聖なる剣のルミエール

月芝

文字の大きさ
上 下
11 / 33

11 聖剣に選ばれた男 Ⅱ

しおりを挟む
 
 帰国直後に発覚した妻と親友の不貞。
 
 二人が裸で絡み合う姿を間近で目撃したというのに、なんら感情が高ぶらなかったのは長い勇者業による心神喪失状態にあったからだと思っていたが、どうやら違ったらしい。
 違う生き物になってしまったと自覚したがゆえであったのだ。
 王国内で活動していた時には、まだ人間であろうと足掻いていた。でもそれも長い苦難の旅路の末に、最果ての地にて使命を果たした頃には、もう諦めていた。
 自分が人間じゃないと認めたとき、視界の中にある多くのモノに対する私の価値観がごっそりと変わる。己の中での優先順位が激しく入れ替わったのだ。
 国、妻、親友……、そのどれもが以前の位置よりも数段下へと落ちた。
 その結果が妻の不倫現場での淡泊な対応。
 いまとなってはもう、妻を愛していたのかどうかさえわからない。親友に対する想いすらもがあやふや。
 重大な裏切り行為なのだろうが怒りはない、あるのはただ「また人間の部分がひと欠けら零れ落ちた」という喪失感だけ。

 帰国後に自宅にて一休みしてから王城へと赴いた私は、ジェニング王との謁見の後、そのまま城にて留め置かれることになる。
 結局、民衆向けの演出として華々しい凱旋パレードを行うために、帰国場面からやり直すこととなり、それらの打ち合わせや、無人の土地の領主となるための手続きや勉強などに時間を費やし、自宅に戻ることはかなわなかった。
 近衛隊に務めているルイの奴に会えたら、先日のことや妻とのことを話そうとも考えていたのだが、城内にて彼の姿を見かけることもついぞない。
 こうして時間だけが忙しなく過ぎていく。
 二度ほど手紙を書いて妻に届けてもらったのだが、返事はなかったので、三度目は書いている途中で筆を置いた。
 
 二週間後に凱旋パレードが行われ、私と旅を共にした連中は街頭にて沸き立つ多くの民衆の声援を受けながら入城し、厳かな雰囲気の中、謁見の間に詰めかけた貴族たちの前にて、粛々と王に使命を果たしたことを報告する。
 それからは恩賞の授与式やら、祝賀パーティー、懇親会などが連日続く。
 どの会場にも勇者の妻が出席することはなかった。つまりそれがシーラの意志ということなのであろう。
 王城内で留め置かれること更に二週間。
 どうにか時間の都合をつけて自宅に戻れたのは、帰国後より一ヶ月も経ってからのことであった。



「どうして怒らないのですか? わたしを罵らないのですか? 彼との関係はすでに五年にも及ぶのですよ。貴方が命賭けで世界のためにと戦っている間中、私たちはずっと貴方を裏切っていたというのに、なぜそんな風に平然としていられるのですか?」

 リビングのソファーにて向かい合う私と妻のシーラ。
 ほんの一瞬だけ、あの日の情景が脳裏をよぎるもすぐに振り払う。
 久しぶりに見たシーラが不甲斐ない夫を睨む。こんなキツイ表情の彼女を見るのは初めてである。
 私は自分の心情を素直に吐露し、自身の非を恥じて、「君は何も悪くない。すべては私のせいだ」と詫びると彼女は激昂した。

「違う! 違う! 違う! そうじゃない!」

 ルイと関係を持ったのも関係を続けたのも、彼を愛しているのも全部、自分の意志なのだと叫ぶ妻。断じて私のせいなんかじゃないと言い、そもそもこの結婚生活に愛なんて求めていなかったと言い、私のことなんてまるで愛していなかったと言い、勇者の妻なんてなりたくなかったと言い、私の価値なんて自身の平穏と安定しかなかったというのに、それすらも守れないのかと罵る。
 彼女の言葉は途中から激情に流されて支離滅裂となり、わけがわからなくなる。
 それでも私と夫婦生活を続ける気がないということだけは伝わった。
 だから当初の予定どおりにこちらから別れ話を切り出し、「家も土地も財産もすべて好きにするといい」と告げる。
 細々とした手続きは代理人に任せることにする。
 
「もっと早く、こうしておけば君を苦しめることもなかった。本当にすまなかった」

 頭を下げ家を出ようとする私の背にシーラが最後に投げかけた言葉は、「貴方にとって私は怒る価値もないのね」というものであった。
 誤解だと言いかけたが、その言葉はぐっと飲み込んだ。
 今更なにを言ったところでもう遅い。
 私は彼女の言葉に答えることなく、黙って玄関の扉を閉める。

 こうして私たちの夫婦生活は終わった。



しおりを挟む

処理中です...