妖護屋

雛倉弥生

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大江山の深紅と薄桃の鬼篇

鬼相手だからと言って容赦はしない。そこで土下座して謝罪しやがれ!

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「依頼か…では謝りたい相手がいる。

その者に会いたい」

酒呑童子を謝らせる程の者とは一体何者

なのだろうか。知りたくて仕方がない。

そんな欲求に従い、伊吹は依頼を引き受け

た。欲に正直なのだ。

「分かりました。出来る限り力は尽く

させていただきます。では少々ついて

来て下さいますか?」










伊吹が酒呑童子を連れやって来たのは

ある一軒の家だった。

「ここは?」

「俺の家。もとい妖護屋の拠点」

軽くいう伊吹に危機感は無いのかと半ば

呆れまじりに思いながらも後に続いて

家に入った。きちんと草履は脱ぐ。

「んじゃ、この契約書に署名を」

机の上に置いたのは一枚の紙だった。

「墨か、それとも血か?」

どちらでも良いが。だが、伊吹は迷わず

血を選んだ。依頼主の滴る涎は見なかった

事にしよう。自分の血を見せる訳では無い

けれど。

「血の方で。血印って破れなそうっしょ?

一度交わした契約は絶対に破っては

いけない。異国の悪魔の手法と同じだよ、

命を頂くからどんなに嫌と言っても破る

ことは決して無い。だからどんな凶悪な

妖怪にだって、人間にだって血で署名

するように求めてんの」

成る程。納得した。酒呑童子は長く鋭い

爪で自身の指を切る。滲み出た血は

ポタポタと紙に落ちる。その血で己の

名を記した。

「はい、これで契約成立っと。…涎拭けよ。

紙に落ちんだけど」

「…すまん。自分の血なのに美味そうに

見えてきてな」

「いや、どんだけ重症なんだよ」

口元の涎を袖で拭く酒呑童子を眺める。

…これから酒呑童子の事は自分の血大好き

鬼と呼ばせてもらおう。と、心の中で

決めた。

「あんたが謝りたい相手の名は?」

「…茨木童子だ」

己の頼りにしていた家臣であった。鬼だ。

「…噂ではただ一人逃げたって言われてる

あの鬼?」

「伝説ではな。真実は…まだ言えん。

全てを話すのは彼奴に任せたいんだ」

酒呑童子に伊吹は冷静に伝えた。

話を聞きながら伊吹は折り紙をおる。

「そっか。…茨木童子のその後の話は二つ

ある。一つは一条橋の、二つ目は羅生門で。

坂田金時の仲間の渡辺綱って人が茨木童子の

腕を刀で切った。その後腕を取り戻しに

現れるって話。どっちで行われたかは

定かでは無いけれど…。その後の話では

摂津(大阪)の話によると実家に帰った話

や、実家に帰ったけど追い返された話が

ある。その辺の理由は分かるよね?」

聞かなくても分かることだ。酒呑童子は

頷いた。鬼と成り果てた彼を拾ったのは

己だ。けれど彼は実家には帰らなかった。

愛していた両親を傷つけたくは無かった 

から。それでも帰りたい思いが心のどこか

ではあったのだろう。だから腕を切り落と

されても醜い姿になってしまっても家へと

帰った。追い出された茨木童子はどんな

思いだったのだろう。愛していた両親から

恐れられた彼は…。

「追い出されたその後の話は無いよ。

血を拒みながらも生ける屍となったか、

死を望んで彷徨っているだけのただの

化け物となったか。茨木童子を探す?

彼のもう一つの帰る場所を奪ったあんたは」

それでも探さなければならない。再び帰る

場所を与える為に。謝る為に。酒呑童子の

決意が伝わったのか伊吹は笑う。

「決まったらしいね。良いよ、力は

貸してあげるよ。だが、お前よりもーっと

強い妖怪と出会っても俺知らないから。

だって俺不運呼び寄せるし」

テヘッと、片目を閉じ、舌を出し調子に

乗っている伊吹。

「お前、さっきの真面目さはどこやった

んだ…」

呆れ、額に手を当てた。けれども、不思議と

先ほどの暗い気持ちは何処かへ行ったよう

だった。

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