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395 仮面の告白
しおりを挟むぼんやりと夜の街を眺めている仕草も絵になるルクレツィア・ギアハート。
いまさらながらにおれは首をひねる。
あれだけ街のあちこちにポスターやらが張られており、テレビでもばんばん映像が流れて、知名度も抜群。なのに、こうやってふらふら夜遊びをしていてもちっとも周囲にバレない。
おれが不思議がっていると、彼女はさも当然とばかりに言った。
「その場その場、必要に応じて雰囲気を変えるのなんてトップモデルならば出来て当たり前よ。たまに俳優とかスターって呼ばれる人たちを、街中とかで偶然見かけたファンたちが、『オーラがすごかった』とか『やっぱり存在感がちがう』って喜んで褒めているけれども。私に言わせれば、あんなのはとんだ二流もいいところ。真の一流どころは必要に応じて、ガラリと気配を変えるし、周囲に与える印象やプレッシャーすらも操るわ。己の制御も満足に出来なくて、周囲にちやほやされてかんちがいしているうちは、まだまだ」
いつになく饒舌なのはプライベートだからか。
なんにせよ、いい機会だからおれはずっと気になっていたことを彼女にぶつけてみることにする。
「どうしておれなんだ? うちみたいな零細探偵事務所にわざわざ指名依頼を出した狙いはどこにある。キミの目的はいったい何だ」
これは当のおれのみならず、おそらくは関係者一同が抱いている疑問。
もしかしたらこの世界的美女もまた怪盗ワンヒールの隠れファンなのかもしれない。
という残念なオチがおれの予想。
そんでもって怪盗と探偵を晴れの舞台で競わせて、例のファンサイトをよりいっそう盛りあげちゃおうとか目論んでいるのかもしれない。
だがその予想はハズレた。
けれども彼女がぽつりと口にした次の言葉は、完全におれの予想の範疇を越えたものであった。
「じゅらくてい」
聚楽第。
それは動物至上主義を掲げ、人類抹殺もしくは隷属化を目論むナゾの過激派集団。
どこの誰が率いているのか、組織の規模も構成員も不明ながら、世界各地で起きる動物絡みの事件の裏には、何がしかの形にて彼らがからんでいると云われている。だが真偽のほどは定かではない。
高月は北部山中で起きた齧歯類たちによる摂津峡の乱を背後から操りバイオテロを画策。つい先頃の姫路アニマルキングダムで開催された獣王武闘会においては、大量のアニマルロボ軍団を率いての乱暴狼藉により、動物界をおおいに震撼させた。
少し前に組織のトップが入れ替わったという未確認情報もあるが……。
そんな連中とどうして世界的トップモデルが、それも生粋の人間であるはずのルクレツィア・ギアハートと繋がりがあるのか。
「聚楽第はいまの世の中の在り方に異を唱える動物たちの集団のはず。どうして人間のキミが……」
「ふふふ、そんなに不思議かしら? 世界中にはいかれた宗教に傾倒する人たちや、環境保護を謳う連中がごまんといるのよ。だった聚楽第の思想に共感する者がいたとてなんらおかしな話ではないでしょう」
「しかし聚楽第は人間の排除を前提に動いている危険な連中だ。それこそ実力行使をも辞さない。万が一にも連中の望みが叶ったら、それこそ身の破滅じゃないか」
あるいは変革後の世界において何らかの地位なり権利を確約されているのかもしれないが、そんな約束を聚楽第が守るとはとても思えないし、聡明な彼女がそんなことに気がつかないわけがない。
ますます困惑するおれをよそにルクレツィア・ギアハートはにこり、屈託のない笑みを浮かべる。
「いみじくもあなたは正解を口にしているわよ。さすがは数々の事件を解決へと導き、聚楽第の野望を阻止してきた尾白探偵。そうなの、それこそが私の望み。私は見たいのよ。一番の特等席で世界が壊れてゆく楽しい姿を。そして存分に味わいたいの。この忌まわしい私という存在が地獄の業火で焼かれるさまを」
激しい破滅願望を秘めた快楽主義者。
彼女がやっているのは、つらつらたくさんの牌を並べるドミノという遊びと同じ。
コツコツと労力と時間をかけて造りあげた長大かつ壮大な作品を倒す。
創造と破壊を統べるその一瞬、これを成した者は神の領域に立つ。
常識を逸脱した危険な者。サイコパスは、その類まれな才能と特異性ゆえに、時として他者の目にはとても魅力的な人物に映る。
世界中の人々を魅了する彼女の秘密のいったんがコレであったのだ。
ルクレツィア・ギアハートという女の本性を知り、おれは愕然とするばかり。
でもそれと同時に既視感を覚えて「ううん?」と眉根を寄せた。
「まさかとはおもうけど、キミにこの街のことやおれのことを吹き込んだのって……。ひょっとして、かげりか?」
オコジョくのいち・かげり。
聚楽第の構成員にして危険な快楽主義者。祭りと称しては騒動を起こし、渦中にて踊り狂う困った女。
おれの言葉への返事は拍手。
うーん。これほど答えを当ててもうれしくないクイズもそうはあるまい。
◇
警戒心もあらわとなるおれを前にして、ルクレツィア・ギアハートは縁石に腰を下ろし、涼しい顔にて缶ビールをあおっている。
言ってることと、やってること、考えていること、姿、態度……。
なにもかもがちぐはぐ。ヤバい女を前にしておれはすっかり翻弄されている。
だというのに当の本人はまるで気にした様子もなく。
「かげりちゃんから話を聞いて以来、私の中で高月は一番のホットスポットだったのよ。だからどうしても一度は足を運んでみたくてね。あぁ、そんなに警戒しなくとも大丈夫。今回、聚楽第は何もしやしないわよ。それにイベントのお仕事はしっかりやるから安心して。だから探偵さんもしっかり自分のお仕事をがんばってね」
「お仕事って、いまのところ身辺警護ではほとんど役に立ってねえぞ」
「そっちじゃなくって、怪盗ワンヒールとの対決のことよ。せっかく最高の舞台をお膳立てしてあげたんだから、せいぜい派手な大立ち回りを演じて、私を楽しませてちょうだい」
女のコバルトブルーの瞳が妖しく光る。
昼間に見かけたときには南の海を彷彿とさせていたというのに、いまは落ちたが最後、二度とは浮きあがれない危ない嵐の夜の海にしか見えない。
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