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一限目 ヒキコさん
第五夜 遭遇
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放課後。俺は三人しか乗客の居ないバスに揺られながら、手元の部活動、同好会一覧へ視線を落としていた。
正直、今日の事は未だに信じられない。白昼夢を見ていたんだと誰かに言われれば、あぁその通りかも知れないと納得する事だろう。だがその一方で、俺にはあの体験が、あの化物が、どうしても俺の妄想の産物とは思えない。
明日はどこに行こう、と考えて取り出したプリントの筈が、気付けば民俗学同好会の事ばかり考えてしまう。明日も行ってみようか。いやあんな体験は今日一日で十分だ。しかしもし次あんな事が起こったら……いやいやあんな事がそう何度も起こって堪るか。
そうこう考えている内に、バスのアナウンスは俺の家の最寄りのバス停……の、四つ先のバス停の名前を告げた。どうやら考えすぎてしまったらしい。俺は慌ててボタンを押し、やむなくそのバス停で降りる事にした。
……少し肌寒い。この季節にしては少し気温が低い気がする。こんな事なら手袋か何か持って来ていれば良かった。俺はほんの少しの後悔を抱えながら、バスの時刻表を確認する。どうやら次のバスは三十分後に来るらしい。
「……どうせ人件費掛からないんだからもっと本数増やしてくれよ……」
これなら歩いた方が早いな。俺はバス停から離れ、自宅へ向かって歩き始めた。
この辺りに来たのは久しぶりな気がする。確か小学生……いや、幼稚園児の頃だったか。この辺りに友達が住んでいたんだ。それで時々遊びに来た。だがその子が県外へ引っ越してから、こっちに来る事も少なくなったんだ。
この辺りも大分変わった。幼少期の朧気な思い出が比較対象じゃ、どんな物もそう感じるか。確かこの辺りに公園が……あったとしても、もう遊具は撤去されてるか。明日も学校だし、思い出の場所を探すのはまた今度だ。
「済みません」
突然後ろから声を掛けられた。振り返ると、白い服を来た女性が立っていた。
「この辺りに住んでいる人ですか?」
「え?教えませんけど」
誰だろう。少なくとも知り合いじゃない。暗いのと若干距離があるせいで顔は見えないが、声と身長からして、三十歳から四十歳程度だろう。何かの取材という感じでもない。怪しい。
「この辺りに住んでいるんですよね?」
「教える訳無いでしょう。個人情報ですよ」
「この辺りに住んでいるんですね?」
「だから教えませんって。俺もう行きますんで。着いて来たら通報しますよ」
俺は家の方向へ向かって歩き始めようとしたが、女は俺の腕を掴んで来た。
「この辺りに住んでいるんですか」
俺は女の腕を振りほどこうとする。
「なら私のことも知ってますね」
しかし、振りほどけない。
「私の事をいじめてましたもんね」
女の力が少しずつ強くなって行く。
「みンナで、私のコとを嗤ッて……」
俺は携帯を取り出し、警察に電話を掛けようとする。
「ワタしは……」
しかし、俺の手は止まってしまった。
「わたシの顔ハ……」
携帯の画面右上に、『圏外』と表示されていたからだ。
「ワたシはソんナニミにくイかぁぁあアあァあァァ!」
女はそう叫ぶと、俺の腕を引っ張りながら走り始めた。凄まじい速さ。俺の体は浮き、地面に叩き付けられるように落ち、また浮き、また地面や壁に体が擦れた。
「いった!なんなんだクソ!」
痛い。とても痛い。これも先生が言っていた、怪異っていう奴なのか?自衛の手段教えてもらってないんだが?こんな危険が一日に二度も訪れてたのか俺の所に。
「どうシてドうしテドウシてどウしテドうシテどうしテ」
不気味過ぎるだろ。B級ホラー映画なんて言ったけどアレは取り消す。ただの殺人現場だこんなの。あぁクソ。手を解かせる事もできない。強く引っ張られ過ぎて千切れそうだ。不味い。このままじゃ……
そう嫌な想像をしかけたその時だった。突然、空中から何かが降って来た。それは俺の腕を引っ張っていた女の腕を切断し、コンクリートの地面に突き刺さった。あまりの急展開に茫然としながら、地面に突き刺さっているソレを確認すると、神社で売っているようなお札だった。
「これは……一体……」
女は奇声を上げながら走り去って行ってしまった。腕から血が流れてはいなかった。そして次に俺の耳へ届いた声は、安心こそしないものの、聞き覚えのある声だった。
「あ~……うん。さっきぶり」
俺に向かって手を差し出して来たのは、円城寺千尋先輩だった。
「なんでここに……」
「部活動の一環?って感じかな。ま、立ち話もアレだし、一回ウチ来なよ」
「……え?」
流されるままに行き着いた先は、丘の上の神社だった。命の危機を感じた直後にかなり高い階段を上らされた俺は、その疲労感を感じるよりも先に、『本当にここが、千尋先輩の自宅なのか』という疑問を抱いた。
しかしそんな俺をよそに、千尋先輩は「ただいま~」と言いながら、神社へ入って行く。すると奥の方から大きな足音と共に、一人の男性が、静かな怒りの表情と共に出て来た。恰好からして、恐らく神主さんだろう。
「千尋。またこんな遅くに……」
「いやいや人助けして来たの。許してよ父さん」
「……そっちの子かい?」
「そ」
神主さんは俺の方……と言うか、俺の右腕の痣を見て、納得したように小さく頷いた。
「制服用意してあげられない?」
「ふむ……君、名前は?」
「榊原響輝です」
「ヒビキ君ね。着替えを用意するから、上がって少しまっていてくれるかい?」
「はい」
「千尋。右腕の手当てはしてあげるんだぞ」
「は~い」
千尋先輩はいつの間にか救急箱を取り出していた。彼女は俺を畳の上に座らせると、時々……霊力だったかを使いながら、右腕に包帯を巻いて行った。
「先輩。さっきの化物は……」
「怪異だね。『ヒキコさん』って奴。知らない?」
「知らないです」
「そっか~……まぁ、夜中に子供を連れ去って、ミンチになるまで引き摺り回す女の怪談だね」
「……逃がして良かったんですか?」
「ダメだね。今日は右腕を落としたし大丈夫だと思うけど、明日、明後日は分からない。それに、君も心配」
思わぬ所で、話が俺の所に戻ってきてしまった。いや俺自身心配ではあるけど、千尋先輩のとはまた訳が違う気がする。
「俺ですか?」
「そ。怪異っていうのは言霊の塊って先生言ってたじゃん?」
「ですね」
「言霊の塊だからこそ、怪異の行動は元になった怪談から予測できるの。ヒキコさんは、子供がボロボロになるまで引き摺り回す怪異でしょ?でも、君は軽傷で済んでる。詰まり……」
行動の予測。俺が軽傷で済んでいる事実。ヒキコさんの怪談……まだ俺は、ミンチになる程引き摺られてはいない。まだ奴の行動は終わっていない。
「もう一度俺を襲いに来るって事ですか?」
「そ。あくまで可能性の話だけだけどね。取り敢えず、明日も民俗学研究部に来てくれるかな?話もあるし、渡しておきたい物もある」
「分かりました」
なんか流れを誘導された気がしないでもないが、身を守る為だ。仕方が無いだろう。明日の放課後の予定が埋まった事を、何とか肯定的に捉えるようにしよう。
正直、今日の事は未だに信じられない。白昼夢を見ていたんだと誰かに言われれば、あぁその通りかも知れないと納得する事だろう。だがその一方で、俺にはあの体験が、あの化物が、どうしても俺の妄想の産物とは思えない。
明日はどこに行こう、と考えて取り出したプリントの筈が、気付けば民俗学同好会の事ばかり考えてしまう。明日も行ってみようか。いやあんな体験は今日一日で十分だ。しかしもし次あんな事が起こったら……いやいやあんな事がそう何度も起こって堪るか。
そうこう考えている内に、バスのアナウンスは俺の家の最寄りのバス停……の、四つ先のバス停の名前を告げた。どうやら考えすぎてしまったらしい。俺は慌ててボタンを押し、やむなくそのバス停で降りる事にした。
……少し肌寒い。この季節にしては少し気温が低い気がする。こんな事なら手袋か何か持って来ていれば良かった。俺はほんの少しの後悔を抱えながら、バスの時刻表を確認する。どうやら次のバスは三十分後に来るらしい。
「……どうせ人件費掛からないんだからもっと本数増やしてくれよ……」
これなら歩いた方が早いな。俺はバス停から離れ、自宅へ向かって歩き始めた。
この辺りに来たのは久しぶりな気がする。確か小学生……いや、幼稚園児の頃だったか。この辺りに友達が住んでいたんだ。それで時々遊びに来た。だがその子が県外へ引っ越してから、こっちに来る事も少なくなったんだ。
この辺りも大分変わった。幼少期の朧気な思い出が比較対象じゃ、どんな物もそう感じるか。確かこの辺りに公園が……あったとしても、もう遊具は撤去されてるか。明日も学校だし、思い出の場所を探すのはまた今度だ。
「済みません」
突然後ろから声を掛けられた。振り返ると、白い服を来た女性が立っていた。
「この辺りに住んでいる人ですか?」
「え?教えませんけど」
誰だろう。少なくとも知り合いじゃない。暗いのと若干距離があるせいで顔は見えないが、声と身長からして、三十歳から四十歳程度だろう。何かの取材という感じでもない。怪しい。
「この辺りに住んでいるんですよね?」
「教える訳無いでしょう。個人情報ですよ」
「この辺りに住んでいるんですね?」
「だから教えませんって。俺もう行きますんで。着いて来たら通報しますよ」
俺は家の方向へ向かって歩き始めようとしたが、女は俺の腕を掴んで来た。
「この辺りに住んでいるんですか」
俺は女の腕を振りほどこうとする。
「なら私のことも知ってますね」
しかし、振りほどけない。
「私の事をいじめてましたもんね」
女の力が少しずつ強くなって行く。
「みンナで、私のコとを嗤ッて……」
俺は携帯を取り出し、警察に電話を掛けようとする。
「ワタしは……」
しかし、俺の手は止まってしまった。
「わたシの顔ハ……」
携帯の画面右上に、『圏外』と表示されていたからだ。
「ワたシはソんナニミにくイかぁぁあアあァあァァ!」
女はそう叫ぶと、俺の腕を引っ張りながら走り始めた。凄まじい速さ。俺の体は浮き、地面に叩き付けられるように落ち、また浮き、また地面や壁に体が擦れた。
「いった!なんなんだクソ!」
痛い。とても痛い。これも先生が言っていた、怪異っていう奴なのか?自衛の手段教えてもらってないんだが?こんな危険が一日に二度も訪れてたのか俺の所に。
「どうシてドうしテドウシてどウしテドうシテどうしテ」
不気味過ぎるだろ。B級ホラー映画なんて言ったけどアレは取り消す。ただの殺人現場だこんなの。あぁクソ。手を解かせる事もできない。強く引っ張られ過ぎて千切れそうだ。不味い。このままじゃ……
そう嫌な想像をしかけたその時だった。突然、空中から何かが降って来た。それは俺の腕を引っ張っていた女の腕を切断し、コンクリートの地面に突き刺さった。あまりの急展開に茫然としながら、地面に突き刺さっているソレを確認すると、神社で売っているようなお札だった。
「これは……一体……」
女は奇声を上げながら走り去って行ってしまった。腕から血が流れてはいなかった。そして次に俺の耳へ届いた声は、安心こそしないものの、聞き覚えのある声だった。
「あ~……うん。さっきぶり」
俺に向かって手を差し出して来たのは、円城寺千尋先輩だった。
「なんでここに……」
「部活動の一環?って感じかな。ま、立ち話もアレだし、一回ウチ来なよ」
「……え?」
流されるままに行き着いた先は、丘の上の神社だった。命の危機を感じた直後にかなり高い階段を上らされた俺は、その疲労感を感じるよりも先に、『本当にここが、千尋先輩の自宅なのか』という疑問を抱いた。
しかしそんな俺をよそに、千尋先輩は「ただいま~」と言いながら、神社へ入って行く。すると奥の方から大きな足音と共に、一人の男性が、静かな怒りの表情と共に出て来た。恰好からして、恐らく神主さんだろう。
「千尋。またこんな遅くに……」
「いやいや人助けして来たの。許してよ父さん」
「……そっちの子かい?」
「そ」
神主さんは俺の方……と言うか、俺の右腕の痣を見て、納得したように小さく頷いた。
「制服用意してあげられない?」
「ふむ……君、名前は?」
「榊原響輝です」
「ヒビキ君ね。着替えを用意するから、上がって少しまっていてくれるかい?」
「はい」
「千尋。右腕の手当てはしてあげるんだぞ」
「は~い」
千尋先輩はいつの間にか救急箱を取り出していた。彼女は俺を畳の上に座らせると、時々……霊力だったかを使いながら、右腕に包帯を巻いて行った。
「先輩。さっきの化物は……」
「怪異だね。『ヒキコさん』って奴。知らない?」
「知らないです」
「そっか~……まぁ、夜中に子供を連れ去って、ミンチになるまで引き摺り回す女の怪談だね」
「……逃がして良かったんですか?」
「ダメだね。今日は右腕を落としたし大丈夫だと思うけど、明日、明後日は分からない。それに、君も心配」
思わぬ所で、話が俺の所に戻ってきてしまった。いや俺自身心配ではあるけど、千尋先輩のとはまた訳が違う気がする。
「俺ですか?」
「そ。怪異っていうのは言霊の塊って先生言ってたじゃん?」
「ですね」
「言霊の塊だからこそ、怪異の行動は元になった怪談から予測できるの。ヒキコさんは、子供がボロボロになるまで引き摺り回す怪異でしょ?でも、君は軽傷で済んでる。詰まり……」
行動の予測。俺が軽傷で済んでいる事実。ヒキコさんの怪談……まだ俺は、ミンチになる程引き摺られてはいない。まだ奴の行動は終わっていない。
「もう一度俺を襲いに来るって事ですか?」
「そ。あくまで可能性の話だけだけどね。取り敢えず、明日も民俗学研究部に来てくれるかな?話もあるし、渡しておきたい物もある」
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