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187 ぽんぽこタヌキ汁
しおりを挟む夜討ち朝駆けは戦の基本。
というわけで、潜伏中の芽衣は朝駆けを敢行しようと、こそこそ五階へ向かう。
夜明け前の時刻とあって、さすがに建物内は静まり返っている。
だが三階にきたところで唐突に「ぐうぅぅぅ」と鳴ったのは芽衣の腹の虫。
「さすがに小さな饅頭三つぽっちでは足りないよね。そういえばこの階には食堂があったか。よし、ここでいっちょう戦前の腹ごしらえといきますか」
誰もいないのを確認してから食堂へ。さらにその奥にある調理場に向かう。
大人数の胃袋を支えているだけあって、冷蔵庫も業務用で巨大なのが壁面にズンズンズンと並んでいる。
冷蔵庫の扉を開けてみたら中には肉の塊に魚介類などの食べ物がたくさん。
「しめしめ、いっぱいあるぞ。えーと、このチーズはそのまま食べられるよね。あっちのローストビーフもいけるか。おっ、この角型トレーはティラミスじゃない! こっちのはゼリーにプリンまで! そうか、デザートや果物類なら冷たくてもへっちゃら」
食材のみならずデザート類も充実のラインナップ。大勢の食事をまかなうために作り置きをしてあるのだろう。他にもキャビアの缶詰とか生ハムとかも発見。
さっそくムシャコラ。
「もぐもぐもぐ、ごっくん。ちくしょう、ローストビーフ超うめえ、です。なんだこの柔らかさ。悪党のくせしていいもの食べてるなぁ。やっぱり儲かるのかしらん。
くっ、なんだか悔しい。こうなればイケるとこまでいってやる。
でもキャビアの良さはよくわかんないや。同じ魚卵なら明太子か子持ちシシャモの方がずっといいね。あっ、そうだ! マヨネーズをかけたらおいしくなるかも」
ここぞとばかりに食べ漁り、もりもり栄養補給をするタヌキ娘。
昨日の夕方からロクに食べていないから、いったん火がついた食欲が大炎上。
しかしそれゆえに悪い癖がでた。
バイキングやビュッフェなど、食べ放題のお店に行ったときに「よっしゃー、全種類制覇するぞーっ!」と意気込み「料金分の元はとる」という確固たる決意のもと、はしから総ざらい。結果として「美味しくいろんな料理を愉しむ」との趣旨からはずれて、味そっちのけで黙々と食べ続ける。そしてあとで「苦しい」と膨れたお腹をかかえて、ヒイヒイふぅ。
◇
散々に食い散らかし、「げふっ、さすがにもう無理」と芽衣がギブアップしたとき。
すでに朝駆けのタイミングはすっかり逃していた。
そればかりか「なっ、なんじゃこりゃあーっ!」と調理場に姿をみせた料理人の声。
そろそろ朝食の準備をしようとやってきてみれば、とんだ惨状。ゴツイ見た目に反して「きゃー」と乙女な悲鳴をあげてパニックになる。
騒ぎに釣られて「なんだ」「どうした」とゾロゾロ集まってくる巨漢、巨漢、巨漢……。とたんに室温がちょっと上がった。
その様子を物陰から見ていた芽衣は「やっべー」と頭を抱える。いかに素早い芽衣とてあれらの目をかいくぐって逃げ出すのは不可能。
というかすでに肉の壁が構築されてしまっており、人ひとりが抜け出す隙間もありゃしない。連中、背も高いから頭上をぴょんと飛び越えることも厳しい。ぱっと見でイケそうなのは足下だけど……と、ここで芽衣が閃いた。たっぷり糖分を補給したせいか頭の回転がすこぶる良好。
「おっ、そうだ。いいこと思いついた」
◇
荒らされた調理場を前にして半狂乱の料理人。それをなだめる周囲の者たち。騒ぎに集う野次馬ら。
やいのやいのと、ちょっとしたおしくらまんじゅう状態となっている現場。
そんな彼らの足下をひょこひょこ、ツンとおすまし顔にて歩いていたのは一頭の豆タヌキ。
誰あろう人化の術を解いた芽衣である。
人の身で通り抜けられぬのならば、動物の身に戻って素知らぬていにて通ればいいだけのこと。
事実、この作戦はいいところまでいった。
最初に足下をチョロチョロしている豆タヌキの存在に気づいた者は「なんだ、ノラタヌキか」と興味を失くしすぐに目をそらす。次に気がついた者は「?」と首をかしげるのみ。次の次のそのまた次も特に気には止めなかった。
だがついにこう口にする者があらわれる。
「なんだタヌキか……って、いやいやいや、なんでこんなところにタヌキがいるんだよ! おかしいだろう」と。
ボケをスルーせずにきちんとツッコんだ彼の言葉に、その場に集った全員の視線が足下へと向いた。
するとたしかに豆タヌキが足の間をぬうようにチョロチョロしている。丸いお尻をふりふりさせながらトコトコ歩く姿がなんとも愛らしい。
ふり返った芽衣はペコリとお辞儀をしてから、そのまま立ち去ろうとした。
いきなりタヌキから頭を下げられた一同は面喰らいながらも、ついつい会釈を返す。
しかしひとりだけ「ちょっと待てや、こら」と憤怒の形相となったのは、大きな肉切り包丁を手にした料理人。
「これはきさまの仕業だな。ふっふっふっ、いいだろう。今朝のメニューはタヌキ汁に変更じゃあーっ!」
怒鳴るなり瞳が爛々と緑に輝き、額からはメキメキメキと三本の角が出現する。
その姿を目にして芽衣はようやく自分が相手をしていた連中の正体に気がついたものの、「逃げの一手あるのみ」と脱兎のごとく駆け出す。
掴まったら鍋にされてしまうリアル鬼ごっこ、ここに開幕。
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