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849 壁
しおりを挟むびゅうびゅうと冷たい突風が吹く。
霧の隙間にあらわれた藁ぶき屋根。
風によって霧が少し薄まったかとおもいきや、しとしと降り始めたのは霧雨。
とたんにぐんと気温が下がって、おれはぶるる。身を震わしたひょうしに強い尿意を覚える。
だから、みなに断わってちょいとそのへんでちゃちゃっと済まそうとするも、そんな矢先のことであった。
聞こえてきたのは「ゴロゴロ、ピシャン!」という激しい雷鳴。腹の底にズシン。びっくりしてうっかり漏らしそうになった。
おいおいウソだろう、勘弁してくれよ。音と稲光がどんどんとこっちに近づいてきやがるっ!
いくら山の天気は変わりやすいとはいえ、明らかに不自然だ。
これではまるで「さぁ、こっちに雨宿りにおいでよ」と誘っているようにしか思えない。
めちゃくちゃ怪しい……。
だがこの視界不良の中、クルマで下山を強行したところで谷底に転げ落ちるばかり。
誘いにのるか、そるか。
おれが逡巡していると、真っ先に家に向けて駆け出したのは芽衣である。
「ちょっとトイレ借りてくる」とタヌキ娘。
生理現象に迫られていたのは探偵だけでなく助手もであった。
にしても芽衣にまだ女子高生らしい恥じらいが残っていたとはな。おれは驚きを隠せない一方で、「いまさらなような気もする」とか考えつつ。もちろん口には出さない。だって言ったらきっと殴られるもの。
とはいえいまはそれどころではない。
この状況下で単独行動をとるのはマズイ。
「ちっ、あのバカ。しようがないおれたちも行こう。トラ美は零号を頼む。タエちゃんはおれと荷物を」
「わかった」
「あいよ」
急ぎ準備を整えて、おれたちも芽衣に続いて藁ぶき屋根の一軒家へと向かう。
◇
山間部の一軒家。屋根が高く、幅もずんと大きい。どっしりした面構えにて、いかにも昔話に登場する庄屋さんの家といった趣がある。
あれこれそれっぽく建屋について感想を述べてみたが、ような田舎の家ということ。
藁ぶき屋根と土台部分の石垣以外は、芽衣の実家である洲本家のところと大差ない。
「ごめんください、ちょっとおトイレ借りまーす」
と家主の返事も待たずにずかずか、勝手に上がり込むタヌキ娘。
田舎だといちいち戸締りをしていないこともままあって、こちらのお宅もご多聞に漏れず玄関の引き戸が開けっ放しであった。
田舎では親しき仲にも礼儀ありなんぞは冠婚葬祭の時ぐらい。あとはぶっ壊れた距離感にて、フランクなご近所づきあいとなっているケースが大半。
それを知らずに「いえ~い、老後は空気のいい田舎でスローライフをエンジョイするぜぇ」などと浮かれて引っ越した都会者が、その洗礼を浴びて泣いて逃げ帰る、なんて話もちらほら。
シティガールに憧れる生粋のカントリーガールのタヌキ娘は、実家のノリで遠慮なくトイレを拝借。
これには追いついたおれたちも呆れて肩をすくめるばかり。
とはいえ、さすがに続いて勝手に上がり込むわけにもいかず、玄関先にて「ごめんください」「すみませーん」と奥に声をかけたり、玄関の呼び鈴を鳴らしたり。
しかし反応がまったく返ってこない。
家の中はしーんと静まり返ったまま。さりとて無人ではないようだ。なにせ留守宅特有の空気の淀みがなく、玄関先もよく掃き清められている。ふり返り表の前庭に目をやれば、植木や芝は整えられているし花壇も艶やか。
これはこまめに手入れをしなければ維持できない。
ということは、家主は近くにある自分の畑でも見に行っているのかもしれない。
そうこうするうちに「あー、すっきりしたぁ」と戻ってきた芽衣。
「すごいよ、ここのトイレ。奥に縦長なんだけど、和モダンの空間でお香とか焚いてあるの。びっくりしちゃった」
タヌキ娘、他人の家の厠を大絶賛。
「へえー」と感心したところで、おれをふたたび尿意が襲う。どたばたしていたものですっかり忘れていた! ずっと我慢していたんだった。
こうなるともう辛抱たまらん。緊急事態につき、おれもおずおず内股にて「じゃあ、ちょっと」と拝借することにする。
で、芽衣の言っていた通りの豪勢な造りにたまげた。
なにこれ、オシャレすぎて逆に落ちつかないんだけど。あとお香は高貴な薫りが漂う白檀だった。しかも芳香剤とかじゃなくて、ちゃんとした長いお香。
そのお香の減り具合を調べてみれば、まだ火をつけたばかり。
「やはり留守にしてからさほど時間は経ってないようだ。これならすぐに帰ってくるだろうから、あとできちんと事情を説明してお詫びしとかないとな」
すっきりしたところで玄関に戻ったおれは、みなといっしょにそこで家主が戻るのを待つ。
が、五分経ち、十分経ち、ついには三十分経っても帰ってくる様子がない。
そして雨はますます激しくなる一方。
う~ん、どこぞで足止めでも喰らっているのか、はたまた雨脚が落ち着くのを待っているのか。
そんなことをぼんやり考えていたら、タエちゃんがぽつり。
「まさかとはおもうけど、ここの家の人ってば、奥で倒れていたりして」
いかにもありえそうなシチュエーション。
不吉な光景が脳裏をよぎり一同冷や汗たらり。
とはいえいきなり家探しをするのは気が引けるので、とりあえずおれが外回りをぐるりとまわって、窓から家屋内の様子をたしかめようとしたのだが……。
玄関を出ようとしたところで、ガンッ!
見えない壁に阻まれてしまい、「なんじゃこりゃあ?」
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