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234 五階の怪
しおりを挟むあれほどドタンバタンと賑やかであったのが、おれたちが五階に到着したとたんに物音ひとつしなくなる。
シーンと静まりかえった暗闇を懐中電灯の明かりが斬り裂く。
五階は花伝オーナーが気の向いたときにしか空気を入れ替えないので、独特の淀みが滞り、ジメジメ臭に満ちている。心なしか気温が低いのは温度を発生させる類が何もないからか。
床には薄っすらと砂ぼこりが積もっている。
廊下をざっとチェックするも特に異常はナシ。足跡などはない。そもそも不審者が身を潜めるほどのスペースも物陰もない。
扉の前に立つ。
取っ手を掴み押したり引いたり。ガチャガチャ。
開かない。戸締りは問題なさそう。
カギ穴に鍵を差し込んだところで、おれはいったんふり返る。
「いきなり全員で踏み込んで何かあったら困るから、まずは外から様子をみよう。おれがドアを開けたら渚ちゃんがそこから室内をデジカメで撮影してみてくれ」
以前に訪れた幽霊屋敷で閉じ込められた経験がある。
同じ轍は踏まない。尾白四伯はデキる探偵なのだ。
この提案に渚ちゃんがデジカメ片手にうなづく。芽衣も「それでいいです」と同意した。
三、二、一にてドアを開く。
すぐさまフラッシュが焚かれて、シャッター音がカシャカシャ。連写モードにて十五秒ほど撮影してから、おれはサッとドアを閉めた。
「どれどれ」
「何か写ってるかな?」
「ちゃんと撮れているといいんだけど」
三人が額を突き合わせて、デジカメの小さなモニターをのぞき込む。
すると光の球みたいのが空中をたくさん漂っている画像が……。
「すごい! こんなにいっぱい! これってオーブ現象ですよ」
興奮する渚ちゃん、スクープゲットと大はしゃぎ。
ちなみにオーブとはパワースポットとかで撮影をするとよく映り込んでいる、たまゆらのこと。肉眼では認識できず、カメラの目を通してのみ判別できる。
心霊だの霊魂だの精霊だのという一方で、「ただの光の加減」「宙を漂うホコリだろう」という科学的な解釈もある。はてさて、真偽のほどやいかに?
念のためにもう一度先ほどと同じ方法で撮影を試みる。
するとオーブの数がめっちゃ増えていた。
例えるならばお盆過ぎの海水浴場に漂うクラゲの群れのごとし。
「これは……、うかつに立ち入ったらブスブス刺されてえらい目に合うんじゃなかろうか。スクープ写真は撮れたことだし、もう引きあげようぜ」
あくびまじりにおれ。若い娘二人を預かる大人としては当然の判断だろう。
けれども芽衣はともかく渚ちゃんが納得しない。「ちょっとだけ、ちょっとだけでいいから」とゴネる。
結局、渚ちゃんがねばり勝ち。
おれたちはしぶしぶ五階の部屋に立ち入ることになる。
◇
五階の間取りは四階のうちの事務所とほとんど同じ。
ちがいといえば何もなくてスッキリがらんどうなところ。こうやって見てみるとけっこう広い。うちは少し荷物を整理すべきかも。
内部は床も壁もコンクリートが剥き出しの打ちっぱなし。
花伝オーナーはこの状況を指して「今風のDIY可の賃貸物件だ」とのたまっているが、絶対にウソである。これでそれが成立するのであればラブホテルの廃墟も立派なDIY仕様だ。
自分から探索したいと言っていたわりには、へっぴり腰となり芽衣にしがみついたままの渚ちゃん。好奇心や記者魂は旺盛ながらも、いざともなるとやっぱり怖いことは怖いみたい。人間の女の子らしい反応がなんか新鮮。
女子二人が連れだっておずおず探索しているのを尻目に、おれはタバコに火をつける。
ポッと小さな赤い点が闇に灯る。
すると芽衣たちがいるのとは反対側で、同様の赤い点が唐突に浮かんだ。
「うん? なんだ」
訝しんだおれは懐中電灯を向ける。
とたんにギラリ、光が反射しておれは目を細める。
見つめる先にはこの部屋で唯一の調度品があった。
「おや、はめ殺しの鏡か。しかし大きいな、タタミ一畳ほどもあるぞ」
枠ナシの愛想のないスタイル。役場や学校の昇降口の壁面とかに設置されてあるような、華美さ皆無の品。
何もない部屋に唯一ある姿見。
違和感ありまくりで、雰囲気もありまくり。そういえば怪異と鏡って何かと縁があるとかないとか。
おれがしげしげ鏡を眺めていたら、芽衣と渚ちゃんも「どうしたの?」「あっ、鏡」と近寄ってきた。
その時である。
鏡の中をサッと影が横切った。
ほんの一瞬の出来事。
速すぎて正体はわからない。
でもけっして目の錯覚や見間違いということはない。
なぜならおれだけでなく、二人も目撃していたから。
とっさに拳を握り構えをとった芽衣。「ひっ」と声をあげ固まる渚ちゃん。
おれは素早く室内に懐中電灯の明かりをめぐらせ、何者かの居所を探ろうとする。
ドアが開閉された様子はない。窓も閉まっている。家具の類は一切ないので隠れる場所もないはず。
けれどもネズミどころかゴキブリの一匹も見つけられなかった。
◇
結局、それ以上のことは何も起こらず。
適当に写真撮影をして五階をあとにするおれたち。
オーブどもがフィーバーしている写真だけがたくさん撮れた。
芽衣と渚ちゃんは先に事務所へ帰らせて、おれはひとり二階のスナック「昇天」に向かう。
花伝オーナーにカギと味塩コショウのボトルを返しがてら「特に異常ナシ」と伝える。
「しっかし上にはずいぶんと立派なもんがついてるんだな。うちにはないってのに」
「うん? なんの話だい四伯」
「何って、鏡だよ鏡。はめ殺しのでっかいの」
「鏡? はめ殺し? さっきからおまえは何を言っているんだい。あそこには何もありゃしないよ」
「……えっ」
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