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009 ほぼ密室
しおりを挟むクリスティーナ嬢から連絡を受けて、すぐさま酔果倶楽部へと駆けつけようとしたおれと芽衣。
だがしかし、おれだけ到着がずいぶんと遅れた。
けっして足が遅かったとか、タバコのせいですぐに息があがったとか、体力がなくてへばったせいなどではない。
原因はパトロール中の制服警官二人組。
先を軽快に走る芽衣。ぐんぐん遠ざかる。その背をおれが追うかっこうになっていたところを「ちょっとそこのキミ、止まりなさい」と見咎められてしまう。いわゆる職務質問というやつだ。
どうやら警官たちの目には、いい歳をしたおっさんが若い娘の尻を追いかけ回しているように映ったらしい。
場所は歓楽街のど真ん中にて、いかがわしさ五割増し。
「ちょ、ちょっと待て! 誤解だ。おれは何もしちゃいねえよ」
「あー、はいはい。みんなそういうんだよ。とりあえす近くの交番にいこうか。話はそこでゆっくり聞くから」
左右からがっちり腕をとられて、捕獲された宇宙人のようにおれは制服警官どもに引きずられていくハメになる。
なお芽衣に助けを求めようとしたが、タヌキ娘は健脚のままにピューッと行ってしまっており、それはかなわなかった。
◇
「ずいぶん遅かったですね、四伯おじさん。いったいどこで油を売っていたんですか?」
どうにか警官たちの誤解をとき、汗だくとなり現場へとかけつけたおれに対しての芽衣の第一声がこれである。ひどい助手だ。
最初の連絡があってからすでに一時間以上も経過しており、犯人はとっくに獲物をかっさらって逃げてしまっている。
念のために犯行現場を見せてもらう。
だがおれはすぐに首をかしげた。
犯行が行われたのは酔果倶楽部の従業員たちの控室。
ズラリと壁際に並ぶロッカー。その反対側には数人が一度に利用できる大きさのドレッサーが置かれてある。鏡台まわりが化粧品やら私物でごちゃついているのはご愛敬。
控室の場所は店の一番奥にて、出入り口は店内へと通じる扉がひとつ。あとは明かりとり用の細長い小窓があるばかり。
当然ながら部外者は立ち入り禁止だ。加えてこの店は半地下のような立地ときたもんだ。
とどのつまりは、ほぼほぼ密室状態ということ。
さすがは怪盗ワンヒール、ここから獲物をかっさらうとは、あいかわらずやるな。
と感心したいところだが、今回の犯行はニセモノによるもの。
しかしはたして華麗な盗みの手口までたやすくマネなんぞできるものなのか?
「どういうことだ。もしかしておれたちの見立てがまちがっていて、じつは本物だったとか。いや、だが……」
エロかわいいクリスティーナ嬢のお多福顔が、これまでの怪盗ワンヒールのターゲットとなった女性像からはあまりにもかけ離れ過ぎてる。
おかしなことは他にもある。
盗まれたハイヒールが片方だけではなかったということ。
左右そろって消えてしまっているのだ。
「ひょっとしたらおせちに飽きたのでそろそろカレーにしよう、とか」
芽衣の意見におれは腕を組んで、うーん。
たしかにそういう気分になることはある。
だがそれはあくまで、このおれのようなノーマルタイプの男にのみ当てはまること。
性癖、それもこじらせた変態級の対象に対する執着は想像を絶する。
怪盗ワンヒールはわざわざ予告状を送りつけて、自ら出向くほど。
こだわりたるや並々ならぬものがあるのはまちがいあるまい。
そいつをあっさりひるがえしての趣旨替え?
……ありえない。
それが早々におれの下した結論。
しかし今回の一件、どうにもわからないことが多すぎる。
◇
酔果倶楽部をひきあげ探偵事務所へともどったおれと芽衣。
ホワイトボードを前にして、いったん事態を整理する。
まず芽衣が書き出したのは今回の一件に関する登場人物たち。
喪服の美女。
怪盗ワンヒールのニセモノを捕まえてほしいと依頼してきた山本詩織。破格の報酬を提示するもその理由は不明。
クリスティーナ。
酔果倶楽部に務めるスイカップ嬢。ワンヒールのニセモノとおぼしき者から予告状を受け取り、ちょっと浮かれていた。まんまとハイヒールを盗まれる。
怪盗ワンヒール。
夜ごと高月を騒がせる真性の変態野郎。美女のハイヒール、その片方だけを狙う。
怪盗ワンヒールのニセモノ。
ファン? 同好の士? 現時点では意図も正体も不明。
千祭史郎。
酔果倶楽部のオーナーにして、桜花探偵事務所の高月支店長も任されている。
仕事は出来るが人格に難あり。正体はドーベルマンにて、血筋や家柄をやたらと重んじる傾向あり。
「わたしたちをべつにすると、案外、少ないですね」
そうつぶやきながら芽衣が続けて書き出したのは、ナゾをいくつか。
・依頼人はどうして怪盗のニセモノを捕まえたいのか。
・今回の事件は本物の犯行なのか、それともニセモノによるものなのか。
・ほぼ密室から、犯人はどうやってハイヒールを盗みだしたのか。
・なぜクリスティーナ嬢が狙われたのか。
簡単な人物相関図なんかを仕上げた芽衣が最後に用意したのは、犯行現場の写真。
おれとはちがってクリスティーナ嬢から連絡をもらってすぐに駆けつけた芽衣が、スマートフォンで撮影したもの。
「いちおう、こんなところですかね。ついでに店の人たちに話を聞いたんですけど、誰も不審な人物は見ていないとのことでした」
「つまり部外者は入っていないということか?」
「はい、そうなります。もっとも開店準備に追われて忙しくしていたようですけど」
「まぁ、あんな場所を見かけないやつがうろうろしていたら目立つわな」
「怪盗ワンヒールは変装の名人ですから店の誰かに化けたとか? もしくはわたしたち同様にじつは……という線も」
「あー、変装の線は捨てきれないが、やつがおれたちと同類ということだけはない。あれは正真正銘、ただの人間だ。それはこの前の追いかけっこで確認した」
「確認って、いつのまに?」
「あいつが走っているときの動きだよ。おれたちみたいに動物が人間に化けていると、ちょっとした動作に素体時のクセが出ちまうんだ。仕草はいくらでもマネられる。けど骨格レベルで染みついた動きってのはどうしようもない。だから断言できる。怪盗ワンヒールは人間だ」
おれが探偵らしい鋭い観察眼を披露したところで芽衣がたいそう感心し「さすがは四伯おじさん、ステキ! 抱いて!」
とはならない。
そればかりかうちの助手は「えー、本当かなぁ。なんてったって四伯おじさんだしなぁ。近頃、ちょっと老眼が入っているし、なんかいまいち信憑性にかけるんですけど」なんぞとぬかしやがった。
えらいいわれようである。
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