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628 箱根の嫁獲り競争 スタート!
しおりを挟む一条卯之助の登場にざわつくスタート地点。
するとここでピンポンパンポーン、主催者席にいる宇陀小路兵銅からアナウンスが入る。
『えー、彼の名は一条卯之助。黒鉄の幽霊の異名を持ち、かつて奈良の地で行われた嫁獲り競争にて、激戦を制し堂々の一位となるも、嫁にまんまと逃げられたという不憫な男じゃ。
傷心旅行へと赴いた東北地方や北の大地にて、旅の恥はかき捨てとばかりに、行く先々にて勇気を振り絞って新たな出会いを求めるも、そのことごとくが不首尾におわる。ついには性質の悪い美人局に引っかかって身ぐるみ剥がれ、尾羽打ち枯らしフラフラ。
すっかり意気消沈にて、ようやく辿り着いたのはとある牧場。捨てる神あれば拾う神あり。そこの娘さんとなんとなくいい感じに……。
とおもったら、じつは遠距離恋愛中の幼馴染みの彼氏持ちであることがわかり、自分が牧場にとって、たんに都合のいい労働力としてしかみられていなかったことが発覚!
うわーんと泣きながら牧場を飛び出し、こんちくしょうめっ! と自棄になり北の大地をめったやたらと爆走していたら、うっかりヒグマの子どもを轢きかけて母さんグマ大激怒!
猛り狂ったヒグマに、七日七晩、追いかけ回され、心身ともにズタボロにされ半死半生となっていたところを、今宵のスペシャルゲストとしてスカウトしてきた。
言っておくが、こやつは強いぞ。
みなの者、心して存分に競うがよい』
しぃんと静まり返る会場内。
聞くも涙、語るも涙? なのかしらんと少し首を傾げる物語。
だというのに、そこかしこよりグスンとすすり泣く声が聞こえてくる。
一部のヤモメ野郎どもには身につまされる話であったようだ。
よもや消息を絶っていた期間に、一条青年がそんな艱難辛苦を味わっていただなんて。おれたちも驚くばかりである。
なんという人生流転、青春裏白書っぷりであろうか。そりゃあ、まだ若いのに髪に白いのがちらほらしてもしようがない。人間社会に順応していないヒグマと追いかけっことか、とんだ野生の王国。悪夢以外の何者でもない。超怖えよ、ガクブル。
兵銅老人としては、奈良でのレースの優勝者を蹴散らしてこそ、元祖シカ王国・常陸国一宮の面目躍如。
なんぞと考えているようだが、いまの一条青年はかなりヤバい。かつてあった気弱さや線の細さが失せており、すっかり荒んでしまっている。
どれくらいヤバいのかというと、もしもチキンレースをしたら、迷わずフルスロットルのままで崖からノーブレーキでダイブするぐらいにヤバい。
そんな青年がレースに参加する。たしかに盛り上がるだろうけど大波乱は必至。
荒れるぞ、このレース。
「やってくれたなぁ、ジイさん。何かたくらんでいるとは思っていたが、こんな隠し玉を用意していただなんて」
一条卯之助は腐っても奈良大会の覇者。
実際に高月の地は「竜骨」を舞台としたドラッグレースで戦ったからこそ、おれにはわかる。一条青年の実力は本物だ。位置やコースのライン取り、勝負所の勘など、随所に光るセンスと卓越した技術。それらはあの安倍野京香をも唸らせたほど。
そんな男が今度は敵となる。
おれは苦々しげにタバコの火を踏み消す。
だがしかし、やっかいな参加者は一条卯之助のみにあらず。
かなり話が横道にそれていたが、その情報を伝えるべく、藍閃と鈴カップルはわざわざ姉・瑪瑙のもとを訪れていたのだから。
◇
やっかいな参加者その一。
赤い流星のタカシ。
常陸国一宮のシカ界隈では知られた走り屋。化ける車種はフェアがレディして「ゼーット!」と叫んでいる真っ赤なの。孤高とニヒルを気取って、指なし革手袋にサングラスなんかをかけては、「フッ」と意味もなく鼻で笑うスカシ野郎。だが、実力はそれなり。まぁ、速いことは速い。こいつに抜かれると無性に腹が立つことでも有名。
「フッ、あいにくと私は助手席に女を乗せない主義でね。なにせここは韋駄天さまの特等席だからね」
やっかいな参加者その二。
黒の三連星、碁台兄弟。
黒太、白介、蓮の三兄弟の走り屋。化ける車種は黒のポルシェっぽいの。
なおチーム名はビームライフルがズキュンばきゅんする宇宙世紀なアレではなくて、囲碁における布石手法の一つから。彼らの父親は碁盤をつくる職人さんである。
長男の黒太がチームを引っ張っており、次男の白介はメカニックに定評があり、末弟の蓮は随所にて小技が光るドライビングテクニックの持ち主。兄弟ならではの息のあった連携は要注意。
「我ら三兄弟のアタックをかわせたものはいない」
「我ら三兄弟のディフェンスを超えられたものはいない」
「あー、ごめんなさい。ウソです。うちの兄たちが、なんかすみません」
やっかいな参加者その三。
クラッシャー権藤。
こいつが参加するレースは荒れるといわれている疫病神。
なぜなら必ずといってもいいほどに事故るから。事故率ナンバーワンにて、他の追随を許さない男。ゆえについた異名がクラッシャー。自損のみならず他損もあるから、うかつに近づくのは危険。化ける車種は八十年代のゴツゴツしかめっ面をしたアメ車っぽいの。
「おまえも廃車の敗者にしてやろうか? がははははは」
やっかいな参加者その四。
火車お七。
女性の走り屋として北関東では知られた姉御。「優雅に華麗に颯爽と」がモットーの、女性のみで構成されたチームを率いている。クルマの性能頼りの野蛮な走りをする男を毛嫌いしている。コーナーでの攻めがエグく、インコーナーの夜叉姫と呼ばれている。
化ける車種はクラシックのオープンカー。黄色のメルセデス・ベンツSSKっぽいの。
なお女性の身にもかかわらず、今回の嫁獲り競争に参加したのは、阿呆な雄鹿どもを蹴散らし、雌鹿の尊厳を守るため。
「いまどき嫁獲りって……脳みそにウジでもわいてんのか? いっぺん病院で診てもらったほうがいいんじゃねえの」
◇
名前を口にするのも躊躇する、気恥ずかしいクセモノ連中がぞろぞろ。
これに蘇った黒鉄の幽霊である一条卯之助を加えて、いよいよ箱根の嫁獲り競争が幕を開けようとしていた。
「……ところで藍閃と鈴さんたちはレースに出場しないの?」
ちょいと気になっていたものでたずねたら、答えは「ノー」だった。
駆けっこ好きじゃないシカがいることに、おれは何げに驚いている。
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