兵法者ハンベエの物語

市橋千九郎

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百二 敗者復活戦ー中編

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 モルフィネスを控室に案内した後、ハンベエはエレナを呼びに向かった。エレナは皮肉にも以前バンケルクに幽閉された部屋を当てがわれていた。司令部の建物にある一番上等な客室という事で、結局その部屋が当てがわれたのであった。
 ハンベエがノックする前に、イザベラが出て来た。事前にハンベエの到来を察知していたようだ。
「急ぎ足で何だい?」
「実はモルフィネスが我がタゴゴローム守備軍に参加したいと来ている。王女の考えを聞きたいから、十五分後に司令官執務室に来るように伝えてもらいたい。」
 ハンベエはイザベラにそう言い、次に声を低めて耳元で、
「お前にも、相談したい事や頼みたい事が山積みなんで、今夜にでも二人で話したい。いつまでも王女のお守りに専念されたら、最弱勢力の俺達は上がったりだ。」
 と囁いた。
 執務室に戻ると、ロキがドルバスに、
「信用できないよお。」
 と言っている所だった。
「パーレルは?」
 ハンベエは首を捻りながら言った。
「まだ隠し部屋に居るが。」
「もう出て来ていいんだよ。融通の利かない奴が多いぜ。」
 ハンベエ苦笑しながら、どんでん返しになっている壁から、パーレルを呼び出して言った。
「さて、パーレル。モルフィネスをどう思う? 王女の意向はまだ聞いていないが、パーレルが気に入らないなら、この俺の一存で今からすっ飛んでって、ぶった斬って来るぜ。」
 ハンベエは狡い。以前、ハンベエはパーレルを虫一匹殺せない奴だと言った。この状況で、『それじゃあ、モルフィネスはやっぱり気に入らないから、斬ってくれ』等と言う事は有り得るはずも無い。百も承知でハンベエは言っているのである。
 果たして、パーレルは次のように言った。
「ハンベエさんがあの男を必要だと思うなら、味方にするのに文句は言いませんよ。僕はモルフィネスは信頼出来ないけど、ハンベエさんの事は信じていますので。第一、自分はエレナ王女様に大恩有る身、その王女様を守る為に必要ならば受け入れますよ。」
 期待に違わぬ優等生な回答にハンベエは肯く反面、悲しい奴だとパーレルを思った。損な奴だ、自分でそういう役回りを割り当てておいてハンベエはそう思った。
 複雑で苦々しい物を胸中深く飲み込んで、だが、ぶっきらぼうに、
「では、後は王女の考え次第だな。」
 と言った。表情は平素のままを装っている。モルフィネスの鉄仮面と好一対である。
 ハンベエの思惑通りの答をパーレルは返したが、仮りにパーレルがどうあってもモルフィネスは許せないと言った場合、ハンベエはどうするつもりで有ったのであろう。今となっては、余計な推測であるが、己の言った言葉を貫徹するために、何も言わずにモルフィネスを斬りに走ったに違いない。この若者は一面、そういう若者でもあった。
 王女をモデルにした旗が最後の仕上げのところだから後の事は気にしないで決めて下さい、と言うとパーレルは足早に執務室を出て行った。顔色が良く無かった。ひょっとしたら、バトリスク一族皆殺しと聞き、家族の事を思って動揺しているのかも知れない。
「しかし、ロキの言うように血も涙も無い非道な奴だが、見上げた所も有るな。俺やドルバスの様に腕に覚えが有るってわけでも無いのに、敵だらけの中へ命を張って己の信念の為に乗り込んで来る。しかも、俺達は最弱勢力だから受け入れられたからってそれほど得するわけでもない。中々できるもんじゃないぜ。ある意味大した奴ではある。」
 意外な事にハンベエはモルフィネスを誉めるような言葉をドルバスに向けて放った。ドルバスは無言でハンベエを見返した。真意を計りかねている感じだ。
「オイラはあいつを仲間にするのは反対だよお。どんなにお腹が空いても、トリカブトの根っこは食べちゃいけないんだよお。でも、結局ハンベエが決める事みたいだから、これ以上は言わないし、邪魔みたいだから自分の仕事に戻るねえ。」
 パーレルとハンベエのやり取りを皮肉な目付きで見詰めていたロキであったが、その後のハンベエの意外な言葉に、やっぱり納得が行かないらしく、拗ねたように言って部屋を出て行った。
 『どんなに腹が空いても、トリカブトの根っこは食べてはいけない。』、かつてゴロデアリア王国宰相ラシャレーも同じ言葉を使った。この言葉、或いはこの大陸の箴言集にでも載っていて、ラシャレーもロキもそこから引用したのであろうか? ロキの意外な知識の一面だった。

 ハンベエはちらっとドルバスの方を見たが、ちょっと待っててくれという風な仕草をしてロキを追いかけた。
「ロキっ。」
 ハンベエはロキを呼び止めた。
「何だよお。」
 ロキは仏頂面で振り返った。
「ロキは俺を信じてくれないのか。」
「・・・・・・ハンベエの事は信じてるよお。」
 何を今更と云う顔のロキである。
「近頃、夢を見た。数え切れ無いほどの大勢の敵兵に取り囲まれ、王女やロキや皆が次々と殺されて行くんだ。その中で、この俺が、このハンベエ独りが殺されもせず、ただ悪鬼のように敵を、いつまでも、いつまでも、斬り続けている・・・・・・そんな夢だ。」
「・・・・・・ハンベエ・・・・・・。」
「敵の総数は十七万。今回の戦は大掛かり過ぎて、今のままでは駒が足りない。勿論、今の仲間が頼りになるは承知している。それでも、手が足りないのだ。」
 ハンベエの言葉にロキは思い当たる事が有った。そう言えば、あのボーンをハンベエは真剣にスカウトしようとしていたのだ。
「モルフィネスなんかの力がそんなに必要なのお?」
「気に喰わないが、俺も万能じゃない。さっき話を聞いただけでも、奴がゴロデアリア王国の軍事に通じている事は良く知れた。奴は役に立つ。」
「タゴロローム軍に参入してもモルフィネスにあまり得な事はないんでしょお。あいつ、何か企んでるんじゃないのお?」
「その疑いが無いとは言い切れないな。だが、俺には奴の気持ちが解らない事もないんだ。今回の内乱は恐らくゴロデアリア王国始まって以来のお祭りだ。奴は策士としての自分の能力に自負が有る。この機会に自分の腕を振るって見たいという欲求を抑え切れずに、命を冒してやって来たというのは良く分かるんだ。」
「・・・・・・。でも、信用できない危険な奴だよお。味方をただの駒と考えてどんな事を企むか知れないんだよお。」
 少年ロキは納得が行かないのか、仏頂面のままハンベエに言い返す。少年の心の潔癖さが大人の安易な妥協を拒んでいるかのようである。オイラの知っているハンベエはそんなに安っぽく妥協する人間だったのお? そう責めているかのようであった。
「ロキ、俺を信じてくれ。トリカブトの根っこを喰ったって毒を受け付けない奴だっている。俺を最後まで信じてくれ。」
 そう言ったハンベエの表情は、これまでロキが見た事も無いほど気弱なものであった。
 それを見ると、ロキの中で膨らんでいたハンベエへの批判的な心は急激に萎み、代わりに出会ってから共に過ごし深く刻まれた情愛の念が吹き出すように沸き起こって来たのであった。ハンベエ一身の事であれば、きっとこんな事は有るまい。大勢の命を預かればこそこんな妥協もするのだ。そうに違いない。
「分かったよ。」
 ロキはちょっとまごついた様子で言って直ぐに歩き出した。だが、二、三歩歩いて振り返った。ハンベエは立ち止まったたまま、まだロキの姿を見ていた。
「ハンベエ、オイラはハンベエを信じているよお。何が有っても信じているよお。」
 そう言うと、何やら恥ずかしそうに小走りに去って行った。人間とは真に厄介で不合理な愛憎の袋である。

 ハンベエは執務室に戻って行ったが、ロキはエレナとイザベラに行き会った。エレナ達はハンベエに呼ばれて執務室に向かうところであった。
「王女様。」
 ロキはエレナを見ると、少し興奮した面持ちで話し掛けた。
「王女様、ハンベエはねえ、ハンベエは悪い奴じゃ無いんだよお。」
「え?」
 ロキの突然の言葉にエレナは目を丸くした。
「オイラは王女様の事も大好きだけど、ハンベエが大好きだよお。」
 ロキはそう言うと、会釈をしてそのまま行ってしまった。
「どうしたんでしょう? ロキさん。」
 藪から棒のロキの言葉に、きょとんとしてエレナがイザベラに言った。
「さあね、思っている事を言っただけだろう。あの坊や、エレナとハンベエがしっくり行ってないのを気にしてる様子だったからね。」
「私って駄目な人間ですね。ロキさんにまで、胸を痛めさせていたなんて。ハンベエさんが悪い人でない事は私にだって分かっておりますわ。」
「いやいや、ハンベエは悪党さ。中々立派な悪党だよ。そうさねえ、このアタシといい勝負かな。」
 クスリとイザベラが笑った。
 モルフィネスについてのエレナの意見は、ハンベエに異存が無いなら参加を認めたいと言うものであった。エレナは窮地をモルフィネスに救われた事が有るので、悪感情を抱いていないのだった。
 ハンベエはモルフィネスを仲間に受け入れる事に決めた。
 一言モルフィネスに言ったきり、後はずっと成り行きを見守っていたのはドルバスである。ドルバスはモルフィネスに言った通り、ロキと同様にモルフィネスの参入には反対であった。だが、ハンベエがモルフィネスの参加を決めた以上、かつての第五連隊兵士を影から説得する事に決めた。損な役回りを知らぬ間に引き受けてくれる・・・・・・ハンベエより一回り以上年上であったが、ドルバスとはそんな男だった。ハンベエの人徳であろうか。とにかく、本当に頼りになる奴を捕まえていたものである。

 おかしな話になったものである。ハンベエと云う若者は元来、他人は無関心、無頓着な人間であった。初めて人を斬った時に、相手に何の憐憫も持たず、転がった死骸を何かの実験結果のように冷やかに見ていた。又、窮地を救ってやったはずのロキを置きざりにそのまま去って行こうとしたところに、その性格が良く現れているように思える。
 それが今やエレナやパーレルの傷付いた心を気遣い、ロキの将来を案じ、はたまた十七万と云う強大な敵から如何にして味方を守ろうかと腐心しているかのように見えるのである。

 濡れぬ先なら露をも厭え、今ではどっぷりシガラミに浸かって、自分でも気付かぬほど一所懸命なハンベエであった。
 誰が知ろう、この若者がぽつりと漏らした一言を。
「全く大将になんてなるもんじゃねえや。」
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