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025 政変

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 伝説の金禍獣・鳳凰が両翼を広げている姿を模して建てられたという、神聖ユモ国の宮殿。
 正面から向かって右のツバサに位置しているのが、国教である二柱聖教の本部や星拾いの塔があるウノミヤ。
 左のツバサに位置しているのが、各種役所などが集うサノミヤ
 中央の首や胴体に該当する場所が政治の中心であり、皇(スメラギ)さまやそのご家族が住まうナカノミヤ。
 ナカノミヤの深部にある御所にて。

「剣の母はまだ戻らぬのか?」

 御簾の奥からの問いかけに、星読みのイシャルが小さくかぶりをふる。
 チヨコが北方域へと旅立ってから、すでに一年近くもの歳月が流れようとしていた。
 無事にユンコイ山脈を越えたということや、その後、前人未踏の荒野を突き進み、大地の裂け目なる場所へとじょじょに近づいていたことはわかっている。
 だが「これからちょっと世界の果てをのぞいてきます」との連絡を最後に、ふつりと消息を絶った。
 はじめのうちは、チヨコには天剣(アマノツルギ)たちの加護があるので、そのうちいつもみたいにひょっこり無事に帰ってくるだろうと考えていたのだが……。

 剣の母チヨコが消息不明。

 彼女が北に向かったことともども秘密にしていたはずなのに、いつしか市井に情報が漏れ伝わっていた。
 いまや二柱聖教をのぞけば、国内最大級の人員を誇る民間団体となった紅風旅団。その首領の行方がわからない。この事態に団員たちが動揺する。ついにはさまざまな憶測が飛び交う事態に。
 留守を預かる副首領のアズキや幹部であるキナコやマロンたちが、懸命に騒ぎが大きくならないように奔走し、どうにか抑えてはいるものの、その波紋は確実に水面下にて広がりつつあった。
 こうなってはやむなしと、遅ればせながら国としても以下のような公式の見解を述べる。

『剣の母が不在なのは事実。しかし神泉の井戸などが問題なく機能していることから、チヨコの身に何かが起きたとは思われない。ゆえにいたずらに騒ぎたてることなく、いまは静かに彼女の無事を祈り帰還を待つように』

 皇さま自らの声明であったことにより、事態はいちおうの沈静化をみる。
 しかしそれもあまり長くは続かなかった。
 一方ではこんな不穏なウワサが人々の間にて、まことしやかに囁かれていたからである。

『国が剣の母の使命をないがしろにして、自分たちに都合のいいように利用したので、お怒りになった天剣がチヨコともども、お隠れになったのだ』

 根も葉もない……とは言い切れないけれども、少なくとも両者の間では合意のもとであった協力関係。
 その事実を歪めて、いかにもそれっぽい話に仕立てあげた陰謀説は、たちまちのうちに民草の間に浸透していく。
 さらには海の彼方より侵略の魔の手が迫っているという情報までもが、じわりと市井に蔓延しつつあり、おおいに人心をかき乱すのにひと役買った。

  ◇

 内外虚実が巧妙に織り交ぜられたウワサ話。
 信じる信じないはともかくとして、聞いた者の耳にやたらと残り、胸の奥にてしこりとなる。
 まるでわざとみんなの不安を煽るかのような流言。
 発生した時期といい、拡散の具合といい、明らかに何者かの関与が疑われる。
 もしやレイナン帝国の手の者による攪乱の可能性も?
 そう考えた皇さまは直属の影たちに「ただちに流言の出処を探れ」と命じた。
 しかしいったん都中に広がったウワサの出元を探る作業は難航する。
 神聖ユモ国の聖都には、貴族たちが住むカモロ地区、商店などが集中しているタモロ地区、多くの都民たちが暮らすシモロ地区があり、その順に人が増えていく。
 千年もの安寧と繁栄を続けてきたがゆえに、人口は膨大。
 いかに優れた諜報機関である影とはいえ、一朝一夕にはいかない。
 ことが剣の母に関するがゆえに、紅風旅団の協力を頼めなかったのも調査を遅らせる要因となった。
 加えて宮廷内のゴタゴタがこれに拍車をかける。
 対レイナン帝国への方針を巡って、まとまるどころか日に日に対立が激化していたのである。

 皇さまとしては神聖ユモ国とレイナン帝国の互いの国力を冷静に分析して、まともに戦っても勝ち目はないとの判断。
 近隣諸国と同盟を密にすれば対抗は可能だが、それはあくまで数の上でのこと。
 それとても各国が出し惜しみをしなければ、という前提がつく。しかし自国の守りや他国との兼ね合いもあるので、いざ戦となっても派遣できる兵と物資にはおのずと制限がつく。
 個々の武勇ならばけっしてひけはとらないだろう。
 しかし戦は数だ。
 数で劣り、士気で劣る急ごしらえの集団ではどこまでやれるのか。
 それに無理を通せば、民に無用な流血をしいて国土を荒廃させることになる。
 ゆえに講和の道を模索するのもやむなしとの考え。
 もちろん平行して、いざというときのための準備を怠るつもりはない。

 だがこの考えを受け入れられない者たちがいる。
 たとえ講和を結べたとて、けっして対等な立場などではないからだ。
 事実上の降伏にて、属国となることを意味している。

「そんなことは断じて認められない!」

 声を大にして異を唱えているのが、第一皇子キミフサの派閥。
 これは第一皇子を支持している教会の意向を受けてのこと。
 レイナン帝国は神の存在を真っ向から否定しており、自国のみならず支配した国からも徹底的に神の存在を排除している。帝国に屈することは、二柱聖教の消滅を意味しており、とても容認できることではない。
 そんなキミフサとは異なる理由にて、やはり反対の立場をとっていたのが第二皇子サキョウの派閥。
 第二皇子の支持母体は軍部。軍としては戦わずして降伏するだなんて、はなから考えられない。いかにチカラの差があろうとも地の利は自分たちにある。やりようはいくらでもあるはずとの考え。

 上の意見がまとまらない。
 下では流言が飛びかっており、人心が乱れている。
 頼みとすべき天剣たちと剣の母は不在。
 世相が不安定となり、国内に暗雲が垂れ込める中。
 ついに事態が動く。
 それも最悪の方向で。

  ◇

 金果暦九百八十二年、山や森の木々がほんのり紅に染まりはじめた杜緋の月の十四日。
 その日は夜明け前から、しとしとと冷たい小雨が降っていた。
 皇(スメラギ)さまが朝議に向かおうとするも、いつも近くにて警護の任についている八武仙筆頭のクムガンが姿を見せない。
 しばし待っていたがクムガンはついにあらわれなかった。
 珍しいことである。怪訝に思いながらも、皇さまは近習を従えて御所を出ようとする。
 だがしかし、御所の扉が固く閉ざされており通ることができなかった。

「……これは、いかなることか」

 皇さまを煩わせるなんてもってのほか。近習があわてて門の衛士に問い合わせるも、「しばらく、しばらく」と答えるばかりで、扉はいっかな開く気配がない。
 一連のやりとりを目にして、皇さまはすべてを悟り「ぜひもなし」と奥へと戻っていった。

 この日、第一皇子と第二皇子が連名にて声明を発表した。

『皇さまは体調不良につきご静養に入られた。ついてはその間の政務を我ら兄弟が代行することとする』


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