兵法者ハンベエの物語

市橋千九郎

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四十七 悪女を口説く悪い奴

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 二日も経つと、ハンベエとモルフィネスの一件はすっかりタゴロローム守備軍全体に広がった。
 第五連隊の士気は大いに上がり、他の連隊では守備軍本部への不信感が広がっていた。いやいや、策士ハンベエ面目躍如。知略の覚醒は本物か?
 守備軍本部の一室では、事の顛末を知った将軍バンケルクが、モルフィネスを叱責していた。そんな事は、モルフィネスが参謀に就任してから初めての事であった。
「モルフィネス、何という不始末をしてくれたんだ。元々、ハンベエを説得するなどというのは甘い考えだと思っていたが、何もその場でハンベエを襲わせる事は無かったのだ。こちらの正体を隠して、ハンベエを襲わせる事などいくらでもできたはずだ。」
 その場には、バンケルクとモルフィネスしかいなかった。一応、バンケルクは他の者には場を外させて、モルフィネスを叱責していた。
「将軍閣下、申し訳ありませんでした。私の判断が甘かったようです。」
 モルフィネスは素直に詫びた。
「その上、わしに断りも無く、ロキを攫おうとして、しかも失敗るとは・・・・・・よくも、わしの顔に泥を塗ってくれたものだ。」
 バンケルクは苦り切った表情で言った。
(確かに大失態であったが、元々は、あなたがハンベエを正当に評価していなかったために、私が尻拭いをしようとしているのではないか。しかも、ハンベエの説得はあなたも賛成していたはずだ。)
 モルフィネスという男、今まで人から叱られた事などほとんど無く、バンケルクの言いざまに内心大いに不満を感じていた。
 しかし、この男は自分より身分の上の人間に逆らう事が、どれほど損になるか良く知っているようで、努めて殊勝な顔付きをして、バンケルクの悪罵に耐えていた。
「全て私の浅はかな判断ミスでした。まことにお詫びの次第もありません。」
 モルフィネスは憤りを胸にしまって、浅はかさではあんたの方が上なんだがねと心で嘲りながら、詫びを言った。
「ふむ。・・・・・・まあ、貴官のこれまでの功績に免じて、これ以上は言うまい。で、この後はどうするつもりだ。」
「どうする・・・・・・とは?」
「ハンベエの始末だ。まさか、あのような男をこのままにしておくわけには行くまいが。」
 バンケルクはハンベエという名を出すのも腹立たしいと言わんばかりである。
「今のところ、ハンベエを葬る妙案は思いつきません。ハンベエを倒せる者を探してはいますが。」
「何を悠長な事を、他の連隊を動かして第五連隊ごと押し潰してしまえば良いだけであろうが。」
「それはお勧め出来ませんね。もし、大規模な攻撃を掛ければ、第五連隊は駐屯地中に火を放つ準備をしているようです。」
「火を・・・・・・駐屯地を火の海にするつもりなのか?」
「火矢の準備をした部隊を交替で配置しているようですね。直ぐにでも駐屯地に火を掛けれるように。」
「おのれ・・・・・・そのような卑劣な手を。どこまでも不埒極まりない蛆虫が・・・・・・」
 バンケルクは、自分が第五連隊になした事など棚上げにして、歯軋りした。
 モルフィネスは、一貫してあらわにされているバンケルクのハンベエに対する憎悪の感情を些か奇異に感じた。
 とは言っても、その違和感を深く考えてはみなかった。モルフィネスこそ、今回、ハンベエに厭というほどの煮え湯を飲まされ、おまけに赤っ恥まで掻かされた身の上、ハンベエへの憎悪はバンケルクに尚勝っていた。
 だがしかし、腹中に深く憎悪を宿しながらも、モルフィネスは冷徹な無表情を装っていた。冷徹で計算力に富んだ策謀家というのが、身上らしい。痩せ我慢のポーズにも見えるが、整った容姿で誤魔化していた。
「今、何よりも重要な事はゲッソリナの行政府にこのタゴロロームに口出しするきっかけを与えない事でしょう。私とハンベエの一件については、箝口令を布きましょう。押さえつければ、ただの風説として話は萎むでしょう。」
「そう上手く行くか? 何と言っても、第五連隊の死に損い以外にハンベエを英雄扱いする奴が出て来てはまずい。早く、ハンベエを始末する事が重要だぞ。あの虫酸の走る男をこれ以上増長させてはならん。」
 はてさて、ハンベエも随分嫌われたものである。バンケルクの憎悪は一体何に由来するものであるのやら。
 参謀としてしてバンケルクに仕えているモルフィネスは、冷徹な己を持する事に努めながら、司令官の感情的な物言いに辟易する思いだった。
(私なら、最初からハンベエをこちら側に取り込んでいたがなあ。仮に始末するにしてもその方が楽だったろうし・・・・・・今となってはどうしようもないが。)
 モルフィネスは胸の内で吐き捨てた。

 ゴンザロから、モルフィネスとの一件が守備軍中に広まったという報告を受けたハンベエは、連隊長用の石の住居から外に出て『ヨシミツ』を抜いた。
 アルハインド族との戦いが始まってから、剣術の鍛練が途切れていたハンベエであった。
 久しぶりに素振りを行おうというのである。
 他の兵士がいない場所までわざわざ出向いた上で、鍛練を始めようとしていた。一人きりになりたかったようでもある。
 随分強くなったと己自身を思った。鍛練の度に強くなった、強くなったと自画自賛している事が多いとは幸せな男である。
(いかんいかん、自惚れてはいかん。まだまだ修行中の身、師に叱られる。・・・・・・だが、ちょっとは自惚れてもいいかな?)
 などと考えながら、剣を正眼に構えた。
 師のフデンの姿を剣尖の向こう側に思い描いた。
 師の姿は静かな雰囲気で、刀を斜め下段に構えて現れた。
 ハンベエは体の力を抜きながら、師の姿を見つめた。今なら、師をも斬れるか? ハンベエは闘気を高めようと深く息を吸い込んで、頭で描いているフデンを見つめた。
 斬り結ぶ機を測るため、じっとフデンの様子を窺う。しかし、フデンの姿は、静かに斜め下段の構えを取ったまま、微動だにしない。
 おまけに、師の表情は優しげに微笑して、ハンベエをニコニコと見つめているのである。

 ・・・・・・

(やめた。)
 ハンベエは何やら馬鹿馬鹿しくなって、『ヨシミツ』を鞘にしまった。
 思えばハンベエ、フデンに怒られた記憶がほとんどない。
 ハンベエの記憶にあるフデンは、怒りとか愚痴とかをどっかに置き忘れてきたような人柄で、フデンといた時はいつも、早春の柔らかな日差しのような暖かみに包まれていたような気がするのである。
 パーレルとの話を思い出すにつけ、きっと世の多くの者は、この明日をも知れぬ世知辛い乱世の中で、幾つもの悲しみを胸に生きているのだろうと思い、フデンと過ごした日々、いかに己が幸せであったか、改めて貴重なものに感じた。
 いつしかハンベエは、師と暮らしていた山の方角を探して、地べたに跪いていた。
(御師匠様、ハンベエは至らぬ身でありましたが、今日も己を曲げずに生きておられます。御師匠様の授けてくれた力のお陰でございます。)
 フデンに深く感謝せずにはいられなかった。
 全く知らぬ者が見れば、かなりアブナイ、イカレた姿のハンベエであった。
 ふっと気配を感じてハンベエは立ち上がった。別に慌てはしない。知っている気配であった。
 ハンベエが二十メートルほど離れた草原に目をやると、高く生い茂った茅を開いて顔を出した者がいる。
 イザベラであった。今日はいつか見た尼僧の姿をしていた。
 ハンベエはツカツカとイザベラのところに歩いて行った。
「やあ、いいところで逢ったぜ。」
 ハンベエはひどく明るい調子で言った。王宮外れの雑木林で闘って以来、初めてイザベラに見せる無邪気な底抜けの笑顔である。
「何か、今日は嫌に機嫌がいいようだね。どうしたんだい。ちょっと気味が悪いよ。」
 いつもと打って変わったハンベエの調子に、イザベラは少し驚き気味に言った。調子狂うぜと言いたげな表情である。
「いや、俺は幸せな野郎だと思ったら、顔の奴が勝手に笑いやがって、往生してるぜ。今日は何かあるのか?」
「幸せな奴?・・・・・・自分で自分を幸せな奴だなんてぬけぬけと言える奴は、確かに相当おめでたいよ。・・・・・・しかし、あんた時々、渋い二枚目路線外すね。」
 イザベラはそう言って笑うと、
「今日は様子見に来ただけさ。」
 と放り捨てるように付け足した。
「様子見。そうだ。折角その格好で来たんだから、パーレルに会って行かないか。奴、喜ぶぜ、多分。」
「パーレル・・・・・・ああ、旅で一緒だった頼りなさそうな奴。」
「そうそう、絵が上手いんだぜ。マリアの絵を書いてたんだが、本物よりずっと美人だったぜ。」
「本物より・・・・・・」
 ハンベエの言いざまに、イザベラは複雑な顔をした。全く、この男は女心が解っちゃいない、とでも思ったのやら。
「おっと、本物も相当美人だよな。パーレルの目にはそう見えてるんだ。」
 ハンベエは慌てたように言い直したが、それは少しもイザベラの意に沿うものではないようだ。
「あんたにピッタリの言葉を思い出したよ。確か唐変木とうへんぼくって言うんだっけ。まっ、ズレてるあんたと、こんな会話を続けても仕方ない。それより、何かアタシに用があるような口振りだったけど。」
「そうだった。」
 ハンベエは周りを見回して、誰もいない事を確認すると、イザベラの肩に手をやって茂みの中に誘った。
「バンケルクという奴、金貨二万枚にも上る財宝を隠匿しているらしい。」
「おや? 何の話かと思えば、金の話かい。あんたから金の話が出るとはね。」
「他にも、そんな事言った奴がいるが、第五連隊を再建しなけりゃならない俺にとって、今や金の話は一大事さ。」
「連隊の再建、本気でバンケルクとやり合うつもりなんだね。」
「最初から本気だ。」
「そうすると、そのバンケルクの隠匿している金をふんだくろうという魂胆かい?」
「うむ。」
「おやおや、随分と悪党だこと。分からない男だよ、ハンベエは。」
「そこで、イザベラに頼みたいは、その財宝の在処を探ってもらいたいんだ。」
「ふーん、初めてあたしを頼りにするような話になったね、嬉しいよ。でも、そこまでアタシを信用していいのかい。」
 イザベラはちょっと皮肉っぽく言った。
 ハンベエはイザベラの目を真っ直ぐに見つめ、斬り付けるように、
「信用する。断じて信用する。」
 と言った。
 イザベラはハンベエの迫力にちょっと気圧されたように目を伏せ、それから、ハンベエの目を悪戯っぽく見つめ返して言った。
「まるで、斬り合いでもしてるような喋り方だよ。分かったよ。引き受けてやるさ。でも、高い買い物になるかも知れないよ。覚悟しときな。」
「斬り合い・・・・・・俺はヒョウホウ者、いつだって命懸けさ。掛け値無しにイザベラを信じるよ。」
「分かったら、連絡する。じゃあ、また。」
 イザベラのその言葉を聞くと、ハンベエは一人茂みを出て連隊長用の石小屋に向かって歩き出した。
 その背中を見送りながら、
「全く、退屈させない男だよ、ハンベエは。」
 とイザベラは小さく笑って呟いた。
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