432 / 1,029
432 怪物の主
しおりを挟む散らされた雲がふたたび寄り集まり、じきに時計島にポツポツと雨が降り始める。
灰まじりの黒い雨が、無惨に薙ぎ倒された森の木々や剥き出しとなっている山肌を打つ。
かなり派手に吹き飛ばされたものの、どうにかダウンバーストをしのいだおれたち。
ぬかるむ地面を踏みしめ爆心地へと向かうと、そこには朱銀色に戻った炎龍の剣を手に立つ宮本めざしの姿があった。
雨に打たれるがままにまかせ天を仰いでいる。
虚ろな瞳。先ほどまで浮かべていた凄まじい殺気はとうに失せており、表情からも険が抜けて穏やかなもの。
そんなヤツの姿を目にした瞬間、おれの全身が総毛立った。
雷龍の宝珠のチカラを放った反動で両腕が使い物にならなくなった零号に肩を貸している芽衣も同じく。タヌキ娘がいつになくいきり立っており「フーフー」と眉間にシワを寄せて鼻息が荒くなっている。
動物としての本能が、直感が、魂が告げている。
いま、目の前にしている宮本めざしがかつてない脅威を孕んでいると。
ネコ剣客はズタボロである。
正直、どうして平然と立っていられるのかが不思議なぐらいのボロ具合。
だというのに微動だにすることなく、静かであった。
剣を手に、ただ静かにたたずんでいる。
おれはその姿が恐ろしくてしようがない。
アゴが震えて奥歯がカチカチと鳴る。
眺めているだけなのに、次々に脳裏に浮かぶのは己が斬られる場面ばかり。それもチョンと盆栽の枝葉の先を落とすようにして、軽く刈られるかのように……。
宮本めざしのこの状態。
殺気、矜持、意気込み、力みなどなど。ありとあらゆるムダがごっそり削ぎ落とされ、最後の最後に残った芯なる部分。
これまでの剣身一体とはちがう。手の延長線上に刀があるのではない。自身がひと振りの刃となる剣身同体、あるいは完全なる融合。
悟りの境地、もしくは覚醒や開眼とでもあらわせばいいのか。
炎龍の剣という強大なチカラと出会い、これと触れ交わり、ついには御することで、宮本めざしの中の武が急激な変容を遂げる。
獣外領域どころの話ではない。とにかく限界突破でやばい領域に足を踏み入れていることだけはたしか。
知らず知らずのうちにおれの口からこぼれていたのは「怪物」という言葉。
ゆらりと宮本めざしが動いて、こっちを向いた。
顔に表情はない。「無」があるのみ。
雨に濡れた刀がわずかに震えて、かすかな鍔鳴り。
直後、おれの近くにあった岩が二つに分かれた。
切断面が上質なガラスのようにツルツル。あまりのツルツルぶりに、空より落ちてくる雨粒が跳ねることもなく、当たったはしからするりと表面を撫で、滑り落ちてゆくほど。
いざともなれば斬られた岩に身を潜めようとおれは考えていたのだが、読まれて機先を制された!
それと同時に思い知らされる。
十五メートルほども離れているというのに、ここがすでにヤツの、新生宮本めざしの剣の間合いだということを。
◇
一歩、また一歩とこちらに近づいてくる宮本めざし。
だというのにおれたちは硬直したままで、わずかに身じろぐこともできない。
前後左右、どこに逃げたとしても次の瞬間には斬られている。
強烈で鮮烈なイメージがおれを縛る。おそらくそれは芽衣たちも同じ。
このままだと殺られるっ!
別次元の怪物へと至った剣豪を前にして、あきらめばかりがおれの心中に膨らむ。
やがて絶望がかま首をもたげかけたとき。
宮本めざしの歩みを止めたのは海上より聞こえてきた鋭い汽笛の音。聚楽第の潜水艇によるものだ。
続けてスピーカー越しに流れてきたのは何者かの声。
『そこまでだ。まもなく本土より哨戒機が飛来する。見つかる前にすみやかに撤収せよ』
簡潔かつ明瞭にして、有無を言わせぬ迫力を含む指示。
それを受けた宮本めざしは一切逆らうことなく、きびすを返す。
潜水艇と合流すべく海岸へと向かう宮本めざし。ただの一度もこちらを振り返ることはなった。
遠ざかってゆくネコ剣客の背にようやく硬直が解けたおれたち。
けれどもいまなお、ろくにカラダが動かない。
原因は先ほどの男の声だ。
耳にした瞬間、心臓どころか全身の血が凍りついたのかと錯覚する。
ぽっかりあいた奈落の底の底、それこそ地獄の最下層からの届く呪怨のような響き。すべての生者を否定する亡者のごとき苛烈さを秘めた声音。
思い出すだけで、どっと全身よりイヤな汗が吹き出す。
「なんだよ、なんなんだよ、アレは?」
どうにか絞り出した自分の声が妙にかすれている。口の中どころかノドの奥までカラカラになっており、おれは軽く咳き込んだ。
「わかりません、四伯おじさん。でも気配はなにも感じませんでしたから、たぶん潜水艇には乗っていないはずです」
顔面蒼白となっている芽衣が額の汗を拭う。
タヌキ娘の話が本当であれば、先ほどのやりとりは通信機を通して行われたということ。
炎龍の剣を手に入れ、怪物と化した宮本めざし。
それすらをも従わせる、怪物の主とも呼ぶべき者が存在する。
宮本めざしが心酔し、「御方」と呼び、剣を捧げている相手。
「おそらくは先ほどのあの声が、聚楽第の新たなリーダーとやらなのでしょう」
零号の言葉を肯定するかのようにして、山が吠え島が震える。
それで我に返ったおれたちは、のそのそ動き出す。
たとえ見逃されたにしろ、とにもかくにも生き延びた。
いまはその幸運を噛みしめつつ、せっかく拾ったこの命を守ることに専念しないと……。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
41
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる