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「お~いッ!!」

 春平が、崖下にいる夏美へ呼び掛けた。

「そのロープ、体に何回かまわしてくくりつけるんやァ~! 輪っかにひも通して、左右に引っ張れば固定できるからァ~!」

 夏美がロープをつかむのが見えた。しかし、それをじっと見つめているだけで、一向に体へ巻こうとしない。
 ちゅうちょしているようにも見える。

「おぉ~いぃッ!!」

 春平が強く呼びかけると、ようやく夏美が、ロープを体に巻き始めた。

「なんとか巻いてくれたな」と、ロープをつかむ冬樹。
「巻きおえたな~! 今から引きあげるから、しっかり持っとけよ~! ええな~!?」
「早く引きあげて……!」

 夏美が後ろを見げながら言ってきた。

「お嬢様を待たせたらアカンで、春平君」
「悪い冗談ですわ、それ……」

 こうして春平と冬樹が声を合わせつつ、夏美の体を引きあげていった。
 しばらくすると、夏美がロープをたどり始める。
 途中、覚束おぼつかない動きに肝を冷やす場面もあったが、なんとか崖を登りきった。

「よっしゃ! よう頑張ったな!」

 彼女を引きあげた冬樹が、四つんばいになって息を切らせる夏美に言って、リュックから消毒液を取りだす。

「それも釣り屋さんで?」
「これは自前」

 そう言って夏美に応急処置した冬樹は、消毒液をリュックへ仕舞ってから、それを背負って立ちあがった。

「夏美ちゃん、疲れてるところ悪いんやけど急ごら。帰れやんようになってまうさけ」
「もう歩くの……?」

「残念やけど、ごうとくやわ。
 あのとき一緒にさん橋へ行ってたら、こないな目にあうことも無かったんやからね」

 夏美がくちびるをとがらせ、不服そうに横目となった。

「ほら、はよう立ってくれ」

 そう言った春平が、夏美の手を取って強引に引っ張りあげた。



 三人は途中、みなみたるキャンプ場で一〇分ほど休憩を取ってから、うら桟橋に戻ってくる。

 また逃げだすんじゃないかと気をもんでいた春平だったが、観念したのか、もう動けないのか、逃げる気配は一向に無かった。

 野奈浦付近にある『旅館 ともそう』の近くにベンチがあったから、三人はそこへ崩れるように座りこむ。
 少ししてから、冬樹が飲み物を買ってくると言って、友ヶ荘の前にある自動販売機へと向かった。

「う~ん……」と、ひたいを押さえる夏美。「なんだか頭が痛い……」
「ほんま、自業自得やわ」と春平。
「シュンちゃんが鬼みたいな形相ぎょうそうで追いかけてくるんだもん……」
「人の話、聞かずに逃げようとするからやろ」

「体を返せってれんして、こっちの話なんか聞く耳持たなかったクセに……」
「お前が思わせぶりに話てくるんが悪い」
「全部、私のせいにしないでよ……! シュンちゃんだって半分以上、悪い!」
「じゃあ、半分くらいは確実にお前が悪い」
「お相子あいこよ、お相子あいこ……!」

「何がお相子あいこや。
 マユちゃんのこともしかり、夏美おばあちゃんのこともしかり。僕を挑発してるようにしか思えやん」
「挑発なんかしてないもん。私が知ってる人を挙げてるだけだもん」
「じゃあ、オッちゃんとかオバちゃん、おじいちゃんとかでもええやろ。なんでよりにもよって……」

「シュンちゃんと話をしてたら、こう、思いだしたから」
「お前のこと夏美って言うの、正直イヤやねん」
「おばあちゃんのこと、呼びすてになっちゃうもんね」
「それ知ってて呼ばせてるんか?」

「部長さん…… だっけ? あの人がそう呼ぶから、そうなったんじゃないの?」
「じゃあ、他の名前でもええやろ」
「夏美ってやっぱり好きな名前だし、これがいい」
「お前なぁ……! 結局、呼ばせたいんかい……!」

「怒らないでよ。夏美おばあちゃんと私は違うんだから…… 異姓同名だと思えばいいじゃない」
「そもそもお前、人形なんやろ? なんで思いだすとか、そういうこと起こるねん」
「今は人形じゃないもん」

 春平はため息をついてから、「せやな」と、ほおづえをついた。

「秋恵に取りついたあくりょうやし」
「悪霊でも無い!」

 突然、二人のほおに冷たいペットボトルがくっ付く。それでビックリした二人が、互いの肩をぶつけ合った。

「痛いよシュンちゃん……!」
「ぶ、部長ッ!」と、後ろを見やった。「気配、消すのやめてくださいって言うてるでしょう!」
「心外やなぁ…… 熱心に話しとるから、気ぃ付いてもらおうと思ってやっただけやんか。──いらんの?」

 春平は釈然としない気持ちを抱えたまま、「いただきます……」と答え、受けとった。

「夏美ちゃんもどうぞ」
「あ…… ありがとう」

 夏美がペットボトルを受けとると、きょろきょろ、ボトルを観察しだす。

「これ、どうやってあけるの?」

 春平が横から夏美のペットボトルを取りあげ、キャップをひねってから返した。

「へ~。なんか、変わった入れ物だね」
「前にもあけ方、部長が見せたと思うけど…… 忘れたんか?」
「そうだっけ?」

 春平がまたためいきをついた。どこかの誰かと言い草が似ていたからだ。

「もうちょい時間あるな」

 冬樹がそう言って、春平のとなりに座った。そうして夏美の方を見やって、

「ほな、質問の続きええかな?」と言った。
「質問……?」
「何か目的あるんやろ? どうしても、やっておきたいことがあるって言うてたやん。それが終わったら返すって」

「あぁ…… そんなこと言ったね」
うそなんか?」
「シュンちゃんと違うから、それは無い」

「この……!」と、春平がにらんだ。しかしすぐに「まぁええわ」と前を向いた。
うそちゃうんやったら、別にええ」
「──で、なんの未練があって、この世にとどまってんのかな?」

 冬樹がすかさず言った。

「幽霊なんかと一緒にしないでよ……」
「同じようなもんやろ」と春平。
「違う」
「同じや」
「春平君」

 冬樹が無理やり、割りこんだ。

「夏美ちゃんも反省しとるんやし、そろそろ突っ掛かるのやめたらどうや?」

 反省しているように見せているだけだ…… 春平はそう考えていた。だから、そっぽを向いて拒否の姿勢を示した。

「子供か、お前は……」と、あきれ笑う冬樹。
「シュンちゃんだとお話にならないから、私、あなたと話がしたい」

 おかんむりの夏美が言った。
 冬樹は頭をかきながら、

「なんか、両親の苦労が分かった気ぃする……」

 と、つぶやいた。
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