兵法者ハンベエの物語

市橋千九郎

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九十九 強がって見せる以外に道は無し

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「ボーンさん、行っちゃったねえ。」
 ボーンが執務室から消えるとロキがハンベエに話しかけた。日頃、喧しい程に口を挟んで来るロキが今回のボーンとハンベエの懇談では大人しい拝聴者として、行儀良く(そうなのだ! ロキは行儀が良いのだ。)二人の話を聞くのみであった。去り際のボーンに対しても、ちょこんとお辞儀しただけだった。
「ああ、行っちゃったな。」
「また、会えるかなあ。」
「こっちが生きてれば会えるだろう。滅多な事で死ぬような奴じゃないさ。」
「そうだよね。ハンベエもボーンさんも不死身だよね、きっとお。」
「ロキだって不死身さ。きっとな。」
「えーっ?」
「死にそうにはない奴って意味でな。」
 やがて二人は黙った。二人のセリフは空元気であった。ハンベエは自信過剰野郎な一面を持っており、強がりなど言わぬ質であった。だが、今回は冷静に考えて敵が強大過ぎた。ハンベエもロキもそれをずっしりと感じていた。
「さて、真面目な相談だ。実は金の相談だ。戦争の為の軍資金なんだが、とても足りそうにない。こんな場合の金集めの方法何か知らないか?」
 ややあって、ハンベエは元々ロキに相談しようと思っていた話を切り出した。
「軍資金? 税金で賄うんじゃないの?」
「そうなんだろうが、兵士の給料払うにも王国金庫とか云うところから金を引き出さなきゃならないらしい。しかも、王国金庫と云うのはタゴロローム守備軍の支配下にはないらしいんだ。」
 ハンベエの説明にロキは黙った。何か考えているようである。
「うーん、オイラ自前の商売の事は分かるけど、王国の財政の事は知らないんだよね。困ったよお。取り敢えず、タゴロローム守備軍の会計に携わっていた人に仕組みを教えてもらわなきゃ。」
 八の字眉になりながらロキが言った。言った後、直ぐに明るい顔を作って、
「大丈夫だよお。仕組みさえ解ればきっといい知恵が出るよお。オイラ頑張るよお。」
 と付け加えた。
「ふむ。よし任せた。ロキ一人では兵隊どもが協力しないかも知れないから、ボルミスを助手に付けよう。」
 ハンベエはそう言うと廊下に出て、『誰か居ないかっ。』と大声で兵士を呼び、それにボルミスを呼びに行かせた。

 その日、タゴロローム守備軍兵士は漸く遅れていた月給を受け取った。ハナハナ山から戻った第五連隊兵士も同様であった。
 給料をもらった兵士達はどうしたのだろう? 兵士達の多くはその金を持って売春宿に代表される悪所に大挙して行ってしまった。ハンベエが呼び出しを掛けたボルミスも真っしぐらにそちらに向かっていた。その呼び出しを命じられた兵士こそいいツラの皮である。守備軍陣地内を散々捜し回った挙句、どうやら売春宿に出かけていると判った。兵士はその旨をハンベエに報告しようとしたが、思い返して売春宿の有る色街まで呼びに行く事にした。考えて見れば、軍司令官直々の命令である。守備軍陣地内を捜して、色街に出掛けてるようでおりませんでした、で済む話でも無さそうだ。そんな中途半端な事をして、『坊の使いじゃあるまいし』と嘲笑れても堪らない。色街をあちこち回って、ボルミスにハンベエの呼び出しを伝え、不機嫌な顔になって渋る相手を無理無理引っ張って帰った。
「お連れしました。」
 とその兵士は、ボルミスを突き出すようにして言った。
 ハンベエは執務机の向こうの椅子から立ち上がった。命令してからかなりの時間が経っている。実は手持ち無沙汰のあまり、さっきまで『ヨシミツ』の抜き身を眺めて居たのだか、人が近づいて来る気配に鞘に納めて、椅子に座り直したところであった。相当に待ちくたびれていたのだが、そんな事は少しも面に出さす、
「随分骨折りさせたようだな。悪かったな。ところで、お前さんの名前は?」
 と労いの言葉を掛けて名を聞いた。
「自分はイシキンと言います。軍司令官殿」
「イシキンか、ご苦労であった。覚えておく。」
 ハンベエはそう言って顎を引いた。イシキンは敬礼してさっと持ち場に戻って行った。
 ハンベエより少し年上であろうか二十代半ばに見えた。そのキビキビとした後ろ姿をハンベエが何と無く好もしく見ていると、
「大将、勘弁してくれよ。久々に楽しい場所に行けて、結構いい娘に当たって、いよいよこれから床入りだったてのに。」
 ボルミスが大いに不満を漏らした。
「って・・・・・・あいつそんな所まで追い掛けてって連れて来たのか。」
 ほうっ、という風に感心した様子のハンベエ。そこまで律儀に命令を実行してくれたイシキンという兵士に新鮮な思いを抱き、『あの野郎も馬鹿固く色街まで追い掛けて来なくてもいいものを』とむくれ顔のボルミスを横目に、『イシキン、意外と使えるかもな』と呟いていた。ハンベエが感心したのは、命令の貫徹という事であった。要領のいい奴も部下として欲しいが、愚直なまでに命令に忠実な部下も欲しいところなのだ。
 それでもハンベエはボルミスの楽しみを潰した事は悪いと思ったらしく、
「おお、いいところだったのか悪い事をしたな。折角の息抜きを。実はちょっとした用事だったんだが、まさかそんな所に居るとは思わなかったもんでな。俺が悪かったんだ。許してやってくれ。今から色街に戻っても楽しめるかい?」
 と宥めるように言った。
「そりゃ、十分間に合いますが、それより用が有ったんじゃあ?」
「いや、お前には今日はたっぷり楽しんでもらって、明日から頑張ってもらう事にする。」
「そうですか。何か文句言って申し訳ない、大将。」
 色街に戻れると聞いて、ボルミスは手の平を反したように上機嫌になって出て行こうとした。
「待て。」
 とハンベエはそのボルミスを呼び止めた。そして、懐から金貨三枚を取り出して渡し、
「俺の方は暇が無いので、俺の分も楽しんで来てくれ。」
 と肩を叩いた。
「いいや、それなら大将も一緒に行きましょうよ。知っといて損はないですよ。」
「残念ながら、今俺には暇が無い。気にせず楽しんで来てくれ。」
「そうですかあ。じゃあ遠慮無く。明日からは気合い入れまくりで働きますんで。」
 ボルミスはそう言うと、軽い足取り、お楽しみに戻って行った。

 この間、実はロキはこの部屋にいた。ハンベエの横で行儀良く椅子に座って二人のやり取りを見ていた。王女の為に参戦すると決めてから、借りて来た猫のように大人しいロキであった。
「大人って、不潔だよお。でも、ハンベエは流石に行かないんだね、そんな所。」
 それでもやはり、ボルミスがいなくなるとロキは口を尖らせて言った。ハンベエや自分が強大な敵を前に何とか知恵を絞ろうと、頭をねじるような思いで呻吟しんぎんしているのに、暢気に女のケツを追い掛け回しているボルミスが癇に触ったようだ。
「まあ、そう言うな。あいつはああいう奴だ。俺も手が空いていれば付き合ってやったところだ。」
「えー、ハンベエもそんな所行きたいのお?」
「そうだな、行った事が無いしな。しかし、今はそれどころじゃない、先約も有るしな。」
「先約? イザベラの事?」
「ふふ。」
 本心か戯れ事か、ハンベエはヘラッと笑って見せた。
 イザベラの言葉を真に受けてるのお? おめでたいんじゃないのお、大丈夫なのお? とチクリと冷やかしの一言を言いかけて、ロキは黙った。ボルミスの件にしろ、明日の命も分からぬ身、ハンベエはその兵士達の不安と苦悩を一身に背負う気になっているのだ。ロキはそう思うと、ハンベエの心労が我が身に滲みて、泣きたい程一層『ハンベエ大好きだよお。』と思っていた。
「時にロキ、さっきのイシキンをどう思う?」
 ハンベエは話を切り替え、改まった口調でロキに尋ねる。
「ええ、どうって、真面目そうな人だねえ。」
「じゃあ、決まりだな。」
「・・・・・・?。」
「ロキの助手はボルミスじゃなくて、イシキンにやってもらおう。」
「ああ、なるほどお。」
 ロキはにこりと笑った。文句は無いらしい。
 ハンベエはイシキンを今一度呼び、ロキとタゴゴローム守備軍の会計の仕組みの調査及び軍資金獲得の手立ての考究を命じた。『今日から俺の直属にするから、ヨロシク』と言うと、『しかし、軍司令官の警護の役はどうするのか?』とイシキンが困惑した様子であったので、『俺に警護なんか要るもんかい』とハンベエは笑い飛ばした。
「警護じゃなくて、暴れないように制止する人が必要だよお。」
 ロキもハンベエに合わせて笑い出した。
 イシキンは二人の態度に、どう対応していいのか持て余し気味に見えたが、生真面目な顔付きでロキに引っ張られて調査に出掛ける事となった。

 五日後、エレナとイザベラがタゴロロームに到着した。ハンベエはボーンから聞いた事の真相一部始終を二人に伝えた。その後、何処で調達していたのか、金色に眩く輝く甲冑を持って来てエレナに差し出した。
「おや、私にくれるのですか。随分キラキラした鎧ですわね。貰っていいものかしら。判断に苦しみますね。」
 エレナはハンベエの意図を探るように見た。相変わらず、笑顔はない。
「とにかく、着て見てくれ。」
 ハンベエは無愛想に言った。

 王女に鎧を着せる――王女を旗印にする、ハンベエの魂胆は見え透き過ぎるほど見え透いていた。

 エレナは傍らのイザベラを見た。どうしようかしらというわけである。すっかり、エレナの信頼を得てしまった感のあるイザベラであった。
「取り敢えず、着て見たら。」
 イザベラはボソッと言った。おや、一々アタシに聞かなくたっていいだろ、みたいな雰囲気が感じられたが・・・・・・。
 イザベラに手伝ってもらい、別室にて着替えを済ませて戻って来たエレナの姿は、それはそれは・・・・・・言葉が無い。
 元々輝くばかりに美しい乙女であった。それが眩いばかりに輝く甲冑を身に纏ったのである。ちなみに、兜は用いず、双頭の龍をあしらった銀の鉢金を巻き、艶やかで豊かな髪を靡かせるように肩の後ろに流していた。きんきらきんのギンギラリンであった。
「うわあ、凄いよお、綺麗だよお。まるで、天から降って来た戦の女神様みたいだよお。」
 ロキ絶賛であった。
 流石のハンベエも眩しげにその姿に見入った。が、ハンベエが胸の内で考えているのは、この姿が兵士達に与える影響である。旗印は美しい方がいいに決まっている。いつの間に呼んだのか、傍らにはパーレルが来ていた。
「お久しぶりです、王女様。金の鎧が良くお似合いです。あ、マリアさん・・・・・・こんな所で会うとは奇遇ですね。相変わらず、お美しい。」
 パーレルはイザベラがそこにいるのを不思議に思ったようだ。イザベラの正体は全く知らないパーレルであった。
「では、早速だが、パーレル、王女の姿を絵にしてくれ。図案は馬に乗って剣をかざしてるみたいなのがいいな。旗を作る。」
 ハンベエは気忙きぜわしい様子でパーレルに依頼を出した。
「旗ですか。ハンベエさん、旗が好きですねえ。しかし、王女様のこの姿は是非描いて見たいですね。」
 パーレルはおやおやと言う顔ながら、承諾。
「何ですって、そんな事聞いていませんよ。」
 だが、事の意外に、エレナが気色ばんだ。私の肖像権をどうしてくれるのと迄は考えなかっただろうが、勝手な決め事をと腹が立ったようである。ハンベエはと見ると、両手を合わせてエレナを拝んでいる。
「敵は十七万。」
 ハンベエは呪文でも唱えるように言った。
「私は、ハンベエさんの事を許しているわけでは・・・・・・。」
 エレナは尚もハンベエに喰って掛かろうとしたが、ハンベエは何も言わず拝み倒していた。
 エレナはプイと横を向いた。しかし、それ以上文句を言う気が失せたと見え、
「仕方有りませんね。」
 と不承不承承諾したようだ。
「中々美々しい武者姿、きっと兵士共は悪くは思うまいね。ハンベエにしては意外な知恵だね。」
 イザベラがすっと身を寄せて、冷やかすようにハンベエに囁く。
「何でもやって見るさ。」
 ハンベエはいつもの無愛想な顔に戻って言った。

 天より降りしか、美々しき王女の武者姿、足毛フサフサとしたる白馬に金覆輪の鞍置きて、金銀色々黄金なる鎧を纏い、兜は用いず、向かい合わせなる双頭の龍を細工したる銀の鉢金を当て、目元涼やかにして、髪艶めき、真に美しき大将にて候らえば、味方の将士勇気百倍、この人の馬のオン前にてこそ死なんとぞ、我も我もと馳せ参じたり・・・・・・そんなに上手くは行くまいがなとハンベエはやや自嘲気味に独りごちた。
 一方、軍資金問題は一向に前途が開けず、王国金庫の管理者に軍司令官の印形入りの書面を持たせ交渉させても、立て替え分の兵士の給与さえ支払いを拒否されていた。
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