兵法者ハンベエの物語

市橋千九郎

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八十一 老梟、心労の種尽きず

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 城門の前で配下の近衛兵達を整列させ、馬から降りたルノー将軍は二名の護衛を引き連れ威風堂々、顔パスで王宮に入って行った。
 齢六十近い老将軍である。銀色に輝く兜の下、半分近く白くなった眉毛の更に下に、少し濁りを帯びた酷薄げなマナコが睨みを効かせている。美貌のモルフィネスとは違い、がっしりと固そうな顎、如何にも武人でございと言いたげに厳しく引き締められた口元をしていた。どうやら、モルフィネスは母方の血筋に似たようだ。
 尊大な歩き振りで、近衛師団長は宰相の執務室に向かった。案内を請う真似もせず、おのが城に有るが如くずかずかと進み、ラシャレーの部屋の前までやって来ると、
「わしが誰であるか知っておろうの。」
 と部屋の前に立っている警備の兵に顎をしゃくって言った。
「はい、存じております。近衛師団長閣下。」
「ならば、ラシャレーにさっさと取り次げ。」
 ルノーは不機嫌を丸出しに言った。
 兵士は慌ててドアをノックし、扉を開けて中に近衛師団長の来訪を告げた。
 入室の許可も待たずにルノーは執務室に乗り込んで行った。作法無視、無礼千万はハンベエの十八番であるが、この老将軍も中々年季の入った傍若無人振りである。
「何用か。」
 執務室で机に向かったまま、ラシャレーはルノーに言った。こちらも負けてはいない。すこぶる付きの不機嫌な応対である。
「バンケルク将軍の後釜にハンベエという氏素性も無き無頼の徒を据えると聞いて来た。気でも狂ったのか、宰相。」
「その件は、人事に関する事である。貴官の口出しすべき事ではない。控えられよ。」
「何と、わしはバトリスクの当主ルノーだぞ。宰相と云えど、その申しようはあるまい。」
 ラシャレーの強硬な返事にむっとしたようにルノーが吠えた。
「この度の人事はステルポイジャン大将軍とワシが協議の上、国王陛下の裁可を得て決めたもの、職掌外の貴官の容喙、越権行為である。余計な真似などせずに任地に戻らっしゃい。」
「何だと、ならば国王陛下に直接諌言いたす。陛下に取り次いでもらおう。」
「罷りならん。とくとく任地にお帰りあれ。聞くところでは、ご子息がハンベエとの諍いでタゴロローム守備軍を追放されたよし、ハンベエに遺恨を持つのは仕方あるまいが、行政府の決定に口出しは許さん。」
 にべもない冷淡さでラシャレーは言い放った。このルノー将軍への対応を見ると、その前に応対したハンベエに対しては、このラシャレーという老人、かなり寛大な振舞いだったのではないかという気がしてくる。権力者の性行として、身分の近い者には俊厳に、遥か身分の下の者に寛容にと云うのは、まま有る事ではある。ラシャレーも意外とそういうタイプなのかも知れなかった。
せがれの事は関係ない。バトリスク一門の顔に泥を塗ったモルフィネスは勘当したわ。」
 ケンもホロロの対応にかなり激昂して、ルノーが怒鳴った。おやしかし、モルフィネスが勘当されたとは、初耳。予想外の展開・・・・・・かな?、読者諸君。後で触れよう。
「ほう、勘当されたとは。・・・・・・ワシはバンケルク将軍の末路を聞き、貴官のご子息は良い処で立ち去ったものと逆に感心しておったのだが。」
 ラシャレーは意外そうに言った。
「理由の如何によらず、軍を追放されるような恥曝しは我が名門バトリスク家には要らんのだ。それより、宰相のバンケルク将軍への言い様、まるで死んで良かったように聞こえたぞ。どういう了見だ。」
 ルノーはますます居丈高に言った。
「悪いが、ワシはバンケルク将軍の最後については少しも同情しておらん。天に見放されるだけの不手際をしてのけて滅んだものと考えている。どうにせよ、近衛師団長、越権じゃ。いい加減に任地に帰りませい。これ以上、貴官の話を聞く耳は持たん。」
 ラシャレーは険悪な眼差しでギロリとルノーを睨み据えると、キツい調子で決め付けた。
「このルノーに対し・・・・・・覚えておれよ。」
 近衛師団長は歯ぎしりしながら低く吠えた後、ぷりぷりと怒りを隠しもせず執務室から立ち去って行った。
 その後ろ姿をラシャレーの執務室付きの護衛兵が見つめながら、クスリと笑った。尊大さを見せつけるようにして乗り込んで来た老将軍をラシャレーが全く相手にせず追い払ったのが、よほど小気味良かったようである。スッキリした顔付きになっていた。

 さて、例によって脇道に反れるが、ここで我が家に戻ったモルフィネスがどのように勘当されたのか、その顛末に触れるのをお許し願う。
 ハナハナ山でエレナ一行と別れたモルフィネスと群狼隊達はゲッソリナを通ってバスバス平野の近くにあるモルフィネスの自宅に辿り着いた。名門を自負するだけあって、大きな門構えの豪壮な邸宅である。邸内に果樹園まであるようだ。
「今戻った。連れもいる。」
 モルフィネスは門番にそう言って門を通ろうとした。だが、門番が前に立ちふさがったのである。
 これには、流石のモルフィネスも大いに驚いたようである。我が家に入るのを邪魔する門番が何処の国にいようというものである。
「お入れするわけにはまいりません。」
 門番は緊張した面持ちで言った。声が震えている。
「何の冗談だ。」
 モルフィネスは門番の顔を覗き込むようにして少し笑った。我が家に帰って来た安心感か、この冷血のスタイリストでも笑顔を見せるようである。
「冗談では有りません。」
 屋敷の中から飛び出して来た男が言った。使用人頭である。
「軍を追放されるような恥曝しは勘当する、決して家に入れるなとの当主ルノー様の言い付けです。」
 使用人頭は冷ややかに言った。モルフィネスの事をどう思っているのか、憎体なまでの口調である。
 何しろ、いきなりの話である。驚いた顔をしないのが信条かと思えるモルフィネスも、ただ呆然として使用人頭の無礼を咎める事も忘れ果てて、目を丸くした。
「此処に金貨五百枚有ります。これを持って何処へなりと消え失せろ、二度と現れるなとの事です。これは当主ルノー様が申された事です。」
 使用人頭は切り口上に言って、投げ付けるようにモルフィネスに持ち重りのする皮袋を押し付けた。
「待て、父上を呼んでまいれ。」
「なりません。顔も見たくないとの事です。さっさとお立ち去り下さい。」
 あまりな使用人頭の対応に、モルフィネスの顔が凶暴に歪んだ。今にも皮袋を叩きつけて、剣を抜きそうである。一緒に付いて来た群狼隊兵士もモルフィネスが剣を抜けば、屋敷に斬り込んで行きそうであった。
 凄まじい顔付きでモルフィネスは使用人頭と門番を睨み付けていた。しかし、しばらく睨んでいたが、その顔付きに使用人頭が恐怖の色を浮かべたのを見て、モルフィネスは大きく息をした。
 それから、気を静めるために何度か大きく息をした後、何も言わずに使用人頭達に背を向けて、己の生まれ育った屋敷から歩み去った。勿論、群狼隊の面々もそれに続いた。
 我が家を少し離れたところまで来ると、モルフィネスは折よく道端にあった木の切り株に腰を降ろした。囲むように群狼隊兵士も地べたに腰を降ろす。

「さて、この私は最早バトリスク一門から勘当された身になってしまった。折角此処迄同道してもらったが、これ以上私に付いて来ても諸君に何の益もないようだ。上手い具合にさっき貰ったこの袋に金貨が五百枚有るらしい。これを皆で分けて、次の仕官先を探すが良い。」
 モルフィネスはそう言うと、クラックに皮袋を渡そうとした。が、クラックは手を出そうとせず、じっとモルフィネスを見つめた。そして言った。
「モルフィネスという男はこれで終わるのですか?」
「ん?・・・・・・。」
「モルフィネスという人物は親に捨てられた程度の事で、何もかも諦めてしまうのかと聞いているのです。」
「いや、この程度の事で野に朽ち果てるつもりはない。必ず再起するつもりだ。」
「ならば、我等は黙って付いて行くまでの事。あんまり見損なわないでいただきたい。」
 横一文字に口を結んで、クラックは言った。
 モルフィネスは意外そうにクラックを見た。それから、他の群狼隊兵士一人一人の顔を見回して言った。
「皆も同じ考えか。」
 全員が黙って肯いた。

 打ち破れて我が家に戻れば、家人は冷たく追い払い、一方赤の他人の群狼隊は最後で付いて来ると云う。
 俺もまんざら捨てたものでも無いな、とモルフィネスは感動のあまり涙が溢れそうになったが、無情冷酷の仮面を顔に辛うじて張りつけたまま、
「では、付いて参れ。この金、愉快な金ではないが、金は有った方が良い。軍資金としてクラックに預けて置く。先ずは、ゲッソリナに行って、国の情勢を見極めよう。」
 と言って立ち上がった。
 こうして、モルフィネスは一族から切って捨てられたのであった。だが、まだまだ消えてしまうわけでは無さそうだ。

 場面は戻って、ラシャレーの執務室である。『声』がラシャレーに何やら報告している。
「すると、ルノーはあの後ステルポイジャンの所にも捻じ込んだのか?」
「さようですな。しかし、閣下と同様、ステルポイジャン将軍にも口出し無用と追い返されたようですな。」
「そうであろうの。名門を鼻に掛けてしゃしゃり出て来おってからに。とっとと任地に帰れば良いものを。それより、ゴルゾーラ王子に送った使いはいつ頃着くのだ。」
 実はラシャレーは先だっての御前会議で国王を見た後、直ぐに東方の都市ボルマンスクに駐留する皇太子ゴルゾーラに急使を送っていた。内容は無論、国王バブル六世の病状に関するものである。
「遅くとも四日後には。」
「そうか。国王陛下の容体が心配じゃ。」
「それも心配ですが、ルノー将軍の方も目が放せませんな。どこぞのアホな兵士がハンベエがゲッソリナに来ている事を伝えたようで、近衛師団長は自分の兵士を引き連れてハンベエを捜しに王宮を出たようです。」
「何だと。ハンベエは風呂に出かけたはず。ルノーの奴め、ワシの名を付けた浴場で暴れでもして見ろ、八つ裂きにしてくれるぞ。ちゃんと見張りは付けてあるのだろうの。」
「抜かり無くしておりますな。それより、ルノー将軍ですが、バンケルク将軍の後押しをしていた節が有りますな。」
「何?」
「ハンベエに打ち破られたバンケルク陣営の士官の何人かがバスバス平野の近衛師団に逃げ込んでます。元々、モルフィネス自体がルノーの回し者ですしな。」
「しかし、ルノーはモルフィネスを勘当したと申しておったぞ。」
「さて、その辺りの仔細は解りかねますな。だが、モルフィネスがバンケルク将軍に追放された事を知ったルノーは激怒したという情報が入ってます。案外、我が子よりバンケルク将軍との繋がりが大事だったのかも知れませんな。まさかバンケルク将軍が滅ぶとは予想出来なかったでしょうからな。」
「奴めも野心を抱いておるのか? ともかく、ルノーから目を離すな。その方が直接指揮を取れ。サイレント・キッチンの表の部隊を動員してでもルノーの奴に騒ぎを起こさせるな。」
「承知いたしましたですな。」
 『声』はそう答えると気配を消した。
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