妖護屋

雛倉弥生

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紅蓮の鬼

夢に出るんだよ、どうにかしろよ!何怖いもの見せてんじゃぁぁ!!相手の気持ち考えて配慮しろよ、この野郎!

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…ハッと伊吹は布団から飛び起きた。

汗が頬から垂れ落ちる。夜明け前だという

のにも関わらず思い切り叫んだ。

「夢にも、出るやんけ、ふざけんな

この糞餓鬼!」






茨木童子が妖護屋の拠点にいつも通りやって

来て初めに見たのが伊吹の姿だった。

いつもと違い、貧乏揺すりをしており、

どこか不機嫌そうだ。というか、不機嫌だ。

「おはよう、伊吹」

いつものように挨拶をする。すると、この

青年、酷い形相で睨んでくる。だが、それ程

怖くはない。元が柄が悪くないただの青年

だからか。

「元鬼にそんな顔をしてもあまり効果は

無いのだが……」

「分かってますけど、そんな事。いちいち

言わないで下さいます? 嫌な夢見たん

だよ、こんちくしょう」

彼は夢の内容を思い出した様で顔を顰めた。

相当嫌な夢だったようだ。取り敢えず聞いて

みることにした。

「どんな内容だったんだ?」

「……昨日丑三つ刻にしこたま酒飲んでて」

「……」

「酔った後、吐瀉して、知り合いと絡んで

また飲んで」

「……」

この際、もう何も言わない、何も言いたく

ない。

「その後店から出てふらふらしてたら

怪しい餓鬼と出会ってそいつが自己紹介した

時から牛が現れたんだよ。馬鹿でかい

やつ。……怖すぎて夢にまで出て来たん

だよ」

大きい溜息をつく。茨木童子は紙と墨を

付けた筆を用意して、紙に何かを描いて

いった。そこには蜘蛛のような足を持った

異様な生き物の姿が描かれていた。

「それは牛鬼(ぎゅうき)では無いか?」

「牛鬼?」

伊吹は首を傾げた。仕方なく知識の無い

伊吹に教えることにした。

「毒を吐き、人を食い殺す事を好むと

伝えられている。鬼や、その他の妖達からも

危険視されている。その名の通り、頭が

牛で、下は蜘蛛の胴体を持つ。主に海岸に

現れ、浜辺を歩く人間を襲う。だが、海岸の

他に、山間部、森や林の中、川、沼、湖など

にも現れるとされる。その大半は残忍、

獰猛な性格といわれている」

一通り説明すると伊吹はガタガタと震え、

怯えていた。茨木童子はそれ程恐ろしく

感じる事はもう無いが。

「え、そんな危険な妖怪を連れてるあの餓鬼

なんなの? は、猛獣使い的な? いや、

本気であの餓鬼諸共ヤバいな……」

相変わらず怯えていても突っ込みは劣化して

いない様だ。逆に凄いと感心した。

「そこ感心するところじゃないから!」

「そうだな。で、仕事は?」

伊吹はじっと茨木童子を見つめ、漸く

話した。

「その餓鬼から依頼されました」

「は?」

茨木童子は伊吹のあり得ない一言に

脳内の思考が停止した。

「お前あんだけ糞餓鬼と罵っときながら

依頼を?」

ブチッ、ブチッ、と音がなる。茨木童子の

堪忍袋の緒が少しずつ切れていく音だ。

あれだけ散々人を心配させて置いて最終的に

それか。慌てて伊吹は付け加えた。

「まだ保留だから、さ。そんな怒るなって。

いや、だって怖かったんだよ? 

名を聞いた後にさ、

『もし依頼を断った場合、分かるよね?』

って何故か笑顔で言ってきたんだよ、恐怖

しかないだろ、一応保留ってしといたけど

断れないだろ脅されたら!」

ちゃぶ台をどんどんと叩く。かなり精神的に

参っているようだ。

「煩い、叩くな。で、どんな依頼をされた

んだ」

「ねぇ、茨木童子、最近俺に対して当たり

強くなって来てない?」

そう恨めしそうにするが、気にしない。

それは伊吹の、

「お前の気のせいだ」

童の様に頬を膨らませ、伊吹はちゃぶ台に

突っ伏し、依頼内容を説明した。










「成る程、死を望んでいる人間を連れて来て

牛鬼に食わせると……」

まだ湯気が出ているお茶を口に含む。

体の芯から温かくなる。

「それで、伊吹。お前は依頼を受けるか? 

受けるとなると大勢の命を殺したも同然に

なる」

鋭い言葉だ。伊吹は上生菓子を一口大に

切り、口に含む。

「俺だって断りたいし、死なせたくない。

けどさ、その人が死を望んでいるんだったら

これ以上生かす方がその人達の地獄に

なるんじゃないの。だったら俺はその人達の

為に……最後は幸せにさせてあげたい」

全くこの青年は……と、呆れた。

それと同時に伊吹が眩しく見えた。

普段は妖の為に動く彼が、人の為に動く

事が。やはり彼等と出会い、この街の者達と

関わり、彼の中でも何か変化している

のだろう。

「なら俺はお前の意思に従う。伊吹、お前の

好きなようにやれ。ただし、無理はするな。

良いな?」

「茨木童子……ありがとう」

伊吹は照れ臭そうに礼を言う。

「俺さ、今までずっと一人で生きて来た

んだ」

そう打ち明かす伊吹を急かさず、茨木童子は

ゆっくりと次の言葉を待つ。

「俺さ、武士の家生まれで、父親は俺の

事嫌いだったらしいけど母親は面倒見て

くれたから大好きだった。けど、物心ついた

ある日聞いちゃったんだ。あの人達が俺の

本当の親じゃないって。二人は子供に恵まれ

なかったから苦肉の策に戦場で拾ってきて

跡取りとして育てたただの孤児だって……」

伊吹は一旦言葉を切り、深呼吸をする。

「平気か、もし辛いんだったら無理に話す

ことは……」

茨木童子の言葉を遮り、伊吹は目を緩めた。

「良いよ、もうそんなに気にしてないし。

お前も過去のこと話してくれたから俺も

自分の事、話さないと」

再び深呼吸をし、話を続けた。

「けど、気付いてたよ。だってあの人達の

俺を見る目が違ったんだ。赤の他人の子供を

見てる目で……本当は母親も嫌々俺のこと

育ててたんだって分かった。だからさ、

勢いで家を飛び出して、ずっと走って山奥

まで。気付いたら帰り道が分からなくなって

いて……馬鹿だから、道も覚えてられ

なかったし。夜になっても帰り方が

分からなくてずっと歩いて、そしたら今まで

見えていなかったものが見えて来て……

いや本当は見えてたけど見るのが怖かった

んだ。親から嫌われるのが」

「だけど、拾ってくれた父や母に少しでも

偽りたくなかったからこんな俺のことを

探してくれたあの人達に正直に伝えてそれ

からかな……俺を救ってくれた妖達を今度は

俺が救おうって思ったのは」

救われたのなら恩返しをするまで。

その逆の立場になったとしても恩返しは

望むな。望んでばかりいたら欲深く、

罪を多く犯してしまう。父親がよく伊吹に

向けて伝えていた言葉だった。その言葉を

胸に生きて来た。勿論これからもだ。何故

なら父親が最初で最後に自分に向けてくれた

言葉なのだから。

「お前らしいな。ところでその両親は

どんな人だ、名前は?」

話を聞いていた中での疑問をぶつける。

「え、そんなに聞きたいの。あー、うん。

幕府のお偉いさんに仕えてる結構な地位の人

だよ。まぁ、親は言ってくれなかったから

周りの人達に聞いたんだけどね」

そう言う伊吹の顔は少し寂しそうだった。

「……そうか、お前は愛されて生きている

から楽観的に物事を捉えて、何処か安易な

考えで妖と関わっているのかと思っていたが

違ったんだな」

伊吹は分からないのか首を傾げた。

「それ以上に……寂寥で、哀れで、苦しい

立場の人間。愛されたくて、それでも愛し、

愛されるのが怖い。だが、必死に前を

向いて、一歩ずつ進んでいる。そんな

人間だったんだな」


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