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1.転校生
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「あれ?転校生?」
出席番号が一番最後である私の右隣の、空っぽだったロッカーの新しい持ち主がやってきた。
閑散とした右隣に寂しさを覚えていた私は、そのロッカーの前に人が立っているということが嬉しく思えて、見つけるや否や声を掛けた。
サラサラの髪の毛を乱雑にまとめて眠そうにしているその少女は、いきなり声を掛けられたことに、多少動揺しているようだった。安心させようと満面の笑みで対応するが、私が微笑めば微笑むほど、彼女は私への警戒心を強くしているようだった。
「急に声掛けてごめん。私、柳瀬美月。名前は?」
彼女は私が言葉にした名前とロッカーの扉に貼られた名札を交互に見て、自分のロッカーの名札をちょいちょいと指さした。まだ警戒しているのか、言葉にしてはくれないらしい。
「渡辺七星…。ななせちゃん、でいい?」
私は彼女の名札を自分の目で確認してそう問う。彼女はうんともすんとも言わず、ただ目線だけを右斜め上に持ち上げて、はぁと怠そうにため息をついた。むむむ、これはなかなか手強いぞ。
私は割と誰にでも話しかける事が出来るタイプで、話しかけた時に受け入れてもらえるような話しかけ方を心がけているつもりである。だから基本友達はすぐできるし、みんなと長続きする。こんな風にあしらわれたのは初めてだった。
七星ちゃんは未だ言葉を発していないまま、空っぽのロッカーに自分の背負っていたカバンを割と強めに放り投げた。…多分一旦放置しておくのが吉だろう。そう思って、七星ちゃんに話しかけるのをやめ、自分のロッカーを開けた。
縦長のロッカーの中には教科書や筆記用具以外にも、困った時の為の生理用品やウエットティッシュ、ハンドタオルなんかも入っている。扉の裏にあみあみのポケットが付いていて、私はそこに友達から貰った手紙を沢山しまっていた。
「うわ、めっちゃ色々入ってるね。」
聞き馴染みの無い声が右隣から聞こえてきて、私は慌てて顔をあげる。自分のロッカーにカバンを放り投げたきり立ちっぱなしだった七星ちゃんが、私のロッカーを怪訝そうに覗いていた。私は七星ちゃんの方から言葉を発してくれた事が嬉しくて、つい距離を詰めてしまう。
「そうでしょ!色々あるから困った時はいつでも言ってよね。」
先程よりも近づいた私に、七星ちゃんはあからさまに背を反らした。
「あぁ、すごい。やさしいんだね」
半笑いでそう言われて、褒め言葉のはずなのに腹が立った。馬鹿にしたような、嫌味っぽい言い方。なによと言いたいけれど、「優しい」というのは一応褒め言葉に分類されるわけで。そう思うと出かかった言葉はグッと下へ押し込まれた。
「そう?ありがと。」
怒っても仕方が無いし、とりあえず気にしてない素振りで礼を述べた。
私の返答もさほど気にしていない様子の七星ちゃんは、今まで誰も座っていなかった空席についた。周りの子に自ら挨拶する素振りもなく、挨拶をされても無言で頭を雑に下げるだけ。
なんなんだあの子。
あんな、自分の嫌な感情?性格?を丸出しにしているというかぶつけてくるというか、そんなタイプの子は初めてだった。
あの子がレアなのか、穏やかな人間関係に慣れている私がぬるいのか、どちらだろう。
普通、見慣れない転校生がいる教室はその子を囲ってワイワイするものだと思っていたが、彼女のそういう態度があってか、誰も彼女に話しかけようとしなかった。
寂しくないのだろうか。恐らく私とは違う感覚を持っているであろう彼女の背中から、目が離せなくなっていた。
「はーい、席ついて。」
年齢の割に軽い足取りの担任が教室に入ってくる。ザワザワと別々のことを話していた教室が一旦静かになり、おはようございますと渋々な挨拶をする。先程までの活気を知らない先生は、気怠げそうに自分を迎えた生徒達に、今日も眠そうだなお前らと言って笑った。
「もうみんな挨拶したかもしれないが、今日から転校生が来ている。えぇと、名前は渡辺七星さんだ。ほら、立って。みんなに自己紹介を。」
お決まりのような感じで発言者の方向に体を向ける私達の視線を感じた七星ちゃんは、思いの外シャキッと立ち上がった。
「渡辺七星です。隣の県から引っ越して来ました。少し人見知りな部分があって最初はぶっきらぼうに見えると思うのですが、少しずつ慣れていきたいと思っています。よろしくお願いします。」
朝のあの不機嫌そうな態度を一瞬記憶から消しかけるくらいに、愛想良くスラスラと述べられた自己紹介。先程は見られなかった彼女の微笑みを目にして、私は彼女に一気に惹き込まれた。
可愛かったとか、優しそうだったとかじゃない。まるで自己紹介の為に準備していたかのような、不自然な笑みに見えた。
彼女の奥に何かがありそうで、私はその闇というほど暗くは無いけれど、謎というには俗すぎる彼女の「本質」みたいなものに触れたくて堪らなくなった。
彼女の表情をそう深読みしている人は多くなく、「なんだ普通の子じゃん」と言った具合に、拍手が起こった。彼女の隣の席に座っている高木くんが声を掛けている。七星ちゃんは高木くんの声かけに笑い掛けていた。
「え、高木くん相手にはあの笑顔出来るの?」
ロッカーで声を掛けた時の、あの怠そうな視線を思い出す。一番最初に声を掛けた私はまだ、彼女から微笑みを貰えていない。心の奥底が熱くなるような、なんとなく嫌な感情が芽生えた事を自覚した。
それから数日、ロッカーが隣になった彼女とは特段仲良くなる事は無かったが、気の張りが緩んだのか、初日のような荒れた態度は向けられなかった。
周りの席の子ともコミュニケーションは取っているようだったが、休み時間を誰かと過ごすということは無く、どこか周りに壁を作っているように思えた。
ああいうタイプは変に壁を壊そうとしない方がいい。きっと壁を作っているのには何か理由があるから、それを無理やり壊してしまうという事はしてはいけないと思う。でもいつか、彼女の作り上げた壁のどこかに、扉でも付けられたらいいなと思う。彼女がこちらを行ったり来たりして、私達もノックすれば彼女に会いに行けるような、そんな扉ができたらいいな。
窓際後方の席に腰を据える私は、廊下側前方の席に座って黒板を眺める彼女を横目で見つめていた。
「美月、次移動教室だよ。一緒に行こう。」
ぼんやりとしていると、普段仲良くしてくれている蘭ちゃんと結衣ちゃんが席にやって来た。こうして自分を誘ってくれる存在がいて、私は恵まれていると思う。
二人の呼びかけに、うんと返して、立ち上がると同時に膝裏で椅子を軽く押し退けた。
扉の方に体を向けて、七星ちゃんの存在が目に入る。
そういえば、彼女がこの学校に来てからは初めての移動教室では無いだろうか。場所分かるのかな、と気がかりになる。どうしようか迷って、重心を右と左で行ったり来たりさせている私を、蘭ちゃんと結衣ちゃんは不思議そうに見ていた。二人から送られる、疑問符な視線に応えるべく、私は意を決した。
「蘭ちゃん結衣ちゃん、今回の移動教室、七星ちゃんも誘ってみていいかな?きっとまだあまり校舎のこと分かっていないだろうから…。」
私の問いかけに、一瞬二人は記憶を巡らせているようだった。二人とも目を合わせた状態で、宙を仰いだり俯いたり、そんなことをコンマ数秒でやってから頷いた。
「全然良いけど、美月初日に結構な態度取られてなかった?」
蘭ちゃんの整った眉尻が下がる。二人の意味有りげな視線は、私に対する心配からくるものだったようだ。私は二人の優しさに思わず笑みを溢して見せた。
「あんなの初日で緊張してただけだろうから、全然大丈夫!せっかくだから七星ちゃんとも仲良くなりたいし。」
そういうと二人は、私の対面に位置していたのを、私の両サイドに移動した。私は二人に挟まれながら、相変わらず年相応な爽やかさのない七星ちゃんの元へ向かった。
「七星ちゃん。」
代表して、私が彼女の名前を呼んだ。七星ちゃんは、こちらを振り返って、また気怠げにため息をついた。その表情は、「またお前か」という意味を含んでいるようにも見えた。
私は負けじと笑ってみせる。思い通りにいかないとこうも悔しいものなのか。彼女に笑いかけるのも、善意というより意地だった。
「移動教室初めてでしょ?今回だけ一緒に行かない?」
そういうと、七星ちゃんは私と私を挟む二人を順番に見た。蘭ちゃんと結衣ちゃんの体が強張るのが分かる。私は安心させるように二人の手をそれぞれ優しく握った。
「うん、じゃあよろしく。」
快諾というには間が空いているが、でもまあ特段嫌そうな感じでもなかった。私の右側に立っていた結衣ちゃんが自然を装って蘭ちゃんの隣へ移動した。
私の右側がまた空いた。
そしてそこに、ごく自然な流れで七星ちゃんが来た。なんとなく毛嫌いされているように感じていたので、あ、隣に来てくれるんだと少し嬉しかった。
「今回の音楽って、時の旅人のパート練だっけ?」
なかなか会話が始まらないので、まずは言い出しっぺの私が話題を出してみる。私の問いに蘭ちゃんと結衣ちゃんは頷く。
「そうだったよ。まだあんまり覚えてないなあ。」
結衣ちゃんが腕に抱えていた楽譜や教科書に顔を埋めて言う。そんな姿に蘭ちゃんも私も笑う。
「わかる、なんか一個むずいとこあるよね。」
同意を示す蘭ちゃんの言葉に、私はあぁとだけ返す。結衣ちゃんはそうそうと興奮気味に乗り出す。二人が難しいと思うパートをせーので歌って、やっぱり同じだと笑った。
私の右側に少し空白が出来ているのが分かる。誘っておいて一人にさせたらダメじゃん。私はケラケラ笑いが止まらない二人をそのままに、七星ちゃんに話を振った。
「私たちは三人ともソプラノなんだけど、七星ちゃんは合唱の時どっちが多かった?」
私が七星ちゃんに話を振った瞬間、彼女の表情が変わるのが分かった。切り替わる瞬間ギリギリ見えた、二人に向けた突き刺すような視線にゾクッとした。瞬時にその視線を直した彼女を気遣って、私も平静を装った。
「あー、あんまりちゃんとやった事ないから別にどっちでも良いんだけど、でも高い音出ないしアルトが多いかな。」
目こそ合わないが、やっと成り立たせることができた会話に、私はこっそりとガッツポーズする。
「へえ、そうなんだ。喋ってると声は低くなく聞こえるけど、音域となるとまた別なのかな。」
私の言葉に七星ちゃんは、そうそうと声にならない位の相槌を打った。言葉じゃなくても、私の言葉に正しく返事が来ることが嬉しくて、話しかけたい気持ちがドクドクと溢れ出してくるのが分かった。液体でもないのに脈打つこの感覚が気持ち悪くも快感だった。
ふと隣で話す二人が気になって目線を移すと、二人は私たちの会話なんて一つも聞いていない様子で、二人は二人で盛り上がっているようだった。
「そういえばこの前のパート練で陸がさぁ。」
蘭ちゃんが、私も話し相手として入っているのかいないのか判断しにくい声の向きで話す。とりあえず私も相槌を打っておく。私の相槌を見て続きを話し始めたので、どうやら私も会話の中の一人という認識で良かったようだ。
「陸?」
私の右隣から、探るような声が聞こえてきた。まだ転校してきて一週間も経っていないのだから、クラスメイトの名前が分からなくても無理は無い。蘭ちゃんの話を結衣ちゃんも聞いていることを確認して、私は七星ちゃんの方を向いた。
「高木くんだよ。ほら、七星ちゃんの隣の席の。」
そういうと、七星ちゃんは顎に手を添えてしばらく考える素振りをした。何度か話している姿を見掛けていたので、苗字を聞いてもピンとこない様子に戸惑った。それから数秒待つと、彼女は豆電球が降りてきたかのようにピンと指を立てた。
「あぁ。分かった。何度か話したわ。」
彼女の記憶力がギリ正常のラインにいることが分かり安堵する。
「高木くんは声が高くて綺麗だから、男子の中で唯一ソプラノなんだよね。」
七星ちゃんは、ふぅんと言うように唇を前にとんがらせた。私の言葉を聞き取った結衣ちゃんがそうそうと相槌を打ってくれた。
「陸は見た目も可愛い系だし声変わりもまだだから、女子から人気なんだよぉ」
蘭ちゃんが、初めて七星ちゃんに向かって話した。七星ちゃんも一応蘭ちゃんの方に視線を向けて、会話を成り立たせようとしていた。
「へぇ、じゃあ結構モテるんだ?」
七星ちゃんがそういうと、蘭ちゃんと結衣ちゃんは半笑いでうぅんと間を置いた。微妙な笑みのまま二人は顔を合わせて首を傾げるような仕草をとってから、結衣ちゃんが話した。
「モテるっていうか、赤ちゃんみたいに可愛がられてるって感じ?」
私は高木くんが自身の中性的な印象にコンプレックスを持っていることを知っているので、正直この話題はあまり広げたくなかった。
ただ変に止めて微妙な空気にして私の一存で彼の立場を奪ってしまうのも怖いので、基本この手の話題には参加しない形で自分の立ち位置を保っている。高木くんもそういう私の立ち位置を理解して、そのままそうして欲しいと言ってくれている。
「それってバカにしてるのとは違うの?」
刺々しさを増した七星ちゃんの言葉が、盛り上がっている二人の空間を刺した。二人は表情を凍り付かせて七星ちゃんの方を見た。七星ちゃんは何の悪意もない素っ頓狂な顔でいる。その顔に、蘭ちゃんは大層腹を立てた様子だった。
こりゃ今後四人では居られないな。
せっかくみんなで話すことができたのに、と肩を落とす。自分が今まで言わないことで保ってきた平和を、七星ちゃんはいとも簡単に壊してしまった。
もしここに高木くんが居たらどう思っただろう。私は高木くんと悪意なく高木くんを「いじる」みんなの立場を配慮して、話に参加しない形を取っているが、果たしてそれで正解なのだろうか。
本当は七星ちゃんみたいにはっきりと否定してくれる人を待っているんじゃないか。
今まで内側に秘めていた想いを七星ちゃんが言ってくれてスッキリしたような気持ちと、その分できた隙間に、新たなモヤモヤが埋まっていくのを感じた。
出席番号が一番最後である私の右隣の、空っぽだったロッカーの新しい持ち主がやってきた。
閑散とした右隣に寂しさを覚えていた私は、そのロッカーの前に人が立っているということが嬉しく思えて、見つけるや否や声を掛けた。
サラサラの髪の毛を乱雑にまとめて眠そうにしているその少女は、いきなり声を掛けられたことに、多少動揺しているようだった。安心させようと満面の笑みで対応するが、私が微笑めば微笑むほど、彼女は私への警戒心を強くしているようだった。
「急に声掛けてごめん。私、柳瀬美月。名前は?」
彼女は私が言葉にした名前とロッカーの扉に貼られた名札を交互に見て、自分のロッカーの名札をちょいちょいと指さした。まだ警戒しているのか、言葉にしてはくれないらしい。
「渡辺七星…。ななせちゃん、でいい?」
私は彼女の名札を自分の目で確認してそう問う。彼女はうんともすんとも言わず、ただ目線だけを右斜め上に持ち上げて、はぁと怠そうにため息をついた。むむむ、これはなかなか手強いぞ。
私は割と誰にでも話しかける事が出来るタイプで、話しかけた時に受け入れてもらえるような話しかけ方を心がけているつもりである。だから基本友達はすぐできるし、みんなと長続きする。こんな風にあしらわれたのは初めてだった。
七星ちゃんは未だ言葉を発していないまま、空っぽのロッカーに自分の背負っていたカバンを割と強めに放り投げた。…多分一旦放置しておくのが吉だろう。そう思って、七星ちゃんに話しかけるのをやめ、自分のロッカーを開けた。
縦長のロッカーの中には教科書や筆記用具以外にも、困った時の為の生理用品やウエットティッシュ、ハンドタオルなんかも入っている。扉の裏にあみあみのポケットが付いていて、私はそこに友達から貰った手紙を沢山しまっていた。
「うわ、めっちゃ色々入ってるね。」
聞き馴染みの無い声が右隣から聞こえてきて、私は慌てて顔をあげる。自分のロッカーにカバンを放り投げたきり立ちっぱなしだった七星ちゃんが、私のロッカーを怪訝そうに覗いていた。私は七星ちゃんの方から言葉を発してくれた事が嬉しくて、つい距離を詰めてしまう。
「そうでしょ!色々あるから困った時はいつでも言ってよね。」
先程よりも近づいた私に、七星ちゃんはあからさまに背を反らした。
「あぁ、すごい。やさしいんだね」
半笑いでそう言われて、褒め言葉のはずなのに腹が立った。馬鹿にしたような、嫌味っぽい言い方。なによと言いたいけれど、「優しい」というのは一応褒め言葉に分類されるわけで。そう思うと出かかった言葉はグッと下へ押し込まれた。
「そう?ありがと。」
怒っても仕方が無いし、とりあえず気にしてない素振りで礼を述べた。
私の返答もさほど気にしていない様子の七星ちゃんは、今まで誰も座っていなかった空席についた。周りの子に自ら挨拶する素振りもなく、挨拶をされても無言で頭を雑に下げるだけ。
なんなんだあの子。
あんな、自分の嫌な感情?性格?を丸出しにしているというかぶつけてくるというか、そんなタイプの子は初めてだった。
あの子がレアなのか、穏やかな人間関係に慣れている私がぬるいのか、どちらだろう。
普通、見慣れない転校生がいる教室はその子を囲ってワイワイするものだと思っていたが、彼女のそういう態度があってか、誰も彼女に話しかけようとしなかった。
寂しくないのだろうか。恐らく私とは違う感覚を持っているであろう彼女の背中から、目が離せなくなっていた。
「はーい、席ついて。」
年齢の割に軽い足取りの担任が教室に入ってくる。ザワザワと別々のことを話していた教室が一旦静かになり、おはようございますと渋々な挨拶をする。先程までの活気を知らない先生は、気怠げそうに自分を迎えた生徒達に、今日も眠そうだなお前らと言って笑った。
「もうみんな挨拶したかもしれないが、今日から転校生が来ている。えぇと、名前は渡辺七星さんだ。ほら、立って。みんなに自己紹介を。」
お決まりのような感じで発言者の方向に体を向ける私達の視線を感じた七星ちゃんは、思いの外シャキッと立ち上がった。
「渡辺七星です。隣の県から引っ越して来ました。少し人見知りな部分があって最初はぶっきらぼうに見えると思うのですが、少しずつ慣れていきたいと思っています。よろしくお願いします。」
朝のあの不機嫌そうな態度を一瞬記憶から消しかけるくらいに、愛想良くスラスラと述べられた自己紹介。先程は見られなかった彼女の微笑みを目にして、私は彼女に一気に惹き込まれた。
可愛かったとか、優しそうだったとかじゃない。まるで自己紹介の為に準備していたかのような、不自然な笑みに見えた。
彼女の奥に何かがありそうで、私はその闇というほど暗くは無いけれど、謎というには俗すぎる彼女の「本質」みたいなものに触れたくて堪らなくなった。
彼女の表情をそう深読みしている人は多くなく、「なんだ普通の子じゃん」と言った具合に、拍手が起こった。彼女の隣の席に座っている高木くんが声を掛けている。七星ちゃんは高木くんの声かけに笑い掛けていた。
「え、高木くん相手にはあの笑顔出来るの?」
ロッカーで声を掛けた時の、あの怠そうな視線を思い出す。一番最初に声を掛けた私はまだ、彼女から微笑みを貰えていない。心の奥底が熱くなるような、なんとなく嫌な感情が芽生えた事を自覚した。
それから数日、ロッカーが隣になった彼女とは特段仲良くなる事は無かったが、気の張りが緩んだのか、初日のような荒れた態度は向けられなかった。
周りの席の子ともコミュニケーションは取っているようだったが、休み時間を誰かと過ごすということは無く、どこか周りに壁を作っているように思えた。
ああいうタイプは変に壁を壊そうとしない方がいい。きっと壁を作っているのには何か理由があるから、それを無理やり壊してしまうという事はしてはいけないと思う。でもいつか、彼女の作り上げた壁のどこかに、扉でも付けられたらいいなと思う。彼女がこちらを行ったり来たりして、私達もノックすれば彼女に会いに行けるような、そんな扉ができたらいいな。
窓際後方の席に腰を据える私は、廊下側前方の席に座って黒板を眺める彼女を横目で見つめていた。
「美月、次移動教室だよ。一緒に行こう。」
ぼんやりとしていると、普段仲良くしてくれている蘭ちゃんと結衣ちゃんが席にやって来た。こうして自分を誘ってくれる存在がいて、私は恵まれていると思う。
二人の呼びかけに、うんと返して、立ち上がると同時に膝裏で椅子を軽く押し退けた。
扉の方に体を向けて、七星ちゃんの存在が目に入る。
そういえば、彼女がこの学校に来てからは初めての移動教室では無いだろうか。場所分かるのかな、と気がかりになる。どうしようか迷って、重心を右と左で行ったり来たりさせている私を、蘭ちゃんと結衣ちゃんは不思議そうに見ていた。二人から送られる、疑問符な視線に応えるべく、私は意を決した。
「蘭ちゃん結衣ちゃん、今回の移動教室、七星ちゃんも誘ってみていいかな?きっとまだあまり校舎のこと分かっていないだろうから…。」
私の問いかけに、一瞬二人は記憶を巡らせているようだった。二人とも目を合わせた状態で、宙を仰いだり俯いたり、そんなことをコンマ数秒でやってから頷いた。
「全然良いけど、美月初日に結構な態度取られてなかった?」
蘭ちゃんの整った眉尻が下がる。二人の意味有りげな視線は、私に対する心配からくるものだったようだ。私は二人の優しさに思わず笑みを溢して見せた。
「あんなの初日で緊張してただけだろうから、全然大丈夫!せっかくだから七星ちゃんとも仲良くなりたいし。」
そういうと二人は、私の対面に位置していたのを、私の両サイドに移動した。私は二人に挟まれながら、相変わらず年相応な爽やかさのない七星ちゃんの元へ向かった。
「七星ちゃん。」
代表して、私が彼女の名前を呼んだ。七星ちゃんは、こちらを振り返って、また気怠げにため息をついた。その表情は、「またお前か」という意味を含んでいるようにも見えた。
私は負けじと笑ってみせる。思い通りにいかないとこうも悔しいものなのか。彼女に笑いかけるのも、善意というより意地だった。
「移動教室初めてでしょ?今回だけ一緒に行かない?」
そういうと、七星ちゃんは私と私を挟む二人を順番に見た。蘭ちゃんと結衣ちゃんの体が強張るのが分かる。私は安心させるように二人の手をそれぞれ優しく握った。
「うん、じゃあよろしく。」
快諾というには間が空いているが、でもまあ特段嫌そうな感じでもなかった。私の右側に立っていた結衣ちゃんが自然を装って蘭ちゃんの隣へ移動した。
私の右側がまた空いた。
そしてそこに、ごく自然な流れで七星ちゃんが来た。なんとなく毛嫌いされているように感じていたので、あ、隣に来てくれるんだと少し嬉しかった。
「今回の音楽って、時の旅人のパート練だっけ?」
なかなか会話が始まらないので、まずは言い出しっぺの私が話題を出してみる。私の問いに蘭ちゃんと結衣ちゃんは頷く。
「そうだったよ。まだあんまり覚えてないなあ。」
結衣ちゃんが腕に抱えていた楽譜や教科書に顔を埋めて言う。そんな姿に蘭ちゃんも私も笑う。
「わかる、なんか一個むずいとこあるよね。」
同意を示す蘭ちゃんの言葉に、私はあぁとだけ返す。結衣ちゃんはそうそうと興奮気味に乗り出す。二人が難しいと思うパートをせーので歌って、やっぱり同じだと笑った。
私の右側に少し空白が出来ているのが分かる。誘っておいて一人にさせたらダメじゃん。私はケラケラ笑いが止まらない二人をそのままに、七星ちゃんに話を振った。
「私たちは三人ともソプラノなんだけど、七星ちゃんは合唱の時どっちが多かった?」
私が七星ちゃんに話を振った瞬間、彼女の表情が変わるのが分かった。切り替わる瞬間ギリギリ見えた、二人に向けた突き刺すような視線にゾクッとした。瞬時にその視線を直した彼女を気遣って、私も平静を装った。
「あー、あんまりちゃんとやった事ないから別にどっちでも良いんだけど、でも高い音出ないしアルトが多いかな。」
目こそ合わないが、やっと成り立たせることができた会話に、私はこっそりとガッツポーズする。
「へえ、そうなんだ。喋ってると声は低くなく聞こえるけど、音域となるとまた別なのかな。」
私の言葉に七星ちゃんは、そうそうと声にならない位の相槌を打った。言葉じゃなくても、私の言葉に正しく返事が来ることが嬉しくて、話しかけたい気持ちがドクドクと溢れ出してくるのが分かった。液体でもないのに脈打つこの感覚が気持ち悪くも快感だった。
ふと隣で話す二人が気になって目線を移すと、二人は私たちの会話なんて一つも聞いていない様子で、二人は二人で盛り上がっているようだった。
「そういえばこの前のパート練で陸がさぁ。」
蘭ちゃんが、私も話し相手として入っているのかいないのか判断しにくい声の向きで話す。とりあえず私も相槌を打っておく。私の相槌を見て続きを話し始めたので、どうやら私も会話の中の一人という認識で良かったようだ。
「陸?」
私の右隣から、探るような声が聞こえてきた。まだ転校してきて一週間も経っていないのだから、クラスメイトの名前が分からなくても無理は無い。蘭ちゃんの話を結衣ちゃんも聞いていることを確認して、私は七星ちゃんの方を向いた。
「高木くんだよ。ほら、七星ちゃんの隣の席の。」
そういうと、七星ちゃんは顎に手を添えてしばらく考える素振りをした。何度か話している姿を見掛けていたので、苗字を聞いてもピンとこない様子に戸惑った。それから数秒待つと、彼女は豆電球が降りてきたかのようにピンと指を立てた。
「あぁ。分かった。何度か話したわ。」
彼女の記憶力がギリ正常のラインにいることが分かり安堵する。
「高木くんは声が高くて綺麗だから、男子の中で唯一ソプラノなんだよね。」
七星ちゃんは、ふぅんと言うように唇を前にとんがらせた。私の言葉を聞き取った結衣ちゃんがそうそうと相槌を打ってくれた。
「陸は見た目も可愛い系だし声変わりもまだだから、女子から人気なんだよぉ」
蘭ちゃんが、初めて七星ちゃんに向かって話した。七星ちゃんも一応蘭ちゃんの方に視線を向けて、会話を成り立たせようとしていた。
「へぇ、じゃあ結構モテるんだ?」
七星ちゃんがそういうと、蘭ちゃんと結衣ちゃんは半笑いでうぅんと間を置いた。微妙な笑みのまま二人は顔を合わせて首を傾げるような仕草をとってから、結衣ちゃんが話した。
「モテるっていうか、赤ちゃんみたいに可愛がられてるって感じ?」
私は高木くんが自身の中性的な印象にコンプレックスを持っていることを知っているので、正直この話題はあまり広げたくなかった。
ただ変に止めて微妙な空気にして私の一存で彼の立場を奪ってしまうのも怖いので、基本この手の話題には参加しない形で自分の立ち位置を保っている。高木くんもそういう私の立ち位置を理解して、そのままそうして欲しいと言ってくれている。
「それってバカにしてるのとは違うの?」
刺々しさを増した七星ちゃんの言葉が、盛り上がっている二人の空間を刺した。二人は表情を凍り付かせて七星ちゃんの方を見た。七星ちゃんは何の悪意もない素っ頓狂な顔でいる。その顔に、蘭ちゃんは大層腹を立てた様子だった。
こりゃ今後四人では居られないな。
せっかくみんなで話すことができたのに、と肩を落とす。自分が今まで言わないことで保ってきた平和を、七星ちゃんはいとも簡単に壊してしまった。
もしここに高木くんが居たらどう思っただろう。私は高木くんと悪意なく高木くんを「いじる」みんなの立場を配慮して、話に参加しない形を取っているが、果たしてそれで正解なのだろうか。
本当は七星ちゃんみたいにはっきりと否定してくれる人を待っているんじゃないか。
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