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377 地獄の花園
しおりを挟むひと棟で六十戸が住める五階建て。
建てられた年代が年代ゆえにエレベーターなんて気の利いたものはない。
もしあったとしても電気がとっくに止められてあるので動かないだろうけど。
吹き抜けの階段は小学校のような幅広。
ただし柵が牧場の周囲をかこんであるやつみたいにスカスカ。
子どもがうっかり身を乗り出して、下をのぞいて遊んでいたら、そのまま真っ逆さまに落ちて……。
という事故が起こっても不思議ではないおおらかな造り。
デザイン性重視、利便性や安全基準とかクソ喰らえ。
でもって、ついでに耐震基準? なにそれ? でもあるんだとか。
そりゃあいくら有名な建築家が手がけたとか歴史的価値がちょびっとあったところで、取り壊しが早々に決定されてもしようがない。
そんな建物内に入ったとたんにおれたち三人はそろってあんぐり。
「なんじゃこりゃあ」
「こいつは黒薔薇だな。しかしこの量は……」
「うーん。びっちりですねえ。以前に来た時にはこんなものはなかったはずなのですけど」
おれと安倍野京香は天井やら壁を埋め尽くす茨に圧倒されるばかり。
これまでに単独で二度ほど調査に来たことがあるという車屋千鶴は首をかしげつつも、「やはり尾白さんを連れてきて正解だったみたいです」とほくそ笑む。
やたらと怪異を引き当てるおれと、やたらと怪異から恐れられている車屋千鶴。
二人がそろうと「反発」なる現象が起きることがこれで確定してしまった。
ちなみに「反発」とはその地に潜む怪異の警戒レベルがマックスに跳ね上がることである。それすなわち内部に取り込まれたおれたちの危険度もマッドマックスに跳ね上がることを意味している。
しかしそんなことではへこたれないのが車屋千鶴であり、カラス女でもある。
「ちっ、邪魔な薔薇どもだな。棘がうっとうしい。おい、四伯、ちょいと草刈り機に化けろ」
見事に咲き狂う黒薔薇を前にして「きれい」とうっとりすることもなく、そんな台詞を吐くカラス女。うっとりされても反応に困るが、これはこれでどうなのかと思う。
でもってもう一人の女は「全部の花を集めて香水とか作ったらボロ儲けじゃないかしらん」なんぞと口にする。だが残念だったな。公務員の副業は法律で禁止されている。
◇
ウィーン、ウィーン、ブーン、バリバリバリ。
おれが化けた草刈り機を手に、カラス女がくわえタバコにて「ふんふん」鼻歌まじりで進路上の邪魔な茨を容赦なく裁断する。
なお草刈り機の刃は安全を考慮してワイヤータイプにしてある。うっかり硬いところを引っかけたら危ないからね。
こうして一号棟の廊下を進み階段をのぼり、最上階の五階フロアへと。
いまのところ黒薔薇がびっちり生えていること以外には、とくにこれといった異変は起こっていない。
「どうせなら眠れる美女でもいてくれたらいいのに」
グリム童話に例えておればボソッともらせば、カラス女が「すでに両手に華だというのに贅沢言うな」とほざく。
華は華でもトリカブトとジャイアント・ホグウィードじゃねえか。
根に強い毒を持つトリカブト。
人類の毒物の歴史を語る上では欠かすことができない存在にて、いまだに解毒剤がないおそろしいヤツ。
ジャイアント・ホグウィードは見た目こそは可憐で小さな花を咲かせるが、うっかり触れたが最後、地獄の苦しみが待っている。樹液に光線過敏症を引き起こす物質が含まれており、皮膚に触れると激烈な痛みをともなう水ぶくれを発症する光毒性を持つ。どうしても接する必要があるときには防護服と防護メガネの着用を推奨されているほどの、やばいヤツ。
周囲がトゲトゲの黒薔薇で左右が毒華とか。
とんだ地獄の花園に迷い込んでしまったものである。
◇
最上階のフロアに到達したところで、端から順繰りに部屋を調べてゆく。
窓ガラスはとっくに割れて失せており、吹きっさらしの室内は荒れ放題。
人が住まなくなった建物はみるみる朽ちる。
フローリング部分はところどころ穴があいており、タタミは湿気を吸い過ぎてぶよぶよ。
心許ない足下に注意しつつ、ぐるりと室内をチェック。
襖がはずれている押し入れはからっぽ。その上段の天袋もいかにも何か出てきそうな雰囲気だけで、中にあったのはみっちみちの茨だけ。
室内はこれといって異状なし。
ただベランダの方を調べていた車屋千鶴が「うーん」と足下に転がる白骨にうなっている。
大きさや形状からしておそらくは鳩やカラスのもの。
うっかり雨宿りにでも入り込んで、茨のせいで外に出れなくなってそのまま……。
といった風だが、「ちょっと数が多いかも。他も見てみないとなんとも言えませんけど」と車屋千鶴が柳眉を寄せての思案顔。
「この薔薇どもの養分とかになってたりして」
何げなくおれがつぶやくと、「あー、その問題もあるんだよなぁ。これだけの量が咲き誇るには相応の肥料が必要だな」とカラス女がまじめに答え、車屋千鶴もうなづいたもので、おれはゾゾゾッ。
そういえば黒薔薇の花言葉ってたしか「あなたは私のもの」とか「永遠の死」もしくは「滅びることのない愛」だったっけか。
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