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百三十 剣(つるぎ)の林でお遊戯を
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ステルポイジャンの下を辞したビャッコは王宮の門を出たところで、一人の女官の歩く姿を見かけ、訝しげな顔をした。
王宮に仕える者だろうか、身なりからすると、下働きの雑仕女のようであった。
「そこの女、待て。」
とビャッコは呼び止めた。
「何でございましょうか?」
いきなり呼び止められて、女は少し驚いた様子だ。
「俺はステルポイジャン閣下に仕えるビャッコと云う者だが、王宮に仕える者か?」
ビャッコは高圧的な尋問口調で言った。別人のような言葉遣いである。
「左様でございますが。」
「何処へ行くのか。」
「侍女頭の命で買い物に。」
「侍女頭、国王陛下のか。」
「左様です。」
「ふっ。」
一瞬の事であった。ビャッコは腰に吊った細身の剣を抜く手も見せず、女に突き出していた。
ツルギの切っ先は女の首筋を僅かによけ、首と肩との線が交わるところの衣服一枚の布の部分を刺し貫いている。
女は恐怖の為か、大きく目を見開き、やがてガチガチと歯を鳴らして震え始めた。
「おっかしいな。思い違いだっけ。」
スーッと剣を戻しながら、ビャッコは首を捻った。それから、
「怖い思いをさせて済まなかった。勘違いのようだった。これで服でも買って機嫌直してくんな。」
と剣を収め、女の足元に銀貨を一枚投げた。
ひいっ、と女は声にならぬ悲鳴を上げ、それでも地面の銀貨を慌ただしく拾い上げて走り去って行った。
その後ろ姿を見ながら、ビャッコは何度も首を捻っていた。
その女は辻を曲がった所で、立ち止まり、辻の角から顔を少し出して後ろを窺った。ビャッコの姿は無かった。ホッと胸を撫で下ろすと、足早に歩き出した。
さて、この女、本当に王宮に仕えるただの雑仕女なのであろうか。
いやその正体は誰あろうイザベラであった。
どういうツテを伝ったのか、イザベラは国王バブル七世に仕える侍女のその又下に仕える雑仕女として、王宮に潜り込んでいたのであった。
ビャッコはイザベラの身ごなしに尋常ならざる空気を感じ、雑仕女風情には思われず、試したのであった。
が、反射的に身を躱すか何かの動きをすると思った相手が、デクの棒のように反応せず、少し間をおいて震え出したのを見て、思い違いかと首を捻ったのであった。
(付けられている。)
少し歩いてイザベラはそう感じた。気配を消して追って来ているようだが、お尋ね者として場数を踏んで来たイザベラは見破っていた。付けて来るとしたら、ついさっきビャッコと名乗った男だろう。勘違いと見過ごしにしたかに見えたが、向こうは半信半疑だったようである。
侍女頭に命じられて買い物に行くと言うのは嘘ではなかった。
イザベラ──王宮内で何と名乗っているやら──が購入を命ぜられたのは耳かき棒であった。
『国王陛下の耳の中を掃除して差し上げる』のだと云う。自分の耳の掃除をさせるとは、侍女頭とバブル七世、ただならぬ仲のようである。まだ十六歳の若さながら、すっかり蕩児めいているようだ。
小間物屋に入るとしばらく物色した挙げ句、イザベラは銀の花飾りの付いた漆塗りの竹細工の耳かきを一つ買った。ゲッソリナ付近には漆塗りの製品はない。遠く南方から仕入れた物との事で少々値が張ったようだ。
イザベラは買い物を済ませ、真っ直ぐに王宮への戻り道を歩いた。
まだ、付けて来ているようである。
(まずいな、かなり腕の立つ奴らしいし、かと言って王宮に潜り込んで、まだ五日、敵の手の内が読めるほどの情報は掴んでない。)
イザベラは、王宮に戻りながら、思案していた。疑念を抱かれた以上長居は無用と感じられた。何しろ、ステルポイジャン軍は、間者狩りに躍起である。身元を調べられたら、それこそ一大事だ。
(仕方ない。折角潜り込んだが、直ぐにふけるとしよう。)
イザベラは、王宮に戻り侍女頭に下命された品物を届けると、しばらく王宮内にいたが、午後六時少し前に以前ハンベエが王女エレナに招かれて話を交わした庭園のベンチの前に現れた。
イザベラがやって来ると、ほどなく空から舞い降りて来た者がいた。
鴉のクーちゃんであった。
イザベラはそれを優しく抱え込み、懐に隠すと辺りを見回し、壁に立てかけててあった三メートルほどの竹棒を手に取り、ニ、三歩助走して、棒高跳びの要領でヒラリと王宮の外壁を躍り越えた。
ふわり、っと音もさせずに、壁の向こう側に降り立つや、夕闇の中に溶けるように消え去ってしまった。
明くる日、ビャッコからステルポイジャンを通じて、国王の侍女頭に雑仕女の中に不審な人間がいるので素性を確認するよう依頼がなされた。
丁度、女官連も前の晩に雑仕女が一人消え、不審を抱いているところであった。
すぐさまイザベラを紹介した者に確認が取られた。
だがしかし、駄菓子菓子、紹介した者はそんな者は知らないし、紹介した覚えもない、と狐につままれたような顔をした。
その態度には嘘偽りの様子は更々無く、真実全く知らないもののようであった。
と言って、『あー、知らないのね、じゃあ、しょうがないね。』・・・・・・と許してもらえるほど、今のゲッソリナ首脳は優しくない。牢にぶち込まれた挙げ句、連日に渡って拷問を加えられて弊死の憂き目となった。
イザベラを紹介していながら、すっかりその事すら忘れ切ってしまった哀れな被害者・・・・・・イザベラがこの人物をどのように操ったかは、過去のイザベラの手際から勝手にご想像頂くとしよう。
それに付けても、そんな被害者を作り出してしまうイザベラは、やはり魔性の女と呼ばないわけには行かないようだ。
イザベラに関わった為に、かつて王女エレナに仕えていた女官シンバは王女暗殺の片棒を担がされて牢にぶち込まれた。そして、その後・・・・・・はて、どうなったのか。
実はずっと牢に入れられていたのだが、国王死去の後の政変の最中に釈放されていた。
太后モスカによって恩赦の命が下されたていたのであった。
モスカにとってエレナは憎っくき前王妃の娘、八つ裂き細切れにしても飽き足らぬほどの憎悪を見せ付けたのもついこの間。
敵の敵は味方に違いないと単純に釈放を命じたのであった。
おっと、王女エレナの為に一言弁じて置かねばなるまい。エレナとてシンバの身を気の毒に思わなかったわけでは無かった。彼女は彼女でシンバの早期釈放を訴えていたのだが、その時権力を握っていた宰相ラシャレーが頑として許さなかったのだ。
その後、エレナは大波乱に飲み込まれて、シンバの事どころでなくなったのは御存じの通り。
さて、晴れて自由と身となったシンバであったが、目出たし、目出たしとは終われなかった。太后モスカに招かれて、エレナについてどう思っているか尋ねられた、この面白みの無い元女官は、『王女様は見目美しく、心優しきお方、牢に入れられた事など少しも怨みに思わない。ただただ御身を案じています』てな事を、あろう事か、モスカに言ってしまったからたまらない。
憎っくきエレナを殺そうとしたればこそ不敏に思い、自由の身にしてやった腹づもりのモスカの小癪どころか大癪に触って処刑されてしまった。火炙りであった。哀れ、言葉も無し。
話を戻そう。身を晦ませたイザベラは、『ボンボン酒場』で酒を飲んでいた。
きつそうな蒸留酒を小さなタンブラーでクイッと飲み干しているイザベラは濃紺のマントを羽織って、三角頭の鍔広帽をカウンターに置いていた。これで杖でも有れば、魔性の女ならぬ魔女の出来上がりである。
「随分、奇天烈な衣裳だが。そんななりで、表を歩いてたら、間者狩りの連中の格好の的になるのではないかね。」
店主のウージが辺りを憚るように小さな声で言った。
「大丈夫さ。こんな目立つ格好した間者なんていないから、反って怪しまれないもんさ。毛色の変わった娼婦って事で誤魔化すさ。」
サラリと小声で答えると、イザベラは足を組み替えた。羽織っただけのマントの下には胸の谷間も露わに切り込まれた朱いTシャツと深緑のホットパンツ(みたいな衣装)、形の良い足が肌も滑らかに覗いている上、服の上からも形良く張りの有りそうな胸がド迫力。
「うっ。」
とウージは目を逸らせた。少し悩殺気味の様子。
「うふふ、馬鹿な兵士を色仕掛けで誑かすにはもって来いだろう。」
艶っぽい瞳で流し目をくれながら、イザベラは笑った。
「・・・・・・が、此処もぼちぼち間者狩りの連中に怪しまれている様子、仮に奴らに踏み込まれても庇わないし、あんたはただの客で通すからな。」
「当たり前さ。迷惑は掛けないよ。そっちこそ、危なくなる前に店仕舞いするのを奨めるよ。ん?・・・・・・何かヤバい風を感じた。おイトマするよ。」
イザベラは更に一杯干すと立ち上がって目深に帽子を被った。
戸口から外に出ると、どうも様子がおかしい。正面から十数人の兵士を率いた明らかに将校と思われる出で立ちをした男が歩いて来るのが見えた。
三十歳前後に見えるその将校は左右の腰に刃渡り五十センチ程に見える剣を一本づつ吊っていた。
イザベラはふらふらと千鳥足でその将校に近づくと、
「おーや、いい男ー、アタシさあ、今夜はすっかり坊主で大人しく帰ろうとしてたところ。」
と馴れ馴れしく話し掛けた。
「良かったら、アタシを買ってくんない。とってもいい気持ちにさせてあげるからさあ。何でもさせてあげるよ。」
イザベラは上目遣いに少し呂律の回らぬ口調でそう言うと、自分の下半身を相手に密着させるようにしなだれかかった。
将校はスルリと身を躱し、軽くイザベラを突き放しながら、
「生憎だが、アバズレの売笑婦を相手にするほど不自由はしていない。」
と蔑むように言った。
イザベラはヨロヨロと三歩後ろずさって尻餅をつき、
「何だって、ふん、気取るんじゃないよ。女の上に乗っかってふんこらふんこらやった事がないわけじゃないだろうに、俺は忠義な軍人だってな澄ました顔しやがって。」
聞くに堪えない下卑た言葉で毒づいた。
「こいつ、何を言うか。」
将校に従っていた兵士がイザベラの肩を掴んで取り押さえる。
「放っておけ、そんな売女に関わってる暇は無い。」
「しかし、スザク連隊長。」
「いいから、放っておけ。ただの気違い女だ。」
スザクと呼ばれた将校は言い捨てると真っ直ぐに『ボンボン酒場』に向かった。
兵士はイザベラを引き起こすと、
「とっとと行っちまえ。」
と突き放した。イザベラを酔っ払いのアバズレ娼婦と頭から思い込んで、チラとも不審がる様子が無い。連隊長共々イザベラの迫真の演技にすっかり騙されている。
「馬鹿にしやがって、どいつもこいつもくたばっちまやいいんだ。」
イザベラは尚も毒づきながら、泥酔そのものといった風情で右に左に揺れながら、まんまとその場から立ち去った。
スザクと言えば、四天王の一人である。何をしに此処に来たかと言えば、『ボンボン酒場』は怪しいとの情報を聞き検閲にやって来たのであった。職務に精勤大いに結構であるが、真っ先にイザベラを見逃してしまうテイタラクでは、何しに出向いて来たのやら。
この夜、治外法権扱いであった『星と共に過ごす町』では、ステルポイジャン軍による大規模な間者狩りが行われた。
全く出し抜けに行われた一斉捜索に、てんやわんや、泰山鳴動の大騒ぎとなり、みっともない格好の最中に踏み込まれて周章狼狽の徒が続出。世の争いなど知らぬ顔で淫靡な愉しみに耽っていた輩には大いに迷惑千万な夜であった。
大掛かりな間者狩りであったが、イザベラは先の調子で網を摺り抜け、モルフィネスの放っていた群狼隊の面々は慎重に行動していた為、何とか網にかからないで済んでいた。
ウージは・・・・・・まことに気の毒な事に捕縛され、スザク達に連行されて行った。しかも、そのあおりで、彼の酒場を商売の場にしていた女達も連行されてしまったのである。
王宮に仕える者だろうか、身なりからすると、下働きの雑仕女のようであった。
「そこの女、待て。」
とビャッコは呼び止めた。
「何でございましょうか?」
いきなり呼び止められて、女は少し驚いた様子だ。
「俺はステルポイジャン閣下に仕えるビャッコと云う者だが、王宮に仕える者か?」
ビャッコは高圧的な尋問口調で言った。別人のような言葉遣いである。
「左様でございますが。」
「何処へ行くのか。」
「侍女頭の命で買い物に。」
「侍女頭、国王陛下のか。」
「左様です。」
「ふっ。」
一瞬の事であった。ビャッコは腰に吊った細身の剣を抜く手も見せず、女に突き出していた。
ツルギの切っ先は女の首筋を僅かによけ、首と肩との線が交わるところの衣服一枚の布の部分を刺し貫いている。
女は恐怖の為か、大きく目を見開き、やがてガチガチと歯を鳴らして震え始めた。
「おっかしいな。思い違いだっけ。」
スーッと剣を戻しながら、ビャッコは首を捻った。それから、
「怖い思いをさせて済まなかった。勘違いのようだった。これで服でも買って機嫌直してくんな。」
と剣を収め、女の足元に銀貨を一枚投げた。
ひいっ、と女は声にならぬ悲鳴を上げ、それでも地面の銀貨を慌ただしく拾い上げて走り去って行った。
その後ろ姿を見ながら、ビャッコは何度も首を捻っていた。
その女は辻を曲がった所で、立ち止まり、辻の角から顔を少し出して後ろを窺った。ビャッコの姿は無かった。ホッと胸を撫で下ろすと、足早に歩き出した。
さて、この女、本当に王宮に仕えるただの雑仕女なのであろうか。
いやその正体は誰あろうイザベラであった。
どういうツテを伝ったのか、イザベラは国王バブル七世に仕える侍女のその又下に仕える雑仕女として、王宮に潜り込んでいたのであった。
ビャッコはイザベラの身ごなしに尋常ならざる空気を感じ、雑仕女風情には思われず、試したのであった。
が、反射的に身を躱すか何かの動きをすると思った相手が、デクの棒のように反応せず、少し間をおいて震え出したのを見て、思い違いかと首を捻ったのであった。
(付けられている。)
少し歩いてイザベラはそう感じた。気配を消して追って来ているようだが、お尋ね者として場数を踏んで来たイザベラは見破っていた。付けて来るとしたら、ついさっきビャッコと名乗った男だろう。勘違いと見過ごしにしたかに見えたが、向こうは半信半疑だったようである。
侍女頭に命じられて買い物に行くと言うのは嘘ではなかった。
イザベラ──王宮内で何と名乗っているやら──が購入を命ぜられたのは耳かき棒であった。
『国王陛下の耳の中を掃除して差し上げる』のだと云う。自分の耳の掃除をさせるとは、侍女頭とバブル七世、ただならぬ仲のようである。まだ十六歳の若さながら、すっかり蕩児めいているようだ。
小間物屋に入るとしばらく物色した挙げ句、イザベラは銀の花飾りの付いた漆塗りの竹細工の耳かきを一つ買った。ゲッソリナ付近には漆塗りの製品はない。遠く南方から仕入れた物との事で少々値が張ったようだ。
イザベラは買い物を済ませ、真っ直ぐに王宮への戻り道を歩いた。
まだ、付けて来ているようである。
(まずいな、かなり腕の立つ奴らしいし、かと言って王宮に潜り込んで、まだ五日、敵の手の内が読めるほどの情報は掴んでない。)
イザベラは、王宮に戻りながら、思案していた。疑念を抱かれた以上長居は無用と感じられた。何しろ、ステルポイジャン軍は、間者狩りに躍起である。身元を調べられたら、それこそ一大事だ。
(仕方ない。折角潜り込んだが、直ぐにふけるとしよう。)
イザベラは、王宮に戻り侍女頭に下命された品物を届けると、しばらく王宮内にいたが、午後六時少し前に以前ハンベエが王女エレナに招かれて話を交わした庭園のベンチの前に現れた。
イザベラがやって来ると、ほどなく空から舞い降りて来た者がいた。
鴉のクーちゃんであった。
イザベラはそれを優しく抱え込み、懐に隠すと辺りを見回し、壁に立てかけててあった三メートルほどの竹棒を手に取り、ニ、三歩助走して、棒高跳びの要領でヒラリと王宮の外壁を躍り越えた。
ふわり、っと音もさせずに、壁の向こう側に降り立つや、夕闇の中に溶けるように消え去ってしまった。
明くる日、ビャッコからステルポイジャンを通じて、国王の侍女頭に雑仕女の中に不審な人間がいるので素性を確認するよう依頼がなされた。
丁度、女官連も前の晩に雑仕女が一人消え、不審を抱いているところであった。
すぐさまイザベラを紹介した者に確認が取られた。
だがしかし、駄菓子菓子、紹介した者はそんな者は知らないし、紹介した覚えもない、と狐につままれたような顔をした。
その態度には嘘偽りの様子は更々無く、真実全く知らないもののようであった。
と言って、『あー、知らないのね、じゃあ、しょうがないね。』・・・・・・と許してもらえるほど、今のゲッソリナ首脳は優しくない。牢にぶち込まれた挙げ句、連日に渡って拷問を加えられて弊死の憂き目となった。
イザベラを紹介していながら、すっかりその事すら忘れ切ってしまった哀れな被害者・・・・・・イザベラがこの人物をどのように操ったかは、過去のイザベラの手際から勝手にご想像頂くとしよう。
それに付けても、そんな被害者を作り出してしまうイザベラは、やはり魔性の女と呼ばないわけには行かないようだ。
イザベラに関わった為に、かつて王女エレナに仕えていた女官シンバは王女暗殺の片棒を担がされて牢にぶち込まれた。そして、その後・・・・・・はて、どうなったのか。
実はずっと牢に入れられていたのだが、国王死去の後の政変の最中に釈放されていた。
太后モスカによって恩赦の命が下されたていたのであった。
モスカにとってエレナは憎っくき前王妃の娘、八つ裂き細切れにしても飽き足らぬほどの憎悪を見せ付けたのもついこの間。
敵の敵は味方に違いないと単純に釈放を命じたのであった。
おっと、王女エレナの為に一言弁じて置かねばなるまい。エレナとてシンバの身を気の毒に思わなかったわけでは無かった。彼女は彼女でシンバの早期釈放を訴えていたのだが、その時権力を握っていた宰相ラシャレーが頑として許さなかったのだ。
その後、エレナは大波乱に飲み込まれて、シンバの事どころでなくなったのは御存じの通り。
さて、晴れて自由と身となったシンバであったが、目出たし、目出たしとは終われなかった。太后モスカに招かれて、エレナについてどう思っているか尋ねられた、この面白みの無い元女官は、『王女様は見目美しく、心優しきお方、牢に入れられた事など少しも怨みに思わない。ただただ御身を案じています』てな事を、あろう事か、モスカに言ってしまったからたまらない。
憎っくきエレナを殺そうとしたればこそ不敏に思い、自由の身にしてやった腹づもりのモスカの小癪どころか大癪に触って処刑されてしまった。火炙りであった。哀れ、言葉も無し。
話を戻そう。身を晦ませたイザベラは、『ボンボン酒場』で酒を飲んでいた。
きつそうな蒸留酒を小さなタンブラーでクイッと飲み干しているイザベラは濃紺のマントを羽織って、三角頭の鍔広帽をカウンターに置いていた。これで杖でも有れば、魔性の女ならぬ魔女の出来上がりである。
「随分、奇天烈な衣裳だが。そんななりで、表を歩いてたら、間者狩りの連中の格好の的になるのではないかね。」
店主のウージが辺りを憚るように小さな声で言った。
「大丈夫さ。こんな目立つ格好した間者なんていないから、反って怪しまれないもんさ。毛色の変わった娼婦って事で誤魔化すさ。」
サラリと小声で答えると、イザベラは足を組み替えた。羽織っただけのマントの下には胸の谷間も露わに切り込まれた朱いTシャツと深緑のホットパンツ(みたいな衣装)、形の良い足が肌も滑らかに覗いている上、服の上からも形良く張りの有りそうな胸がド迫力。
「うっ。」
とウージは目を逸らせた。少し悩殺気味の様子。
「うふふ、馬鹿な兵士を色仕掛けで誑かすにはもって来いだろう。」
艶っぽい瞳で流し目をくれながら、イザベラは笑った。
「・・・・・・が、此処もぼちぼち間者狩りの連中に怪しまれている様子、仮に奴らに踏み込まれても庇わないし、あんたはただの客で通すからな。」
「当たり前さ。迷惑は掛けないよ。そっちこそ、危なくなる前に店仕舞いするのを奨めるよ。ん?・・・・・・何かヤバい風を感じた。おイトマするよ。」
イザベラは更に一杯干すと立ち上がって目深に帽子を被った。
戸口から外に出ると、どうも様子がおかしい。正面から十数人の兵士を率いた明らかに将校と思われる出で立ちをした男が歩いて来るのが見えた。
三十歳前後に見えるその将校は左右の腰に刃渡り五十センチ程に見える剣を一本づつ吊っていた。
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「生憎だが、アバズレの売笑婦を相手にするほど不自由はしていない。」
と蔑むように言った。
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「何だって、ふん、気取るんじゃないよ。女の上に乗っかってふんこらふんこらやった事がないわけじゃないだろうに、俺は忠義な軍人だってな澄ました顔しやがって。」
聞くに堪えない下卑た言葉で毒づいた。
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将校に従っていた兵士がイザベラの肩を掴んで取り押さえる。
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「いいから、放っておけ。ただの気違い女だ。」
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と突き放した。イザベラを酔っ払いのアバズレ娼婦と頭から思い込んで、チラとも不審がる様子が無い。連隊長共々イザベラの迫真の演技にすっかり騙されている。
「馬鹿にしやがって、どいつもこいつもくたばっちまやいいんだ。」
イザベラは尚も毒づきながら、泥酔そのものといった風情で右に左に揺れながら、まんまとその場から立ち去った。
スザクと言えば、四天王の一人である。何をしに此処に来たかと言えば、『ボンボン酒場』は怪しいとの情報を聞き検閲にやって来たのであった。職務に精勤大いに結構であるが、真っ先にイザベラを見逃してしまうテイタラクでは、何しに出向いて来たのやら。
この夜、治外法権扱いであった『星と共に過ごす町』では、ステルポイジャン軍による大規模な間者狩りが行われた。
全く出し抜けに行われた一斉捜索に、てんやわんや、泰山鳴動の大騒ぎとなり、みっともない格好の最中に踏み込まれて周章狼狽の徒が続出。世の争いなど知らぬ顔で淫靡な愉しみに耽っていた輩には大いに迷惑千万な夜であった。
大掛かりな間者狩りであったが、イザベラは先の調子で網を摺り抜け、モルフィネスの放っていた群狼隊の面々は慎重に行動していた為、何とか網にかからないで済んでいた。
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