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912 獣王武闘会本戦 準々決勝第一試合 続・大将戦
しおりを挟むすっと半身をひいた佐藤晋太郎。直後、その足下に直線の亀裂が生じる。
飯綱考標が挨拶代わりに放った風の鞭によるもの。
見えない攻撃をあっさりかわしたことに、飯綱考標がピュイと口笛を吹き「やるじゃない。だったらこれはどう?」
風の鞭がいきなり八本に増えた。
縦横斜めにと縦横無尽に暴れ、襲い来る!
が、佐藤晋太郎はわずかな足運びと、上体をそらせる、いわゆるボクシングのスウェーなる防御テクニックにて、難なくかわしていく。
ろくに見えていないのにもかかわらず、それを可能にしているのは、研ぎ澄まされた五感による察知能力。風の鞭が生じる際に起きるわずかな変化をも見逃さず、的確に捉えているから可能な芸当。
飯綱考標は舌なめずりにて「ならば」とさらに風の鞭を増やした。
今度は倍の十六本。それらが入れ替わり立ち代わり、上下左右から襲いかかる。
なのにやはり佐藤晋太郎には当たらない。平然とかわす、かわす、かわす。しかもかわしながら、じりじりと間合いを詰めていく。
「すごいわね、あなた」
愉快そうに褒める飯綱考標。右手を引くなり、ぐっと握りこぶし。そして正拳突きのような動作をする。
とたんに生じたのは太い風の塊。風の鞭を蔓とするならば、こちらはまるで木の幹のよう。それも樹齢数百年を超える大木に匹敵するような。
そんなシロモノが、どん突きっ!
ふつうならばそんなものが向かってきたら逃げる。
しかし佐藤晋太郎は逃げず。正面からこれを迎え討つかまえをとった。
これに飯綱考標はにやり。
「するとおもった。でもね……」
女天狗がつぶやくなり、風の塊がばらりとほどけた。そう、これは風の大木ではなくて、二十もの風の鞭が寄り集まっていたものであったのだ。ばらけた風の鞭たちがたちまち陣容を変える。上下左右に整然と並んで折り重なり、出現したのは目の細かい巨大なひし形の格子。形成する楯の桟はすべてカミソリのような風の刃にて、触れたらたちまち数センチ角で細切れにされてしまう。
一面に広がった風死の格子。
格子越しに飯綱考標がにぃと残忍な笑みを浮かべているのが見えた。
だがしかしその時のことであった。
「独岩龍拳闘術、日長」
たちまち熱を帯びる佐藤晋太郎の両腕。赤く焼けた鉄のようになる。
日長とは、長石に区分される鉱物のことで、灰曹長石の上等な紅色の品はサンストーンと呼ばれている。またギリシャ語では「太陽の石」という意味のヘリオライトともいう。
しゅうしゅうと湯気を立てながら、より赤味を増していく佐藤晋太郎の腕。じきにドロドロに溶けた鉄のごとき、鮮烈な赤となる。
そして爆発した。
いや、爆ぜたように見えたのは、灼熱の拳が大量に放たれたせい。
これにより飯綱考標が放った風死の格子が粉砕される。
「なっ!」
驚いた飯綱考標は、すぐさま回避行動をとる。
なぜなら風死の格子を破るのと同時に、佐藤晋太郎が向かってきたから。
「独岩龍拳闘術、翡翠」
古代中国や南米のアステカなどでは、他の宝石や金よりも価値があるとされていた淡い緑色をした鉱物。玉とも呼ばれていた。
まるで深夜のハイウェイを疾走するクルマのテールランプのように、緑の残光が軌跡を描き、女天狗へと迫る。
翡翠なる奥義はやわらかな下半身の動きにて地を滑るような歩法のこと。
華麗なるフットワークにて佐藤晋太郎が、あっというまに間合いを詰めて、距離を置こうとした飯綱考標へ追いつく。
そして脇腹を打ち抜くかのように放たれたのは、爆発力と破壊力を持った灼熱の左フック。
刹那、生じたのは閃光と爆風。
濃縮された風の羽衣を身にまとっていた飯綱考標。そこに熱量が込められた燃えたぎる拳を放たれたことによって起きた爆発。
閃光に呑み込まれるふたり。
先に奥から飛び出してきたのは飯綱考標。白煙をひきながら爆心地から離れようとする。とっさに風の羽衣を重ねることで直撃こそは防いだものの、間接的ダメージを受けてしまった。加えて我が身を護る壁がかなり剥されてしまっている。さらなる追撃を受けるのはまずい、態勢を整えようと判断してのこと。
これを僅差で佐藤晋太郎が追う。いっきにたたみかけようとする。
だがあと少しというところでわずかに失速し、追いつけなかった。
佐藤晋太郎の進撃の邪魔をしたのは、足下に蠢く気流。
ほんの足首程度の高さにて、小さな旋風がいくつも渦を巻いていた。
放ったのは飯綱考標である。ひとつひとつは小さくとも、砂塵が混じったそれらが数を揃え、群れを成すと、急流の浅瀬のような状況を生じる。
それ自体にはさほど威力はない。せいぜいが牽制、いわばマキビシのようなもの。
だがギリギリの攻防のさなかでは、その「せいぜい」が時に役に立つ。
こうして一時は肉迫するのに成功した佐藤晋太郎であったが、飯綱考標の機転によって試合は仕切り直しとなった。
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