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991 山
しおりを挟む「やるか」
「やろう」
ごちゃごちゃ前置きはいらない。
老ニホンオオカミの蛾舎泰造にタヌキ娘の洲本芽衣はうなづき返す。
ゆっくり近づきながらポケットから取り出したのは激高カロリーチョコバーだ。芽衣はむしゃこら、ごっくん、すみやかに栄養補給を済ませる。
ぺろりと平らげたとおもったら、タヌキ娘の全身が薄っすら蒼光を帯びはじめた。
◇
三代化け狸が一雄・淡路の芝右衛門、その一族直系の女性にのみ継承される武術、狸是螺舞流武闘術。
これはタヌキのありあまる悶々パワーを戦闘力に変換して用いる武術である。
では、どうして女性限定なのかというと、タヌキの雄の股間は信楽焼きなどでお馴染みのような形状なので、ぷらんぷらん。ちょいちょい漏れたり、適度に発散しては四散霧散するせいで、純度がいまいち。
その点、雌はちがう。しっかり体内に蓄えて熟成させる。
無駄に垂れ流すなんぞは、もったいない。
だから同じ悶々パワーでも雄と雌とでは、質量ともに段違いなのである。
ゆえに雄の場合は、もっぱら化け術の方に回す。
古来より、ヒトを化かす動物といえばキツネとタヌキが代表格であるが、両者を比べてこうも云われている。
『キツネ七化け、タヌキは八化け』
キツネは美形の男女に化けては、よくヒトをたぶらかしておちょくる。
でもタヌキは人間だけじゃなくて、いろんな物に化ける。その種類はじつに多彩だ。提灯、茶釜、箪笥、石灯籠、バケツに太鼓、屋敷に城、クルマや機関車などなど。
そんな中にあって淡路の芝右衛門は、どえらい凄かった。
大名行列に化けて街道を練り歩き、大艦隊を播磨の海に浮かべ、十両編成の蒸気機関車で町中を爆走したり、狸囃しにてひとりナイトパレードを敢行したり……。
芝居好きでもよく知られた芝右衛門、術の規模も、内容も、派手さも群を抜いていた。
その化け術の系統は、先代当主にて芽衣にとっては祖父にあたる洲本一成が手ずから育てた尾白四伯に脈々と受け継がれている。
でもって武術の系統は、一成の妻であり、先代蒼雷でもある祖母の葵から、しっかりこってり孫娘である芽衣に叩き込まれている。
かつて獣王武闘会の西国予選にて。
芽衣と激闘を演じたライバルの平多紀理を、目の前の老オオカミは一蹴した。
負けた平多紀理はこう言っていた。
『怖い方ですわ。手をもがれようが、足を千切られようが、腹が裂かれようが、たぶんあの方は止まらないし、止められない。その命が尽きるまで牙を突き立てようとしてくる。おそらくあの方にとって負けは死なのでしょう』
戦いにおいて、身命を賭す。
全力、死力を尽くす。
武人ならば当たり前の矜持……。
いざ、戦いに臨むにあたって、みないちように抱いている。
でも本当にそうであろうか?
心の底から覚悟しているのか?
全身全霊で理解しているのか?
いいや、覚悟だなんぞとそれっぽい言葉を思い浮かべている時点で、それは本当に本物なのか?
滅びゆく種族、最後の生き残り。
生きることが戦いであり、日常が戦いであり、負けるは消滅を意味する。
常在戦場を体現し、そうして生きることしか許されなかった男。
それを理解できるのは、同じく滅びゆく者のみ。
壮絶である。
生と死、戦いに赴く気構えや姿勢、勝ち負けの意味……。
質と重みがまるでちがう。
加えて、おそらく彼はそんな獣生において掴んだ唯一の光、八海山白雪を聚楽第に人質にとられている。
自身が望まぬ戦いとはいえ、戦うべき明確な理由がある。
ぬくぬく、のほほんと生きてきた自分とはまるでちがうという自覚は芽衣にもある。
こうして対峙すれば、いやがうえにも理解させられる。
とてつもなく大きい。
まるでそびえ立つ山のようだ。
比べて、自分のなんとちっぽけなことといったら。
でもそれはしょうがない。だってちんちくりんの豆タヌキなんだもの。
「でも、だからこそ超える価値がある! わたしはあんたを超えて先へ行くっ!」
言うなり芽衣のオカッパ頭が逆立ち、身にまとう蒼光がいっそう色味を増した。
蛾舎泰造はそれを不動にて迎える。
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