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030 のべつまくなし
しおりを挟むおれはベンチにてのんべんだらりと座り、微糖の缶コーヒー片手にタバコをぷかぷか。
時刻は昼前、場所は屯田団地の九十八棟近くの公園。なお天気はそこそこ良好。
ほとぼりが冷めた頃合いを見計らっての再来訪。
ぼんやりしていると、ふいに影が差す。
日傘を持ったご老嬢の登場だ。
「お隣よろしいかしら?」
相席を求められたおれは黙って身を横にずらす。
他には誰もいない公園で探偵と老女が並んでベンチに座る。
互いに前を向いたまま、おれはぼそぼそ独り言を始める。
「例の件ならきっちりカタがついた。もう心配はいらねえよ」
◇
九官鳥プリぺーラ・オンブレを巡っての一連の騒動。
飼い主にして依頼人である栗原正蔵。
妻が溺愛しているけれどもちっとも世話をしない九官鳥。彼がしぶしぶめんどうをみているうちにあやまって逃がしたことに端を発し、これが原因で夫婦仲に亀裂が生じ、行方不明の九官鳥を探すうちにたどりついたのが屯田団地の敷地内にある変電所。
そこでナゾの黒いローブ集団に囚われているところを発見するも、解放交渉をしているさなかに大中小の三人組の介入を受ける。
そして深夜の追走劇としゃれ込み大立ち回りを演じて、どうにか奪取に成功する。
あの時、三人組を雇っているとおぼしき黒幕へ、おれはメッセージを残した。
すると次の日にさっそく向こうから連絡をつけてきたのだが、電話越しにわずかなやりとりにてケリがつく。
「なにが望みだ? 金なら……」
交換条件を提示してくる黒幕さん。
これに対しておれは相手の正体を問うこともなく、「いらねえよ。それよりもおまえさんが九官鳥を追っていた理由は、やつの口達者が原因か?」とだけ。
「…………」
沈黙がすべてを物語っていた。
なんてことはない。こいつも深夜に変電所に集っていた連中と同じ。
うっかり外部にもれてはマズイことをプリぺーラ・オンブレに聞かれてしまい、あわててどうにかしようと焦っただけのこと。
だからおれは黒幕さんを安心させてやる。
「だったら心配いらない。木を隠すには森の中ってね。クソの役にも立たねえ、酔っ払いどもの与太話やら罵詈雑言をしこたま詰め込んでやったからな」
「それはどういう意味だ?」
「なぁに、簡単なことさ。九官鳥を連れ帰った足でおれは馴染みのスナックへと立ち寄った。で、ひと晩、カウンターにやっこさんを放置した」
馴染みのスナックとは我が尾白探偵事務所の階下にて古ダヌキがやっている「昇天」のこと。
ピンク界最下層に位置する場末のしなびた飲み屋らしく、客層もお里が知れている。おかげで下品な言葉やら卑猥な会話にはことかかない。ましてや酒が入った連中のそれは筆舌に尽くしがたく。
でもって賢いキューちゃんは、たった一晩で世にもお下劣な九官鳥に成り下がったと。
「狼少年ってわけじゃねえが、もうあいつの吐く言葉を真剣に聞くやつはいないね。断言してもいい。なにせうっかりテレビ中継にでも映り込めば、たちまち放送事故でピーピーピーだからな」
おれがゲラゲラ笑うと、受話器の向こうからくぐもった低い笑い声。
「くくく、そいつはいい」
どうやら黒幕さんもこの解決法をお気に召してくれたらしい。
憂いが消えて相手が気を良くしたようなので、おれはついでにこんな質問をぶつけてみた。
「なぁ、あんた。もしもまんまと九官鳥を手に入れたとして、どうするつもりだったんだい?」
するとやつはこう答えた。
「どうするのかだって? もちろん飼うに決まってるだろう」
黒幕さんは思っていたよりもいい人っぽい? そういえば手下の大中小の三人組もどこか憎めない連中だったし。
そんな黒幕さんだが「今回の件は借りひとつということにしておこうか、尾白くん。ではまた」と電話を切った。
うーむ、彼はいい人なうえに義理堅くもあるようだ。
まぁ、なんにせよ話のわかる相手で助かった。正直なところ、もうお腹いっぱいでこれ以上の騒動はかんべん願いたかったもので。
◇
「……と、まぁ、だいたいこんな感じだ。だからお仲間連中にも、だいじょうぶだって教えてやってくれ」
説明を終えたおれは缶に残っていたコーヒーをひと息に飲み干し、そこに吸い殻を放り込む。あまりお行儀のいいことではないので良い子はマネしないように。
おれが「よっこらせ」と立ち上がると隣の老嬢も席を立つ。
「わざわざそいつを報せにきてくれるだなんて……。あんた、なかなかいい男だねえ。あたいがあと二十若かったらほっとかないよ」
日傘をくるくるさせながらそんなことを言われて、おれは頭をぼりぼりかきながら苦笑い。
愛用の漬け込んだオリーブの実の色をしたジャケット。その内ポケットより名刺を一枚とりだし、彼女に差し出す。
「そりゃ光栄だ。おれも二十年早く生まれていたら、絶対にほっとかなかったね。で、せっかくだからこいつを渡しておく。もしも何か困ったことがあったらいつでも連絡をくれ。あとそれから、嫁いびりはほどほどにな」
「あらあら、人聞きの悪い。愛のムチと言って欲しいわね」
ホホホと口元を隠しつつ上品に笑う老嬢。
やれやれ、これがあのトンガリ頭の黒いローブと中身が同じなんだから、女ってのは本当に怖いねえ。年季が入っている分、性質が悪いったらありゃしない。
古来より狐七化け狸八化けなんぞと云われちゃあいるが、なにげに人間の女が最強なんじゃねえの?
おれは老嬢に「じゃあな」と別れを告げて、最寄りのバス停へと向かう。
背後から届く「デートのお誘いでもかまわないのかしら」というからかい混じりの声には、ふり返ることなく適当に手をぶらぶら振っておいた。
歩きながら新しいタバコに火をつける。
煙の行方を無意識に目で追うと、ほどほどの青空。
いかにもこの高月の地にふさわしいほどほど具合に、おれは目を細めた。
かくしてまたひとつ依頼が終わった。だからとてどうということもない。
人間やおれたち動物がどれだけあくせくしようとも、空は青く太陽が燦然とかがやき、日常はのべつまくなしに過ぎてゆく。
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