きあげてからにしよら。重傷っぽいなら、レスキューに連絡せんとな。
とにかく安否確認したら、一旦ここへ戻ってきて。頼むで春平君、くれぐれも慎重にな」
うなずいた春平がロープを腰に回す。
冬樹は右手の土壁の上にある、幹の太い木を選んでロープを結んだ。
「ほな、行きます」
「慎重にやで、春平君」
軍手を着けた冬樹がロープをつかむ。同じく軍手を填めた春平が、ロープに捕まりながら急勾配の崖を下りていった。
春平が斜面を滑って移動するたび、土煙と小石が夏美の近くを通過した。反応は今のところ無い。
やはり彼女は、松の木に引っ掛かっているわけでも、しがみついているわけでもなく、盛りあがった根っこ周辺の土に着地しているような格好で、座り込んでいた。
春平も平らになっている松の木の近くに、足裏をしっかりと接地させる。
見たところ、ひどい怪我は無さそうだった。すり傷も見た限りは無い。どうやってほぼ無傷を保ったのか分からないが、とにかく九死に一生の中でも奇跡的な方だろうと、春平は思った。
彼は、三角座りみたいな格好でジッとしている夏美へ近寄り、体をゆすった。
夏美がゆっくり目を開ける……
「追いかけっこは、もうやめよら」春平が言った。「お前も自分の体に傷なんか付けられたら嫌やろ? 秋恵は絶対に嫌なはずや。借りてるって自覚あるんやったら大人しく一緒に来てくれ。まずは秋恵に事情を説明してほしんや。
何かすんのは、そのあとでもええんとちゃうか? 僕も話、訊きたいし」
こう言ってから、春平は徐々に自分の発言に違和感を覚えはじめた。
散々、手こずらせた挙げ句、こんな大事を起こした夏美に文句を言ってやろうと思って下りてきたのに…… それが結局、停戦協定を呼びかけるような言葉になっている。
夏美はと言うと、返事もせずに虚ろな目で見返していた。これでは続けて本音を言えない……
「お~い! 大丈夫か~?」
上にいる冬樹が声を掛けてきた。春平は上体を捻り、手を挙げて答えた。
「とりあえず、コレ飲みな」
夏美の方へ向きなおした春平が、尻ポケットからペットボトルを抜きだした。そして夏美の上体を起こして、飲み口を彼女の唇に当てた。
「どんな理由があるにせよ、他人の体で好き勝手すんのも大概にせぇ」
ようやく言いたかったことを少し言えた。
「別に──」
夏美が何か言う前に、春平がペットボトルを傾けて水を流しこんだ。
「──やめてよ!」
咳こみながら春平の手を払う夏美。
「ちょっと待ってて」
春平は無視するように言って立ちあがり、冬樹へ「あがります!」と告げた。
そしてロープを手繰りながらあがっていく。間も無く、平地にたどり着いた。
「フゥ……」
「何を言うたんや?」
冬樹が苦笑いながら言うと、春平は腰に回したロープをほどきながら、至って普通に、
「停戦協定です」
と言った。すると、冬樹が吹き笑いした。
「あの声からすると、交渉は決裂なんか?」
「決裂も何も、秋恵に会うてもらって、話をしてもらいます。それだけは絶対です」
「僕も大賛成や」
そう言って、冬樹が手繰り終えたロープを持って、崖へ近付いた。
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