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Category 5 : Encounter

9 : Interference

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 一筋のウォータージェットが空中へ向けて一直線――その先にはラテン系青年、レックスの姿。彼の服はずぶ濡れだった。

 彼は周囲の身に纏った空気ごと移動し、躱しながら手を斜め下へ差し下ろす――掌上で空気が圧縮され、一気に地上へと放出。

 空気塊の発射先には半分白髪の大柄な男性――リヴィングストンは迫る圧縮空気を前に手を差し上げた。

 すると、地面から噴出した水の壁が空気を防いだ。水飛沫だけが散り、レックスが顔をしかめる。

(せめて接近戦が出来れば良いんだがなあ……)

 青年の思惑など考慮されないウオータージェットが連続して空へ伸びる。レックスは身体を捻って移動しながら避けていった。

(ならこいつで……)

 攻撃を躱しながらレックスの“思考”――しかし、彼は脇腹に受けた水流に怯み、何とか落下中に体勢を整える。高度は半分に落としていた。

「魚野郎に殺されるってのはどんな気分だ? 鳥野郎」
「お前は嫌いだがジョークのセンスは気に入った。だからここは一つ教えてやる」

 相手の男性は余裕に笑いながらレックスを見上げている。レックスの“思考”はまだ続いていた。

「紹介しよう、ラプター!」

 訳が分からず、白髪の混じった茶髪の男性は辺りを見回した。そして、視界に飛来する影を認めた。

 それが何なのか確認しようと思ったその時、突如吹き付けた空気塊が彼の体勢を崩した。

 吹き飛ばされ、空中で体勢を整えて着地し、改めて飛来物を観察する――ラジコン飛行機程度の小さな全翼機が正面から襲い掛かっている。

 ふと、全翼機に不可視の光――エネリオンが流れ、周囲の空気を一箇所に集中させる。そして前方に放出。

 瞬時に判断し、水の壁を展開させた。空気の塊はぶつかってあえなく散る。全翼機は男性の頭上を通り過ぎて旋回し始めた。

「ラプター? 残念ながら俺はスホーイが好きでね」
「そいつは冷戦の復活だな」

 斜め下四十五度、レックスが冗談と共にアサルトライフルを向け、引き金を引いた。対する相手も手を斜め四十五度上に、水の弾を撃ち返す。

 レックスは機動力を生かして避け、相手は足元を流れる水を材料に防壁を作り上げる。

 大気より密度が八百倍近くもある流体を前に、エネリオンの弾はあえなく散る。一方、無数の水弾は飛翔する人影を容赦なく捉える。

(盾さえ無けりゃどうにかなりそうなんだがなあ)

 トランセンド・マンが専用の銃器を通してエネリオンを銃弾に変換する時、銃弾の効力発動条件を決める必要がある。大抵は、当たった物体に熱や運動を与え結合を破壊する、という情報を与えられるが、この「物体」という広域な定義は空気による威力減衰を引き起こす。

 効力発揮条件は自由自在で、特定のものだけに絞ったり、特定のものを除外する事も可能だ。例えば今のレックスの場合では、特定の密度以上の物体に反応するように銃弾を設定している。しかしここでは水という流体もその「特定の密度」の範疇に入っていた。故にレックスは苦戦を強いられているのである。

 と思考を巡らせる途中で頬を高速の物体が掠めた。切れたようなヒリヒリする痛覚を意識した瞬間、今度は左足先に衝撃。

 体勢が崩れた隙を、水流が追撃。青年の身体が吹っ飛び、加速度運動曲線を描いて降下――ついに地面に足を着けた。

 一息ついたのもつかの間、続いて地中からレックスを水流が吹き上げた。

「これはこれは溺死する間抜けな鳥が居るとは」

 周囲を飛行している小型無人機の圧縮空気弾は全てブロックしている。空へ逃げた青年を撃ち落とそうと手を上げた。

「その前に魚を水揚げしなきゃあな!」

 不意に後ろから声がした。染みついた動作で上に向けた手を後ろにやる。

 遅れて振り向けば、水の壁に小ぶりな折り畳み式ナイフが一本埋もれていた。ナイフは勢いを弱められながら水中を進んでいる。

 しかし刃は十分な威力を持ったまま、そして壁を通り抜けた。

 本能的に顔を傾けたリヴィングストン──頬を鋭い感覚が掠める。

(何故通り抜けた?)

 ナイフの飛んできた先を見る。ドレッドヘアーの黒人がこちらへ走っていた。

「レッツダンス!」

 と踏み出し、水の壁に向かって跳び蹴り、着水した。

 空気より遥かに密度の高い流体、黒人が簡単に突破した。直後、白髪の混じった頭に蹴りが命中する。

 リヴィングストンは速攻で水の壁を背後に展開──自身のスピードを水でブレーキ。

 透明な液体を纏った男性はそのまま上昇し、空中に留まった。地上から壊れたタンクの水が重力に逆らって流れている。

「おっと、トビウオだったか」
「反乱軍の奴らはジョーク好きらしいな。この時代じゃなけりゃ良い友人になれただろうに」

 上空で笑いながら音速を超える雨粒を降らす。黒人青年は遊ぶように連続バク転して無数の弾を回避した。

 別の方向からは空気とエネリオンの弾が立て続けに襲うが、気にする必要はない。

「いい加減もっと違う戦法にしたらどうだ。脳まで鳥か?」
「お前は余裕らしいな。だが他はどうかな?」

 レックスが動揺を誘う。実は先程味方の通信から『管理軍の残りは半分』と聞こえたのだ。しかしどういう訳か、相手の男性は更に笑みを浮かべた。

「指揮は別の奴に任せてある。私は組織になんて興味は無い。面白そうなので協力してやってる、って位だ。戦いが好きなものでね!」

 向こうが声を上げた、途端、汲み上げられた水の塊が飛行しているレックスを狙う。

 ラテン系青年が移動方向を一気に逆転、躱そうとした――同時、水の塊は爆発するように周囲に拡散。

 散弾を前に、空気の壁が応戦する。風圧に打ち勝った水圧が残された力でレックスの体を濡らした。

「これじゃあ山行って水遊びしたとクラウディアに怒られそうだな」
「気に入った、折角の機会だ自己紹介でもしよう。私はケビン・リヴィングストン」

 レックスが口元を緩めた。

「俺はレックス・フィッシュバーン。じゃあ、バイバイケビン!」

 と手を突き出し、圧縮空気を繰り出す――水の障壁が阻んだ。

「おっと」

 わざとらしく呟き。斜め下の黒人から不意に投げられた刃に対して体をスライド。

 今度は連続する発砲音――笑いながら音の方向へ右手。

 遅れて振り向くと、ケビンは笑いを引き締めた。視線の先では、数個のグレネード筒が水の壁の中で止まっていた。

 爆発――熱で水の一部が気化爆発し、壁を破壊する。

 風圧による一瞬怯みを逃さず、周囲を飛び回っていた無人機からの空気塊が、大穴を通りケビンを撃ち落とした。

「頑丈な魚だ」
「そっちこそ鳥にしてはな」

 ずぶ濡れで高い所から見下ろすレックスと、地表近くで水のクッションに埋もれるケビン。笑顔の二人の様子を地上から多数の兵士が見ていた。

「あの噴水野郎にもっと撃ち込め!」




















『敵の通常戦力は残り半分以下。あとはトランセンド・マンが三人だ』
(ありがと。じゃあこっちも終わらせる)

 味方からの電波通信をイヤホンが、森林に座っている小柄な女性、テレサの耳に入力。

 鼓膜の振動情報が脳に――応じた脳の処理情報は遙か遠くの管理組織施設内へ。

 現代ではトランセンド・マンの思考に関するこんな不思議な事が観測されている。思考による遠隔操作系の能力において、思考の際に未知の素粒子が検出された。

 エネリオンの働きは思考に関係しない、と以前から観測や実験で判明していた。もしもエネリオンが思念送信に必要ならば、伝えるために「発射」のエネルギーが必要になるからだ。

 脳は電気信号という一種のエネルギーのやりとりによって活動しているが、エネルギーは伝達手段であって「情報」そのものにはエネルギーは存在していない。思考の際にエネルギーが無いとなれば、つまり思考とエネルギーは別の物という事である。

 しかし、意思を神経の外へ出すプロセスが不明だったのだ。そして、その未知の素粒子こそが思考に関する情報を司る重要な素粒子とされ、深く研究がなされている。

 それはさておき、テレサの思考は瞬時に遠方のエネリオンの身体へ――肉体が処理情報に応じて出力。

 まずは物陰に隠れたまま周囲状況確認。炉らしき装置が壊れた付近を一人の中年男性が調べている。時々周囲を見渡しているのは、テレサの分身が居る事を察しているからだろう。

(でも正確な位置までは分かっていない。終わらせる)

 力学的エネルギーを発生させるエネリオンで構成された仮の肉体は、左手に握る炉から取り出した謎の破片を持ちながら、床上を滑るように高速移動。常人には姿など見えず、音も聞こえない。

 仮想の肉体がパンチを出そうと、腰のバネを肩に、足に、腕に、全身を使って拳を伸ばす。

 正拳が炉を見ている相手の側頭部に触れた――押し込み、飛ばす。

 男性が背後にあった高台を支える鉄骨に命中、鉄骨の支点周囲の床が崩れ落ちた。

 ガコン、とすぐに立った男性が瓦礫を払い飛ばす。オレンジのサングラスは殴られた方向を見ていた。しかし目線はキョロキョロと定まっていない。

(よし、やっぱり適正で分かってないみたい)

 エネリオン体は相対距離を詰めてストレート、相手は何の反応もなく、仮想の拳が顔面を抉った。

 しかし、相手は吹っ飛ばず踏みとどまり、手を前に振る。軌道上にあったテレサの仮の腕を掴んで引き寄せた。

(掴んだ? どうして?)

 慌てて確認する。男の体表をまばゆいばかりのエネリオンが包んでいた。構造情報を確変されたエネリオンは、同じく構造情報を確変されたエネリオン同士と干渉する。

「そうか、この基地の事を反乱軍に知られたのはお前の仕業か、コソ泥め」

 低い声が思い付くように、振り払おうとするエネリオンの腕を制する。

(強い)
「俺には特殊能力も無いが、殴り合いだけは自信があってね」

 不可視の輝きを纏った拳がエネリオン体の頬にめり込む――スライドするように吹き飛び、ゆっくりと地上三十センチメートルで静止。

 だがそれだけで済まされない。テレサはエネリオン体と送受信し合う事で仮想の肉体を動かすが、それは一方に限った訳ではない。どういう事かというと、エネリオン体によってテレサが何かしらの影響を受ける事もある。

 エネリオン体の知覚は、本人の知覚と遜色なく情報を伝える。痛覚だって同じだ。結果、遙か遠くの森林で座る小柄な女性の顔面を、間接的な打撃が襲った。

「きゃっ!」

 痛みによって普段とは対照的な高い素っ頓狂な悲鳴が、森の中に拡散した。

 慌てて意識をもう一方の身体へ向ける――こちらを破壊されてしまえば自分が死ぬ事は無いが、掴んだ敵の重要機密が奪えない――視界が木々から鉄骨に移り変わった。

「幽霊だろうが何だろうが殴り倒してやるぜ」

 視界中心、中年男性の姿が近づく。
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