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73・構想その②
しおりを挟む金曜日の夜。学校支給のハンディカムで、部屋のあちこちを写してみる。明かりを消したり、光源を変えてみたりと、いくつか試してみた。結果、ぶっつけ本番しかないという答えに行きついた。十五分間の長丁場。僕はそこに何を映し出すだろう。
まずは何度も繰り返した、金魚のイメージをアニメーションで一分間流す。そこからフェードするように祭りの会場へ。赤々と照らす櫓。流れる音楽。屋台を楽しむ人々の姿。浴衣姿の二人が遠目に見える。ハンディを地面すれすれでマリィの姿を映す。しばらく続く猫の目線。これが厄介だ。人混みの中、そういった撮り方をしていると変人――もしくは変質者になってしまう。なるだけスローな映像にして、マリィが二人に抱きかかえられるまでの時間を稼ぐ。
それからは屋台の出番だ。あちこちの屋台を少女の胸の辺りからの目線で撮り歩く。これは東横さんが自分から役割を買って出てくれた。田村さんにはマリィを頼むしかない。
田村さん――。今夜いったい、僕は彼女と何を話せばいいのだろう。あの告白から遠くなってしまった彼女を、僕はどう受け止めればいいだろう。彼女の今の生活を考えて、僕自身の気持ちにケリをつけて、けれど、たったそれだけのことで話は解決するだろうか。
時計の針は回り続けて午後九時を指す。汗を流してビアジョッキを運んでいる彼女の姿が浮かぶ。微笑んでいるだろうか。いつもの憮然とした表情だろうか。気になり始めると、膝が揺れ始めた――。
自転車にまたがり、夜の道を繁華街へと目指した。どうしても今、彼女に会っておきたい。僕のそばから離れたくないと言った彼女に応えるには、それしか浮かばなかった。
いつか渚君と明日香とで入った居酒屋。赤たぬきの前。道には酔客が行き交っている。僕は電柱の脇に自転車を止める。
しばらく店の入り口で立ち尽くしていた。賑やかな声が聞こえる。
「ハイボール二つに生ビール一つ入りました! ポンポコポン!」
彼女の大きな声が明るく響く。その笑みが見えるようだ。
僕は意を決する。ドアに手をかけて店に足を踏み入れる。
「いらっしゃいませ! ポンポコ――」
初めて見る、田村さんの驚きの表情。僕もまた、どんな顔をしていいか分からない。
「一人――なんですけど」
彼女は表情をとびきりの笑顔に変えて、
「カウンターへどうぞ! ポンポコポン!」
椅子を一つ引いた――。
「驚いたわ。何とかの霹靂」
普通は晴天の方を覚えているはずだ。
「どんなふうにバイトしてるか、見たかったから。忙しい時にゴメン」
二人で自転車を押して、飲み屋街を歩いた。
「いいの。責めたりはしない。人並みに恥ずかしかっただけだわ。ポンポコポンポコと、いい歳の女が喚いてるんですもの」
「カッコいいと思ったよ。真剣に仕事をしてる姿――」
「動き回っていると、脳が楽しいと錯覚するの。楽しいのは楽。字面も同じでしょう」
けれど、それは別物だと思った。何かを楽しむためには、決して楽なことばかりじゃない。
「竜崎君。私の楽しみにつき合ってくれるかしら。ほんの五分よ」
「いいけど――」
会話もなく、自転車は並んでゆっくりと進む。やがて彼女の足はコンビニで止まる。
「ここよ。待ってて」
言うと、颯爽と店内へ入っていった。
僕はボンヤリと街を見渡す。金曜の夜は華やかだ。あちこちに笑顔が溢れている。世界中に、不幸な人など誰もいないかのように。
「待たせたわ」
戻ってきた彼女の手には、小さな銀色の缶が握られていた。
「ご褒美なの。竜崎君も人生に悩むくらいにはもう大人。これくらいはいいでしょう」
そう言って渡してきたのは、小さな缶ビールだった。
「350ミリも飲めないから、一番小さなヤツを買うのよ」
言い終わらないうちに、田村さんはプルタブを開けてビールをのどへ流し込んだ。
「はあ、幸せだわ。竜崎君も飲んでみて。私もこれからはコーラを卒業してこれを飲むの」
僕は手渡された缶を見つめる。飲めない、という選択はできないようだ。彼女と同じようにプルタブを開けると、その苦さをごまかすように、ひと息に飲んだ。喉は冷えたが、胃が熱くなるようだった。
「いつも――こうしてるの?」
「ええ。いつも。いつも同じことが決まっているというのは幸せだわ」
僕は秋祭りの話を持ち出す。無粋かと思ったけれど、今しかタイミングがなかった。
「その――明日、お祭り来てくれる?」
彼女が空っぽの空き缶を見つめる。
「どうしてそんなことを訊ねるの? 竜崎君との約束を反故にしてまで予定を台無しにする理由が、私にはないわ。それより今夜は特別汗をかいたの。シャワーを借りていいかしら。私の衣類は部屋に持って帰っているから――初子さんの着ていたローブを貸してちょうだい」
真剣な口調。断れない目線。黙るしかない僕。
「いいよ。でもお酒飲んだから、自転車は押して歩くよ」
すると、
「何を言っているの竜崎君。今から風を切って走るのが最高なのよ。これくらいで酔ったりしないわ。楽しさは時に刑法を超える。さあ、マンションまでどちらが速いか競争よ」
言うと空き缶をゴミ箱へ捨てて、自転車へまたがった。まるで知らない彼女を見ているようだった――。
「はあ、疲れたわ。ホントはこの過程で酔っぱらうのよ」
僕もそんな気がしていた。ちなみに競争はタッチの差で田村さんが勝った。
「マリィにはちゃんと瑞奈がご飯を上げているから、速攻で竜崎家よ。異論があるなら明日にでも聞くわ。昼には呉服屋へ行くから、しっかり寝て早起きするのよ。夜更かしは厳禁。朝はベーコンエッグとキュウリのキューさんでよろしく」
そんな軽口に安心した。また、彼女と同じ距離に戻れた気がした――。
田村さんがシャワーを浴びている間に服を用意する。下着もローブも、背格好の似ていた初ちゃんのものだ。僕は今夜きっと、母の思いと、母への思いとに決別する。彼女の口から語られた言葉へと向き合うための、大きな決断だった。
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