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28・渚清治
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僕の中でどこか奇妙だった生活が、また少し奇妙になった。そんな、六月に入った月曜日――。
「やあ真二君、おはよう」
「ああ、渚君。おはよう。二郷木さんは?」
「明日香なら、午前中は休講と言ってましたよ。真二君はどうして? 同じ授業じゃなかったんですか?」
なんてことだ。唯一の朝一授業なのに、掲示板を見逃していた。なぜかこういうところでアナログな学校なのだ。
しょげていると、
「どうやらお暇ができたようですね。よろしかったら朝のお茶会にでもしませんか」
「え? でも渚君の一限目は――」
「サボりますよ。こんな機会はありませんから」
外見から『サボる』という言葉の似合わない優等生の顔がそう言った。
缶コーヒーを買ってテラスへ出ると、さすがに生徒もまばらだ。
「ああ。授業もたまには抜け出してみるものですねえ。爽やかな朝です」
彼は丸テーブルに右ひじをついて優しく微笑む。
「そういえば、バイト続いてるんだっけ」
「ええ」
「二郷木さんも言ってたけど、大変じゃないの?」
渚君は缶コーヒーを一口飲むと、
「大変じゃない仕事はありません。それゆえの対価としてバイト代が入るんですから。それでも働くのは苦になりません。四時間のシフトもあっという間に終わります。結構、楽しんでるんですよ」
さらりと言ってのけた。その顔は爽やかそのものだ。二郷木さんの存在がなければ大モテだったろう。彼女は渚君と歩く時、常に周囲の女子を鋭い視線でけん制している。誰もがビビッて挨拶もしない。
「それで真二君。最近増えたお友達とは仲よくしてますか?」
「え?」
「東横瑞奈さんです。彼女、高校でも友達がいた様子がありませんでしたからね。浮いているというよりは迷彩服を着こんだ兵士のようでしたから」
確かに。気づいたらそこにいて、気づいたらいなくなっている。カメレオンのようだ。
「田村さんとは仲いいみたいだよ」
猫のお守りの件は隠した。
「どこか似ていますからね、あのお二人。儚げな感じが」
それは田村さんの本性を知らないからだ。言っちゃなんだけれど、彼女は逞しい部類だと思う。
「渚君は、二郷木さんとはどれくらいつき合ってるの?」
何も考えずに訊ねたが、
「出会ったのは五つの時ですからね。家族ぐるみのおつき合いで。だから、いつから、という感じはないんです。いつの間にか、というやつです」
幼馴染み路線か。本当にあるんだな。と思っていると、
「真二君と田村さんはどうなんです? いつからのおつき合いで?」
「えっ? 田村さんはそういうのじゃなくて――」
「聞きましたよ。あなたと同じ大学に行きたくてここを選んだと」
「それは……」
田村さんならこんな時「あ! UFO!」とか指さして逃げ出すんだろうが、僕にはできなかった。高校時代のことを話すと、渚君は難しい顔になった。母の話を避けて通れなかったからだ。僕は最近、母のことについて口が軽くなっている気がする。
「それは不思議な御縁ですね。恋人なんて軽い言葉でくくれない深さと重みがあります。野暮な話に答えてくれてありがとうございます。それにしても、お二人の親密さは見ていて心が和みます。とてもお似合いだと思いますよ――」
渚君とはテラスで別れて(午前中は暇だな。どうしよう)と思っていると、入れ替わりで田村さんがやって来た。
「朝からイケメンとデートだったのね。そこで彼が教えてくれたわ」
「たまたまだよ。掲示板見逃してて」
「じゃあ、次はイケジョの私がお相手してあげるわ。サボりで」
「いいよ。サボってまでつき合わなくて」
「ウソよ。今日は残り午後からなの。早メシにしようかと思って」
まだ十時半だ。
「どうせ、朝はコーヒーだけだったろ。遅い朝食にしたら」
「そうね。たまには早弁もいいわね」
東横さん手製のお弁当か。
ガランとした食堂で弁当を食べる彼女を向かいに座って眺めていた。左利き。一口の量が多い。。二口食べると必ず一度水を飲む。卵焼きは最後にまとめて食べる。
「ふう。時間が早いと何か変わると思ったけれど、何もなかったわ」
「静けさだけはあったけど――」
「それで、渚君とは何をお話していたの? 私の話? 二郷木さんの話?」
そのどちらも話した。
「バイトのこととかね」
「彼、不思議だわ。時々、ヒトに見えないもの」
唐突なセリフだ。
「ちょっと、そういう感じはあるけどね。話すと普通だよ」
「どうして二郷木さんなんかとつき合ってるのかしら」
「その言い方はひどいんじゃないかな。幼馴染みだって聞いたよ」
「そういう意味じゃないの。彼女、本当に渚君のことが好きなのかってこと。まあ、この言い方もひどいのでしょうけれど」
言われると腑に落ちる。どこかいつも二郷木さんは渚君を振り回しているだけのように思える。
「人の恋路の話はいいよ。それより東横さんなんだけど、すごいマリィが懐いてて。勉強してるとトコトコやって来て膝の上に乗るんだ」
「分かるわ。竜崎君、妬いているのね。あなたにはチョビを乗せる権利を与える」
そうじゃない。
「私が乗ってあげてもいいのよ」
だからそうじゃない。
「じゃあ、僕は一度教室に行って午後の準備するから。それから、渚君につき合ってくれてありがとうって。伝え忘れたから」
「分かったわ。今夜もお願いね。マリィも瑞奈のことも」
彼女はランチボックスをケースへ収めると立ち上がった。
「やあ真二君、おはよう」
「ああ、渚君。おはよう。二郷木さんは?」
「明日香なら、午前中は休講と言ってましたよ。真二君はどうして? 同じ授業じゃなかったんですか?」
なんてことだ。唯一の朝一授業なのに、掲示板を見逃していた。なぜかこういうところでアナログな学校なのだ。
しょげていると、
「どうやらお暇ができたようですね。よろしかったら朝のお茶会にでもしませんか」
「え? でも渚君の一限目は――」
「サボりますよ。こんな機会はありませんから」
外見から『サボる』という言葉の似合わない優等生の顔がそう言った。
缶コーヒーを買ってテラスへ出ると、さすがに生徒もまばらだ。
「ああ。授業もたまには抜け出してみるものですねえ。爽やかな朝です」
彼は丸テーブルに右ひじをついて優しく微笑む。
「そういえば、バイト続いてるんだっけ」
「ええ」
「二郷木さんも言ってたけど、大変じゃないの?」
渚君は缶コーヒーを一口飲むと、
「大変じゃない仕事はありません。それゆえの対価としてバイト代が入るんですから。それでも働くのは苦になりません。四時間のシフトもあっという間に終わります。結構、楽しんでるんですよ」
さらりと言ってのけた。その顔は爽やかそのものだ。二郷木さんの存在がなければ大モテだったろう。彼女は渚君と歩く時、常に周囲の女子を鋭い視線でけん制している。誰もがビビッて挨拶もしない。
「それで真二君。最近増えたお友達とは仲よくしてますか?」
「え?」
「東横瑞奈さんです。彼女、高校でも友達がいた様子がありませんでしたからね。浮いているというよりは迷彩服を着こんだ兵士のようでしたから」
確かに。気づいたらそこにいて、気づいたらいなくなっている。カメレオンのようだ。
「田村さんとは仲いいみたいだよ」
猫のお守りの件は隠した。
「どこか似ていますからね、あのお二人。儚げな感じが」
それは田村さんの本性を知らないからだ。言っちゃなんだけれど、彼女は逞しい部類だと思う。
「渚君は、二郷木さんとはどれくらいつき合ってるの?」
何も考えずに訊ねたが、
「出会ったのは五つの時ですからね。家族ぐるみのおつき合いで。だから、いつから、という感じはないんです。いつの間にか、というやつです」
幼馴染み路線か。本当にあるんだな。と思っていると、
「真二君と田村さんはどうなんです? いつからのおつき合いで?」
「えっ? 田村さんはそういうのじゃなくて――」
「聞きましたよ。あなたと同じ大学に行きたくてここを選んだと」
「それは……」
田村さんならこんな時「あ! UFO!」とか指さして逃げ出すんだろうが、僕にはできなかった。高校時代のことを話すと、渚君は難しい顔になった。母の話を避けて通れなかったからだ。僕は最近、母のことについて口が軽くなっている気がする。
「それは不思議な御縁ですね。恋人なんて軽い言葉でくくれない深さと重みがあります。野暮な話に答えてくれてありがとうございます。それにしても、お二人の親密さは見ていて心が和みます。とてもお似合いだと思いますよ――」
渚君とはテラスで別れて(午前中は暇だな。どうしよう)と思っていると、入れ替わりで田村さんがやって来た。
「朝からイケメンとデートだったのね。そこで彼が教えてくれたわ」
「たまたまだよ。掲示板見逃してて」
「じゃあ、次はイケジョの私がお相手してあげるわ。サボりで」
「いいよ。サボってまでつき合わなくて」
「ウソよ。今日は残り午後からなの。早メシにしようかと思って」
まだ十時半だ。
「どうせ、朝はコーヒーだけだったろ。遅い朝食にしたら」
「そうね。たまには早弁もいいわね」
東横さん手製のお弁当か。
ガランとした食堂で弁当を食べる彼女を向かいに座って眺めていた。左利き。一口の量が多い。。二口食べると必ず一度水を飲む。卵焼きは最後にまとめて食べる。
「ふう。時間が早いと何か変わると思ったけれど、何もなかったわ」
「静けさだけはあったけど――」
「それで、渚君とは何をお話していたの? 私の話? 二郷木さんの話?」
そのどちらも話した。
「バイトのこととかね」
「彼、不思議だわ。時々、ヒトに見えないもの」
唐突なセリフだ。
「ちょっと、そういう感じはあるけどね。話すと普通だよ」
「どうして二郷木さんなんかとつき合ってるのかしら」
「その言い方はひどいんじゃないかな。幼馴染みだって聞いたよ」
「そういう意味じゃないの。彼女、本当に渚君のことが好きなのかってこと。まあ、この言い方もひどいのでしょうけれど」
言われると腑に落ちる。どこかいつも二郷木さんは渚君を振り回しているだけのように思える。
「人の恋路の話はいいよ。それより東横さんなんだけど、すごいマリィが懐いてて。勉強してるとトコトコやって来て膝の上に乗るんだ」
「分かるわ。竜崎君、妬いているのね。あなたにはチョビを乗せる権利を与える」
そうじゃない。
「私が乗ってあげてもいいのよ」
だからそうじゃない。
「じゃあ、僕は一度教室に行って午後の準備するから。それから、渚君につき合ってくれてありがとうって。伝え忘れたから」
「分かったわ。今夜もお願いね。マリィも瑞奈のことも」
彼女はランチボックスをケースへ収めると立ち上がった。
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