おじろよんぱく、何者?

月芝

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354 アイデンティティ

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 ダンボールで作られた丸テーブルとイスにて優雅に番茶をすするおれと紫苑姫さま。
 湯飲みまではダンボールで再現できないので、これは陶器製。でも姫さまお手製の焼き物らしい。さすがはハイゼルコバ帝国が誇るクラフトマスター。手先がとっても器用だ。

 一方で少し離れたところでは、平成と明星が取っ組み合いの兄妹ケンカの真っ最中。
 暗黒騎士の装備一式を脱いで素となったら、ただの陰気な青年に戻った結城平成(ゆうきひらなり)。
 そんな兄に猛るネコのごとくじゃれつき、爪を立て、拳を振りあげ、ときに歯でガブリとする結城明星。
 数年ぶりに再会した兄と妹。
 先にブチ切れたのは妹の明星だった。

「くだんねえ理由で家出してんじゃねえよ!」

 対する兄平成の主張はこうだ。

「くだらなくなんてない! これはボクのアイデンティティの問題なんだっ」

 アイデンティティ……。
 それは「自己確立」ないし「自分固有の生き方や価値観の獲得」にほかならない。自我によって統合されたパーソナリティと社会との関わりを説明する概念。同一性,主体性,帰属意識うんぬんかんぬん。
 ごちゃごちゃしちめんどうくさいことをすっとばすと、ようは「自分らしさ」である。

 ありがちな薄っぺらい理論武装にて自己を正当化する兄平成。
 これを受けての妹明星の返事は右のストレート。
 クリーンヒット!

「知るかボケっ! 急にいなくなって『母さん』がどれだけ心配していたと思ってるんだ。この親不孝者のダメ兄貴っ!」
「たしかに『母さん』には申し訳ないことをしたと思っている。親不孝の誹りも甘んじて受けよう。だがしかし、ボクは出会ってしまったんだ。運命の相手である紫苑に……。母親と彼女、優先すべきは彼女だろう。もしもここでボクが母さんの味方をしたら、たちまちマザコン野郎に成り下がり、彼女から愛想を尽かされて破局になってしまう」

 嫁姑問題、あるいはそれに準ずる母親と彼女のどっちが大事論争。
 二人の女の間で板挟みになる男。
 血骨肉を授け惜しみない愛情を注いでくれた母親をとるか、ぽっと出の彼女との関係を重視し、あるいは妻に味方し家庭をとるのか。
 これはとてもムズカシイ問題だ。
 ある意味、カルネアデスの板ばりに究極の選択。
 どちらを選んだとて深い禍根が残る。
 なおこの問題への模範解答は「そんな苦境に陥らないように日々精進する」である。大切なのはバランス。事件が起こってからでは遅いのだ。
 たゆまぬ努力こそが身を助ける。

「くっ」

 兄の主張に一瞬ひるんだ妹。もしも自分が付き合っている彼氏がマザコンだったら、とか想像してしまった模様。だがすぐに首をふって盛り返す。

「マザコン野郎はたしかにイヤだよ。でもね、だからってロリコン野郎もノーサンキューだ! くたばれ!」

 青竹をスコンと割るかのごとき、気風のいい渾身のくたばれ。
 花も恥じらう中学生である結城明星は思春期真っ盛り。多感なお年頃の若い娘としては当然の見解であろう。周囲の友達とかには絶対に知られたくないはず。
 だがこの手の罵倒には慣れているのか、兄平成は堂々と胸をそらし「ふっ、だからこそボクには紫苑が必要なんだ」と声高に叫ぶ。
 非合法を合法にする奇跡の存在。
 見た目は幼女、中身は大人の紫苑姫さま。

 叫びながらチラチラこっちを見てくる兄平成。
 彼氏が彼女に「オレはこんなにもお前を愛しているんだぜ、夢中なんだぜ、ホノ字なんだぜ」とアピール。
 暗黒騎士の威厳はどこへやら。
 その姿はまるで飼い主にデレデレ尻尾をふる駄犬のよう。
 しょうがないとばかりに苦笑いにて手をふり「はいはい」と応える紫苑姫さま。
 大人だ。大人の対応だ。見た目こそは幼女だが紫苑姫さまはまぎれもなく空気を読んで配慮ができる大人の女性なんだ。

「なぁ、姫さまはあんなのが相手で本当にいいのかよ? その気になったら選び放題の立場じゃないのか」

 あきれるおれに紫苑姫さまは「そうでもないのよ」と肩をすくめる。

「ほら、わたしってばこんな容姿でしょう? 寄ってくるのは特定のジャンルに傾倒している殿方ばかりだから。あとは権力目的で擦り寄ってくる輩とか。後者は論外として、前者の中では平成くんは根が単純で扱いやすいから。それに昔からよく言うでしょう。惚れるより惚れられる方がしあわせって」

 おや? 言いながら番茶をすする紫苑姫さまも満更ではないご様子。
 お茶請けにしては少々甘すぎる惚気に、おれもズズズと番茶をすする。

「……とはいえ、何げにすごいな結城家のDNA。父親はケヤキ自由連合の軍を率いる大将軍、息子はハイゼルコバ帝国で影の帝王と囁かれている暗黒騎士、でもって娘はレジスタンスの主力メンバーとか。家族で団結したら天下とれそう」

 ただし、高月という僻地のシティ・サバイバーの覇権に限定されるけど。
 兄妹ケンカを眺めながらおれが感心していると「ですよねえ」と紫苑姫さまもうなづく。

「ふたりともお母さまのことばかり気にしていますけど、なんだかんだでお父さま似との自覚がないところが、そっくり」

 本当にその通りにて、おれはたまらず茶を噴きゲラゲラ。
 そんな場面にあわてふためきまろび転びつ駆け込んできたのは、姫さま付きのメイドの一人。

「姫さま、た、たいへんです。第三次大遠征の前線にて緊急事態がっ」


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