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041 影の軍団

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 ナジン丘陵にて第二次迎撃戦が始まる少し前のこと。
 聖都でも動きがあった。
 チヨコが戦を止めるべく出立。
 それを見届けてから影たちが一斉に動き出す。

  ◇

 星拾いの塔に幽閉されているイシャルのもとへ、朝食の膳を運ぶ二人の女官たち。
 いつものことなので見張りの者たちも横柄に「ごくろう」と応じる。ひとしきり検めてから「行ってよし」と許可する。
 会釈をし、静々と見張りたちの脇を通り抜けようとした女官たち。
 だが双方の姿が重なった刹那、プツンと断ち切られたのは見張りたちの命脈。
 ある者はかんざしを首の急所に突き立てられていた。
 ある者は鋭い爪にてノドを真一文字に切り裂かれ崩れ落ちる。
 ある者はこめかみから長い針を生やしこと切れた。
 ある者は胸に深々と刺さった短刀により「ひゅう」と息を吐き動かなくなった。
 その場にてただ一人難を逃れた見張りの者は、屍鬼と呼ばれる二柱聖教の手練れ。わずかな衣ずれの音と風の動きの中に不穏な気配を察し、とっさに身をよじったことにより襲撃をかわす。
 自分たちが不意討ちを受けたことを悟った屍鬼は、腰の剣を抜きざまに女官二人をまとめて胴薙ぎにしようとする。必殺の抜刀。それを成すだけの技量がこの男にはあった。
 だが男の白刃が閃くことはなかった。

「なっ!」

 剣を抜こうとしたところで柄尻に衝撃を受けて、手元が強引に押しもどされたからである。いつの間にか忍び寄っていた新手。
 鞘走りを封じるかのごとく己の腕に添えられてあったのは、よく整えられた女人のキレイな指先。
 それがこの屍鬼の見た最期の光景となった。

 五人の見張り全員を排除した女官たちは、ひとことも発することなくそのまま塔内部へと向かう。
 そしてどこからともなくあらわれた別の女官たちが、遺体をすみやかに隠し戦闘の痕跡をもたちまち消した。
 星拾いの塔での異変が発覚したのは、次に見張りが交替するとき。
 持ち場に誰の姿もない。もしや塔の内部にて何か起こったのかと入ってみるも、こちらもがらんとしている。
 星読みのイシャルだけでなく、見張りたちの姿までもが忽然と消えてしまっている。
 このことが明るみになる頃には、宮廷内のそこかしこにて騒ぎが勃発していた。

 ついさっきまで元気であった者が唐突に死ぬ。
 ほんの少し目を離した隙に。あるいは周囲に大勢の目があるのにもかかわらず……。
 明らかに原因となる致命傷を負った遺体もあれば、毒にて果てたとおぼしき遺体もあり、自然死にしか見えないきれいな遺体まである。
 倒れた者たちの性別、年齢、立場、死因もさまざま。
 ただし全員に共通していたのは、積極的に皇子たちのたくらみに加担し、甘い汁を吸っていた者たちであったということ。
 当然ながら関係者たちの脳裏には「粛清」という文字が浮かんだ。
 あわてて御所にて幽閉されているはずの皇(スメラギ)の所在を確認させるも、すでにその姿はどこにもない。
 そればかりか身辺に多数配置していたはずの屍鬼たちも一人残らず消えていた。

  ◇

 宮廷にて影たちが動き出したのと時を同じくして、聖都の各地でも人知れず戦いが繰り広げられていた。
 あちこちに点在している二柱聖教の教会。うちいくつかは教会の暗部の隠れ家となっている。
 そのうちのひとつ、シモロ地区にある教会に忍び込んだのは、覆面と外套に身を包んだ影矛のホラン。
 ずっと市井に潜伏し情報収集に務めていたのだが、このたび頭目から「狩れ」との命が下る。
 対象は信仰や教義を捻じ曲げ、教会を蝕む者たちの手先。
 人々に寄り添うふりをして、流言を拡散したり、人々の悪意をあおったり、ときには印象を操作し、自分たちの都合のいいように世論を誘導する者ども。

 音もなく扉を開け、礼拝堂へと滑り込んだホラン。
 そこにあったのは祭壇にて神像に祈りを捧げている神父の姿のみ。
 スススと神父の背後に忍び寄り、ためらうことなくホランは心の臓を剣でひと突き。
 だがその一撃は空を切る。
 怪鳥のごとく跳びあがってから、ふわりと壇上へと降り立つ神父。
 すっかり灰色になった髪、そろそろ老境に差しかかろうかという痩せた見た目とは裏腹に、おそろしく身軽であった。
 人の良さそうな笑みを絶やさない神父が「おやおや、ずいぶんと乱暴ですね」と言いながら袖の下からとり出したのは二本の細い鉄の棒。
 あまりにも武骨な見た目。まるで鍛冶に用いる材料のような品。
 覆面の奥からホランより訝しげな視線を向けられ、神父が二本の鉄棒をくるりくるり、軽やかにあつかいながら言った。

「ごらんのとおり、ただの棒ですよ。ですが神敵を滅するのにはコレで充分でしてね。なにより頑強なのがすばらしい。どれだけ殺っても、剣のように斬れ味が落ちることもなければ、刃こぼれを気にしなくてもいい。百人殺ってもだいじょうぶなのですよ」

 偽りの笑顔の裏に隠してきた本性をあらわにした屍鬼。
 壇上より跳び立ちホランへと襲いかかる。


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