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40・晴天の――
しおりを挟む品数の多いランチを、バルコニーの見える明るい部屋で取った。窯焼きだという自家製の舞茸のピザ。ワタリガニのトマトクリームパスタにボリュームのあるサラダと、イタリアンな食事だった。僕はそれを美味しく食べることができない。
午後になると明日香の両親が到着して、明日香はとびきりにはしゃいだ。半年ぶりの父親との対面だという。立派な口ひげをたくわえた、パイプでも吹かせば似合いそうな凛とした風格。いつもは見せない子供の顔をしている彼女が羨ましかった。親睦のある渚君はさっさと挨拶をすませ、僕と東横さんはぎこちない挨拶を交わす。
穏やかそうな母親は静かな笑顔を絶やさず、僕らの挨拶を聞き届けると、
「まだまだ子どもっぽい子だから、どうぞこれからもよろしくお願いしますね」
と、また微笑んだ。ベージュのスーツはそのまま彼女の柔和な雰囲気を湛えていて、緊張感の中にも僕はホッとする気持ちで心を落ち着けた。どちらにしても、品のいい家庭なのだなと、またもや羨ましくなりながらも――。
佐藤さんから、荷物を運び入れたという部屋に案内された。磨き上げられたような板張りの廊下をゆくと、奥の部屋の鍵を渡された。渚君はそれを当たり前のように受け取り、ドアノブに差す。
ぼんやりとしている僕に、
「真二君、入ろうか。僕らの部屋だよ。東横さんは廊下の向こう側だと思うけれど、ここは見晴らしがいい。明日の花火もよく見えるんだ――」
彼はドアを開け放ったまま、つかつかと部屋へ入ってゆく。遅ればせながら僕もついて入ると、豪奢な造りの屋敷に似合わず、思いがけず小さな部屋だった。安価なリゾートホテルのツインの部屋くらいか。壁際に置かれた白いベッドの足下には、荷物が置かれてあった。
そんな僕の顔色に気づいたか、渚君が口を開く。
「元々は一人部屋なんだ。僕が無理を言ってベッドを一つ入れてもらった」
「どうして――」
「いろいろと、男同士で話したいこともあるだろうと思ってね。そう思っているのが僕だけだったとしても。それより電話がある。彼女に連絡を取ってみたら?」
渚君は小さな冷蔵庫を躊躇うことなく開けて、ペットボトルの水を手にした。水源はこの辺りなんだ、水道からも同じものが出る――と。
携帯を取り出して眺めていると、気を利かせた彼が、
「久しぶりに屋敷をひと回りするよ。真二君もあとで大広間に下りてくればいい」
それだけ言うと、鍵もそのままに部屋を出ていった。
電話――。
田村さんは果たして出てくれるだろうか。何より今、何をしているだろう。あの小さな部屋でマリィを相手に淋しく過ごしているのだろうか。マリィに願った。どうか彼女の話し相手になってあげてほしと。「竜崎君以外とは話さない」という約束を反故にしても――。
十五分後、僕は覚えたての廊下を迷わないように大広間へ下りた。長いテーブルのソファーで、明日香の一家と渚君が談笑していた。東横さんの姿が見えない。またステルスかと思っていると、背後から声がした。
「竜崎さん――田村さんと連絡取れました?」
「いや、電話したけど出なかったよ」
「その――理由って、竜崎さんには心当たりはないんですか」
僕はしばらく黙って、
「テラスに行ってみない?」
彼女を誘った。今は日の当たる場所にいたい。母を亡くしたあの頃のように、日陰を避けて、夏の太陽の下に晒されていたかった――。
「田村さんは、竜崎君のお母様とお知り合いだったんですね……」
東横さんは、麦わら帽子の影をその顔に落としながら呟いた。最近の僕は、母のことを平気で他人に話すようになっている。消えかけてゆく面影を追いかけるように。
「ひどいこと、言ったと思ってる。田村さんは今も自分を責めてるんだ。母の死の原因を、まるで自分のことのように思ってしまってるんじゃないかなって。悪かった」
「その気持ち、どうにか伝わらないものでしょうか。旅行から帰ったら、また部屋を訊ねてみるとか」
「僕じゃダメかもしれない」
「私、ご協力します。どうにか連絡できるように頑張ってみます」
彼女は、あまり見せない強い決意を持った表情で約束してくれた――。
東横さんと別れてあてがわれた部屋に戻ると、渚君が窓を大きく開けて風に涼んでいた。サラサラの銀色の髪が作り物のようだ。
「やあ真二君。田村さんと連絡は取れたかい?」
僕は気まずく黙る。
「そうかい。なら仕方ない。そっとしておいてほしい時、というのが人にはあるからね。それより秋の制作は何か構想があるのかい? また講師も驚く斬新な作品を期待してるんだけど」
その答えも今は持たない。
「前回は――たまたま田村さんに助けられただけだよ」
「そうとも言い切れない魅力が、あの映像にはあったと僕は思うんだけど。謙遜は必ずしも美徳ではない――と誰かが言っていたよ」
僕は壁際のチェストに座る。高地特有の爽やかな風が青芝の匂いを運びながらカーテンを膨らませている。
と、そこへドアをノックする音が聞こえた。僕は渚君と目を合わせる。
「僕が出るよ。佐藤さんかな。夕食にはまだ早い時間なんだけれども」
彼は靴音を板張りの床に響かせてドアへと向かった。ガチャリとノブを回す音も重厚で、屋敷の歴史を感じさせる。ただ、渚君はドアを少し開けるとすぐに困ったような顔で僕を振り返った。
「真二君。君にお客様のようだよ――」
意味を理解できない僕に、彼がドアをさらに開けてみせた。そこには妙な顔をした田村さんが立っていた。デニムのショートパンツに白いTシャツを着て。手にしたカゴからは、ニャアとひと声、猫の鳴き声が響いた。午後の二時だった。
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