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278 イノブタの野望・雄飛
しおりを挟む薄暗い室内。
空気はジメっとしておりちょっとカビくさい。
壁や天井の隙間から差し込む光が筋となり、ふにゃっとしたタタミを照らす。
どこぞの忘れられし廃屋。その奥座敷におれの身は転がされている。
手足は拘束されている。
おれを捕らえたイノブタたち。うち二頭がぶひぶひ、ヒモの両端をくわえて器用にも縛りやがった。しかも結び目ガッチガチの加減なしだから、さっきから痛くってしようがない。
化け術を使えばこんなものはすぐに抜け出せる。だが厳しい見張りの目があるからそうもいかない。
角つきのイノブタが暗がりからじっとこちらの様子を油断なくうかがっている。
もしも怪しい素振りをみせたら、たちまちあの角でズドン。腹に風穴を開けられかねない。
「まいったな。助けを呼ぼうにも電波が入るかどうか」
こじんまりとした見た目とは裏腹に、起伏に富み入り組んだ地形をしている淡路島の内陸部。
大きな山こそはないが、小山と谷間がたくさんあって道もぐねぐね。手付かずの自然もぼちぼち。おかげで電波の通りが悪いこと悪いこと。
いまでこそテレビがまともに映るようになっているが、ひと昔前まで半分砂嵐状態がふつうだったほどに、ひどい電波状況だった。
かくいう洲本家では今でも場所によっては携帯電話が使えなかったりする。
そんな土地柄ゆえにちょっとぐらい連絡がつかなくても気にしない。
よっておれの窮状を葵のばあさんたちが察するのは、かなりあとになってからのこと。
でもそれじゃあ間に合わない。
そのときのことである。
かすかに床が揺れていることにおれは気がつく。近所を大型トラックが通ったときの振動に似ている。
「地震か?」
揺れがじょじょに大きくなっていく。
じきにズシンズシンとはっきり響くほどにも。
で、姿を見せたのはあの大イノブタであった。
◇
自ら足を運び虜囚の様子を見にやってきた大イノブタ。
「我は土鍋牡丹。いずれすべてのイノブタたちを統べる女王となる者だ」
圧倒的巨躯を武器に並みいる野生のイノブタどもを制圧。近在をたちまち掌握し、じきに島内にいるあらかたの同胞をも支配下に置く。淡路島に覇を唱える女王。イケメン逆ハーレムをつくって、酒池肉林の生活を送る野望を持つ。
尊大に、鷹揚に、得意げに語るイノブタの女王、土鍋牡丹。
おれは自分が来訪した理由を述べる。
自分は敵じゃない。散弾銃を手にした猟友会の面々がぞろぞろ出張ってくる。その危険を報せにきただけだと。
けれどもおれの話を聞いた女王は急に「ぶひひひ」と愉快そうに目を細めた。
「そうか、やはり来るのか。事前に掴んでいた情報通りだな。ならばむしろ好都合。やつらを血祭りにあげて戦神への贄とし、開戦の狼煙としてやるわ」
銃を持った人間は手強い。
だがそれもある程度の数がそろっており、きちんと統制されていればの話。
今日の狩りに参加する猟友会のメンバーの数はせいぜい二十人ちょっと。それがいくつかのグループに分かれて山に入って行くとなれば、これを各個撃破することなんぞは造作もないこと。
「動物界ならば狩る側も狩られる側もつねに必死よ。なにせ狩りの成否が死に直結するからな。文字通り命賭けだ。だが武器と数を頼りに行楽気分でやってくる人間どもなんぞ何するものぞ。恐るるに足らず。目にもの見せてくれようとも」
自ら手塩にかけて育てた野生のイノブタ軍団の精鋭たち。
これを持って迎え撃つと土鍋牡丹は鼻息も荒い。
実際のところ、森での戦いとなれば女王の口にしたような展開になる可能性が非常に高い。
森の奥で、木々や繁みを盾とし、四方八方からイノブタどもより波状攻撃をされたら、いかに猟友会の猛者どもとて押し切られてしまう。
彼らは獲物を追いつめ仕留める狩人であって、つねに危機管理は怠らないものの、自分が狩られる側とまでは想定していないのだから。
メンバーの中に名うてのマタギ(クマ撃ち専門の猟師のこと)でも混じっていれば別だが、おそらくはそうそう都合よくはいくまい。
だがしかし、それでも……。
「ちょ、ちょっと待ってくれ! たしかに初戦はあんたたちが勝つかもしれない。いいや、圧勝するだろう。だがそのあとはどうするつもりだ? すぐに報復を喰らうことになる。いざともなれば人間どもは容赦しない。ムチャクチャしやがるぞ」
それは歴史が証明している。
だからおれは懸命に女王の説得を試みる。
日頃は同族が飢えて死のうが、虐待されて死のうが、コインロッカーに打ち捨てられて死のうが、見て見ぬフリの知ったこっちゃねえ。同情はすれども金は出さず。手も差し出さず、ことなかれ主義が目立つ人間たち。
でもいったん沸点に達して別人格がムクリと起きたら、それこそ燎原の火のごとくすべてを燃やし尽くして灰塵へと帰す苛烈さを併せ持つ。
一度世間がイノブタ憎しとなったが最後、「キーッ!」と集団ヒステリーを起こして極端な行動に走る。きっと魔女狩りならぬイノブタ狩りが始まる。
それが人間という生き物。
やつらは身の内に狂気のケモノを飼っている。
連中の逆鱗に触れて、あるいは興味本位、もしくはほんの暇つぶしにて遊び半分に滅ぼされた種族は数知れず。
表立って立ち向かうには、人間どもはあまりにも危険で強大だ。
必死に思い留まるようにおれは言葉を尽くす。
だがその訴えの声はイノブタの女王には届かない。
「尾白とかいったな? あまり我らを猪突猛進とあなどるなよ。ちゃんと作戦は考えてある。きさまはそこでおとなしく我らの快進撃するさまを指をくわえて見ておるがよい」
何やら勝算があるらしき女王の物言いと態度。
ノシノシ遠ざかる彼女の背をおれは見送りながら、「どうか大事にならないでくれよ」と祈ることしか出来なかった。
◇
猟友会が本日の担当地域へと到着したのとほぼ同時刻。
淡路島各所にて潜んでいたイノブタたちが一斉蜂起。
精鋭で構成されたイノブタの特殊部隊が明石海峡大橋を管理している事務所を強襲。制圧が完了するとすぐさま通行止めの表示を出し橋を封鎖した。同様に四国へと通じている大鳴門橋も封鎖され、淡路島と外界をつなぐ陸路は遮断される。
これと平行して船着き場にもイノブタの別動隊が殺到、たちまち海路をも断つ。
続いて各地の漁港をも次々と陥落していき、ヘリポートなどを所有する病院や役所も包囲し手中に収める。
陸海空、すべての路が断たれ、島は完全に孤立した。
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