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340 浪々フェネック
しおりを挟む「みうみう」
か細く弱々しい。いまにも消え入りそうな鳴き声。
どうやらプレハブ小屋の中から聞こえているみたい。
おれと芽衣はそろりそろりと入り口へ近づく。
すると背後から鋭い一喝。
「何だおまえたちはっ!」
あわててふり返ると、そこには鉄パイプを手にしたひとりの青年の姿があった。
色あせたジーンズに薄汚れたスニーカー。着古しよれた無地の濃紺の半袖シャツ。
ボサボサ髪からのぞく瞳がこちらを射るようににらむ。けれども印象的であったのは、その顔の右半分にひどいヤケドの跡があったこと。
痛々しい容姿。だがそこに弱々しさは微塵もない。
突如あらわれた青年が髪を逆立てている。
どうやらおれたちに対して怒っているようだ。
このときになっておれと芽衣はようやくハッとして、自分たちの格好を思い出す。
ガスマスクっぽいマスクをつけて「コー、ホー」呼吸し、ゴーグルで顔は隠れており、上下つなぎにゴム手袋と長靴という完全防備。
まさに不審者そのもの。
後ろ指を差されても文句が言えないうさん臭さ。海外ならばいきなり銃で撃ち殺されても正当防衛が成立しそうである。むしろ鉄パイプでガンっと殴られなかったのが不思議なぐらい。
あわててマスクを脱ぎ、ゴーグルをとる探偵と助手。
「ちょ、ちょっと待って」「けっして怪しい者じゃない」
手をふり誤解を解こうとする。
で、鼻先をくん。
遅ればせながらおれはこの青年がただの人間じゃないことに気がついた。
それは相手も同じ。
おかげでやや警戒が緩和したもので、おれはホッと胸を撫で下ろす。
◇
「うわー、うわー、小さいです。かわいいです。愛い愛い」
ダンボールにかぶりつきのタヌキ娘。芽衣をメロメロにしていたのは三匹の子猫たち。
小さい、まだ生後一か月ほどだろうか。乳離れするかどうかという微妙な時期だ。
なのに親ネコの姿はどこにもない。
問いたげなおれの表情を察し、青年がぼそり。
「親はいない。こいつらは捨てられたんだ」
あちらこちらを気まぐれに渡り歩いているというこの青年、名前をコウという。その正体はフェネック。フェネックギツネとも呼ばれるイヌ科最小種。かつてペットとして飼われていたのだが、さる事情によりいまは浪々の身。
気ままに各地を渡り歩くうちにこのプレハブ小屋に辿り着いたところで、しばらくやっかいになることにしてのんびり暮らしていた。
そんなある日のこと。
いつものように食料を確保しに街へと出かけて戻ってきたら、ダンボールに入れられた子猫たちが捨てられていたという。
山奥の、それもこんなろくすっぽ人が寄りつかない廃工場跡に乳飲み子を放置する。
事実上の殺処分。
人間どもの無情な所業については今更なのであえて言及すまい。
とはいえ目に入ってしまった以上は見捨てるのもしのびなく。
コウは「ったく、しゃあねえなぁ」と、とりあえずひとりで生きていけるようになるぐらいまでは、面倒をみてやるかと考えた。しかし自分はこんな根無し草だし、そもそも男で乳も出ず、子育ての経験なんぞはまるでなし。寄る辺なく、頼るべき相手もなく、ましてやこんな面相ゆえに、いかに化けたところでまともに人前には出られやしない。
そうこうするうちにも朝夜になるといちだんと冷え込む山の気候。自分はへっちゃらだが赤子の身だとどうであろうか。
事態を憂い、食料を確保するかたわらでコウがせっせと集めたのが……。
「熟れ熟れ下着だったのかよ。でもどうしてよりにもよってあんなシロモノを」
とのおれの言葉に、逆に不思議そうに首をかしげたコウ。
「なぜって小さな子猫は繊細だからな。肌も弱い。その点、あれはちょうどよかったんだよ。いろいろ試した結果、子猫たちも気に入ったみたいだし」
だるんだるん熟れ下着が与える安心感は抜群。
ことあるごとに親恋しい、温もり恋しいと「みうみう」鳴く子猫たちも、これにくるまればたちまちおとなしくなる。
泣く子もスヤスヤ安心安眠とか。
ババ茶色ヴィンテージ下着の効能が半端ねえっ!
それからフェネックは夜行性だから街中の地下に張り巡らされた下水道は、彼にとってはとても使い勝手が良かったんだってさ。うちの雑居ビルに立ち寄ったのも、ふつうならば敬遠するであろう陰気さがフェネック的にはむしろ遠慮せずに立ち入れる雰囲気。高月中央商店街近辺に出没していたのは、一帯がゆるゆるぬるい雰囲気にて隙だらけ、食べ物がわりかし容易に手に入ったから。
コウからあれこれ事情を聞いたおれこと尾白四伯はしゃがみ込み、両手で顔を覆い真っ赤になっているであろう面を隠す。
ごめんなさい。
どや顔、キメ顔、得意げに「これは流しの犯行じゃない」とか「入念な計画による犯行」とか「とんでもないド変態」とか。
てんで見当ちがいの迷推理でやんの。
うぅ、とんちんかんなことを連発しちゃった。
あとコウくん、ぶっきらぼうだけど優しい好青年じゃん。
比べておれってヤツは……、なんて薄汚れているんだろうか。
おっさん、超恥ずかしい。ついいましがた出てきたばかりだけど、穴があったら入りたい。
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