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823 バックドラフト
しおりを挟むひと口に海難事故といっても、じつにいろんなパターンがある。
衝突、座礁、沈没、転覆、海賊、窃盗、投荷、船員の悪行、戦時危険などなど。
でもって、もっともポピュラーなのが火災である。
しかし皆さま方は、ちょいと首を傾げたことはなかろうか?
なにせ船の周囲には火を消すのに十分すぎるほどの水がある。というか基本、水しかない。
また昔ならばともかく現代の船のボディは鉄製だ。荷物とかもコンテナなんぞに入っているし、内部はいくつもの隔壁に区切られている。住宅のようにボウボウ紅蓮に包まれるだなんてわけわかめ、と。
じつはそれは誤り。
よく燃える要因のひとつが、その頑強な鉄製の船体にこそあるのだ。
これは動く竈門や炉みたいなもので、密閉率が高い分だけ逆に内部に熱が籠りやすく、あと各部位の品質がよく均等なおかげで熱伝導がやたらといいから、一か所で起きた火災の熱があっという間にあちらこちらに伝わって、あっちっち!
そしていたるところに施された塗装が、これに拍車をかける。
いやぁ、ペンキって一度燃えだすと、さーっと静かにかつすみやかに燃え広がっていくんだよねえ。
人的被害に目を向ければ、ただでさえ入り組んだ構造をしている船内、煙が充満して右も左もわからなくなる。すぐに煙に巻かれて右往左往。一酸化中毒でも起こそうものならば、即チーンとお陀仏。
火の手がエンジンルームにまで到達すると、もうお手上げ。
たとえ最新鋭の防火設備を整えていようとも、そいつを動かす肝心のエンジンが止まってしまっては、いかんともしがたく。
消火に海水をポンプで汲み上げて……もダメ!
うっかり海水が電気系統にかかるとスパークしてショートしちゃうから。あと適当にジャブジャブ水をぶっかけたら、排水が追いつかずにたちまち船がごろりと傾くなんてことも。
火災が港近くに停泊中の船内で起きても、鎮火に軽く三時間以上もかかるのなんてザラ。
ましてやそれが遠い海上ともなれば、鎮火はほぼ絶望的であろう。
とまぁ、こんな具合にて、船での火事はとてもやっかいなのである。
ではおれたちの現状はどうなのかというと……。
これがもう最悪であった。
愛葉会のクラッシュしたアスタコから出た火が、たちまち講堂内に飛び火、火の手は勢いを増すばかり。
よく獣は火を恐がるって言うけれども、それ人間もいっしょだから。キャンプの焚き火や暖炉の火をみて「あー、落ち着くわぁ」みたいにはいかないから。あとどれだけ冷静に対処しようとしても、燃えるときは燃える。
ワーキャー逃げ惑う面々。
それを尻目に火勢が向かったのは、壁に開いた大穴の方。
そこは敵機が突き破って乱入してきた時に出来た穴ではあるが、穴の向こうは隣室にて重機関連の置き場となっている。
部屋の隅の暗がりにはドラム缶がいくつも積んであって、中身はもちろん燃料だったもので、そちらにも引火して、ちゅどーん!!
ひたすら拡大の一途を辿る被害。
「どうしてスプリンクラーが作動しないんだ!」
「ダメです。どうやらエンジンが止まっている模様。電源が落ちており、他の消火設備も作動していません」
「くそっ、どこのどいつだ? このたいへんなときに何てことをしやがる!」
なんとかしようと有志が頑張ってくれているが、漏れ伝わってくる情報からして鎮火は無理っぽい。
でもって先に謝っておく。
たぶんエンジンを止めたのはうちの連中だ。たしかカラス女の指示で獣人化したトラ美が向かっていたはず。
「うーん、これはもう逃げた方がよさげだな」
混乱に紛れて、さっさとお暇しようとおれが伯魅に声をかけようとした寸前のこと。
ひやりと冷たい空気の流れを感じて、おれは愕然となる。
どこかのトンチキがこの息苦しさから逃れようと、重機置き場の外部に通じるシャッターを手動で開けようとしていやがる。
こんな高温下でいきなり外部の新鮮な空気なんぞを大量に招き入れたら、バックドラフトが起きかねんぞ!
「バカっ、ヤメろ! シャッターを開けるんじゃ」
おもわず声を張り上げて止めようとするも、少しばかり遅かったようだ。おれの制止が最後まで発せられることはなかった。
視界が閃光に埋めつくされる。
ふつりと世界から音が消えた。
一瞬の静けさののち、かま首をもたげたのは紅蓮の龍。咆哮にて大口をあけ、矮小な者らを餌食にせんと牙を剥く。
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