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47・夏の終わりのスタンダード
しおりを挟む「という訳で大きなスイカをぶら下げて帰って来たと――」
一時間後の集合で、腰に手を当てた明日香が情けない顔で言った。優勝商品は大玉のスイカだった。
「ミス・ウォーターメロンと呼んでちょうだい」
「冷えているようでしたら、お屋敷に戻りまして切り分けましょうか」
佐藤さんの言葉に、
「せっかくですもの。真夜中のスイカ割り大会というのも――」
「田村さん。ろくな結果が待ってそうにないから。佐藤さんの言うとおりにしようよ」
今の興奮した田村さんではスイカを粉々に粉砕しかねない。
屋敷に戻ると芝生を照らす明かりが柔らかく広がっていた。その光景を余すことなく眺められるテラスで、カットされたスイカが出された。我先に食塩をかける田村さん。
「アンタバカじゃないの? そういうのは昔の糖度の低い庶民のスイカに振りかけるもんなのよ。塩気で甘みを感じやすいようにするっていう。この長野の高原で取れた甘いスイカにそういうのいらないから」
しかし、田村さんは意にも解さない顔でスイカの種を飛ばしている。
「ちょっとアンタ! ウチの芝生をスイカ畑にするつもり!」
そんな賑やかな騒ぎの中、東横さんが脇に外れてしゃがみ込んでいる。マリィも寄り添っていた。
「東横さん、どうしたの?」
彼女の手には細い紙の包みが握られている。
「ええ。あんなにきれいな花火のあとにどうかと思ったんですけど。これ、父の知り合いの職人さんが作ってる手作りの線香花火なんです。皆でできたらいいなあって思って」
彼女らしい提案だと皆に告げると、
「そうね。スイカに線香花火、夏のスタンダードじゃない? 佐藤さん、ロウソク持って来て」
明日香も乗り気だ。そして、
「せっかくだから勝負しない? いちばん長く落ちなかった人が勝ちってことで」
渚君が答える。
「優勝者には何かご褒美がもらえるのかい?」
「そうね。ママ特製のアップルパイをお土産にしてあげる。まあもちろん? 勝のはアタシに決まってるけど」
その言葉をミス・ウォーターメロンが買って出た。
「望むところだわ」
女二人、火花が散る。
佐藤さんの用意したキャンドルポットはガラス製で丸く、芝生の緑を優しく照らす。
「用意はいい? せーので同時に火をつけるのよ。せーの――」
五本分の花火が炎を目指す。一瞬、はじけたような眩しい明かりが周囲を照らす。線香花火とはいえ、着火の際はとても勢いがいい。
キャンドルを囲んで思い思いに火花が飛び散るさまを眺めていると、誰もが幸福そうに思える。その中に僕が含まれているのならば、それは切なくもあった。僕はどんどん、幸せを甘受し始めている。たった一年の間に。その理由が田村さんの出現だけではなく、僕自身の中で何かが変わり始めているのか。
「あら――」
いちばん勢いよく燃えていたと思われていた田村さんの花火が、大きな火玉を落として燃え尽きた。
「はっはーん。田村敦子、口先だけだったわね。私のはまだまだ元気に火花を飛ばしているわ。線香花火の醍醐味、ここにありって感じよ」
渚君が笑顔を絶やさず口にする。
「僕もそろそろってとこだね」
僕はといえば火玉が小さくなってはいるが、その分落ちにくい感じで粘っている。
「さあ、ここから先はチキンレースよ。ほんの小さな指の震えで花火は落ちるわ」
言っているそばで、渚君が脱落だ。
「でも僕は線香花火の儚さを十分に味わったから。これで満足だ」
明日香の花火がしだいに勢いを失くしている。時折四方にはじける火花も勢いがない。僕も似たり寄ったりだ。
「こうなると火種が落ちるより、先に燃え尽きた方の負けね」
明日香は自分の指の先を睨みつつ僕をけん制する。か細い火花が二本、二本―。やがてそれはジュウという音もなく消えた。そして、僅差で明日香の火種も芝生に落ちた。
「あっはっはっは! やっぱり私の優勝よ! バカ真二、よくやったと褒めてあげるわ」
そこへ冷ややかな田村さんの声。
「二郷木さん、あなたには現実が見えていないの。そこでうずくまって、まだ微かに火種を保っている選手がいるのを」
皆が一斉に一か所を見つめる。そこには――。
「あの、何かすみません――」
東横さんが消え入りそうな存在感で花火を灯していた。
「ちょっと瑞奈! どういうこと! 自分で用意してきた花火だからって細工か何かしたんじゃないの!」
「いえ……そんなこと……ただ、持ち方にコツがあるらしくて……すみません」
最下位の田村さんが誇らしげに立ち上がった。
「なんにせよ、その特製アップルパイとやら瑞奈のものね。そして瑞奈のものといえば私と仲よく半分こ。ありがとう、お姫様」
明日香は歯噛みしながらもお姫様の品位を保ち、
「瑞奈。アップルパイはあなたのものよ。味わって召しあがりなさい。泥棒猫に気を付けることね――」
「お世話になりました――」
翌朝、四人で礼を言うと、明日香の母親から四つの包みを受け取った。東横さんの願い出により、アップルパイは皆で分けることになった。
「アタシはまだ別荘に残るから。高村さん、運転お願いね」
往路でお世話になった運転手さんが現れて、帽子のつばを握った。
なんにせよ、僕らの短いバカンスが終わった。残すは晩秋の制作課題へ向けて構想を練るだけだ――。
「じゃあ皆さん、私は渚さんと同じ方向なので――」
僕と田村さんを降ろすと、東横さんと渚君を乗せて車は走り出した。後部席に静かに座って微笑む二人は、どこかお似合いに見えた。物腰の柔らかさと配慮の深さがよく似ている。
「ということで、私は荷物を置いたらマリィを連れて竜崎君のマンションに向かうわ」
僕はその気安さに戸惑う。何もなかったかのような――。
「どうして?」
彼女は普段通りの顔で答える。
「アップルパイといえば紅茶でしょ。ウチにはないもの。それにまだ、本当の意味で謝っていないわ」
僕は肩で息を吐き、
「午後のティータイムに、そういうのは似合わないから。紅茶の準備だけして待ってる」
彼女の顔が微かに輝いた。
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