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その三十五 竹姫の里
しおりを挟む湖国の領土のじつに七割を占める星鏡湖(せいきょうこ)。
広大であるがゆえに地元の漁師からは淡海とも呼ばれている。
その南西部の畔には名が知られている竹姫の里がある。
良質な青竹の産地にて、里の者らは竹を用いた工芸品や竹炭などをこしらえては生計をたてている。竹は建材としても優秀にて、そちらの需要も高いおかげで里は潤っていた。だがこの里の名を周囲に知らしめていたのは、そればかりではない。
ずっと昔のこと。
湖国の女王との謁見の帰りに、たまさかこの地に立ち寄った他国の使節団があった。
その中にいた一人の若い官吏と里の娘が恋におちる。だが若い官吏は職務の途中にて、どうあっても自国へと帰らねばならない。そこで「必ず戻るから待っていてくれ」と娘に自分が大切にしている首飾りを誓いの証として残していった。
この話を耳にした里人らの多くが「どうせ戻ってきやしないさ。花の命はなんとやら。早く忘れて、いい人を見つけたほうがいい」と娘を諭す。
だが娘は男を信じて待った。
季節が一度巡ってもなお娘は待っている。
その姿に里人らは娘をとてもいじらしいと思った。
季節が二度巡ってもなお娘は待っている。
その姿に里人らは同情しつつも、娘の頑なさに少し呆れもしていた。
季節が三度巡ってもなお娘は待っている。
その姿に里人らは口では気の毒がりつつも、内心では彼女を「行きずりの男に騙されたとも気づかないとは、なんと愚かな女なのだ」と嘲笑っていた。
風景や人心が移ろう中で、娘の心だけは微塵も揺らがない。
やがて季節が四度巡ったとき。
待ち人はついにあらわれる。
ただし先に出会ったときとはまるで様子がちがっていた。
大勢の供を引き連れての参上。
若い官吏は仮の姿にて、男はじつは他国の王子であったのだ。
ここまで迎えに来るのに時間がかかったのは、やんごとなき身分であるがゆえに、周囲の説得に時間がかかったから。
かくして娘は迎えの駕籠に乗せられて他国へと嫁いでいった。
里娘が王妃となる。とんでもない立身出世!
これに里人たちが驚いたのは言うまでもない。だがそれと同時に彼らは自分たちの不明や浅はかさをおおいに恥じたものである。
そして以降、この集落は竹姫の里と呼ばれるようになり、青竹のみならず美人の里としても知られるようになった。
◇
斜めに割った竹筒の中に蝋燭(ろうそく)をしのばせた竹灯籠。
千にもおよぶ竹灯籠が里のそこいらに置かれており、日暮れ前になったところで次々と火を灯していく。
たちまち宵闇に浮かぶ淡い光たち。
聞こえてくるのは笛や鼓などの軽快な祭り囃子。
音色を辿って里の広場へと行けば、そこではキツネの面をつけた男女が楽しげに輪となって踊っている。踊りは空が白じみだす明け方近くまで続けられる慣わし。
年に一度の幻想的な夜。
これは竹姫を祀り、その故事にあやかろうという里の祝祭。
誘い誘われ、意気投合すればゆくゆくは夫婦に……なんてことも許されているとあって、この日のために若い男女は己を磨き、あるいは工夫を凝らしては、異性の気を引いたり、意中の相手を射止めようと張り切っていた。
しめやかに、しとやかに。けれどもどこか熱を秘めた夜。
そんな中にあって多くの男たちが目当てとしている家があった。
その家には近隣でも評判となっている美人三姉妹がいる。
上から十七、十六、十五と花盛りにて、長女の一豊(ひとよ)、次女の二葉(ふたば)、三女の三菜(みさい)という。
伝説の竹姫の再来とも称されている娘たちにて、ゆくゆくはやんごとなき御方から声が掛かるのではともっぱらの評判。
それゆえに父親も娘たちを手中の珠のごとく大切に育てており、ふだんは悪い虫が近づかぬようにとつねに目を光らせている。
だが、今宵だけは特別だ。
べつに男たちとてだいそれたことは考えていない。せめてもの思い出に、美しい娘と手と手をとりあい、ひと踊りでも出来ればといった程度のこと。
あるいは仲間内にて誰が娘たちを誘い出せるか、なんぞという賭けもしていたが、それとてちょっとしたお遊びにすぎない。
我こそはという男たち。こぞって三姉妹の家へと向かう。
ある者は花束を手に、ある者は簪(かんざし)を、またある者は反物なんぞの贈り物を用意しては、娘たちの気を引こうとしていた。
けれども、いざ勇んで家へと押しかけてみたら、いくら門前で声をかけても返事がない。なにやら家全体がしぃんと静まり返っている。
里中が浮かれている祭の夜だというのに、はや寝てしまったのか?
父親が娘惜しさにと考えられなくもないが、それにしては家がまとっている空気があまりにも冷たすぎる。人の気配が感じられずまるで空き家のよう。
よくよくみれば玄関の戸も開けっ放しにて、どうにも様子がおかしい。
ひょっとしたら賊にでも押し入られたのかも。
そう考えると矢も楯もたまらず、男たちは口々に目当ての娘の名を呼びながら、家の中へと飛び込んだ。
だが男たちはすぐに泡を喰って表へと逃げ出してきた。
なぜなら家の中が血の海となっていたからである。
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