御様御用、白雪

月芝

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その十四 ひと振りの刃

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 腰物奉行の荻原丘隅さまが熱をだして床につかれた。
 やたらと乱高下する気温にて、体がまいっているところに、うっかり寝汗をかいて風邪をこじらせたらしい。
 死をあつかう仕事柄にて、わたしがお見舞いに行くべきか思案していると、向こうからお声がかかった。
 で、いそいそと出かけて面会し、たいそう驚く。
 鶴のような痩身が、いっそう痩せて骨と皮ばかりになっていた。
 ひと目みて「これはいけない」とわたしは思って、あまりのことに挨拶の言葉を詰まらせる。
 するとこちらの困惑なんぞお見通しだとでも言わんばかりに、目を細めた荻原さま。

「似合わぬことをせずともよい」

 病人にかえって気を使わせてしまい、わたしは小さく縮こまった。

  ◇

 萩原さまが休んでいたのは中庭に面した静かな一室。
 外の喧騒どころか屋敷内の物音一つ聞こえてこない隔絶された場所。
 開け放たれた襖の向こう側が、まるで切り取られた一枚絵のように映る。
 庭の良し悪しはわたしにはわからない。けれども、これは美しいと思った。
 いつにもまして口数が少ない萩原さま。
 そのなかで「あとのことは山脇に頼んである」と告げられ、わたしはハッとする。そして自分の感情のゆらぎに戸惑った。
 母を斬ったときも、父が死んだときも、数多の死を看取ってきたときも。
 まるで動じなかったわたしの心が、確かにゆらいでいた。
 おそらくは心の動きが表情にもあらわれていたのであろう。
 わたしの顔をまじまじと見つめて萩原さまが「ふふふ」と微笑む。

「わしのためにそんな顔をしてくれるとはなぁ。これはなによりの土産を貰うたわ」

 そんな言葉を口にした萩原さま、しばし黙り込む。
 二人して庭の景色をぼんやりと眺めて、静かな時を過ごす。
 静謐の中、庭の鹿威し(ししおどし)が「こん」と控えめな音を立てた。
 病床にてあまり長居をするのも失礼かと、わたしがそろそろお暇を告げようとしたとき、萩原さまがおっしゃった。

「わしは……。いや、これはわしだけではないな。山脇もなのだが、われら二人はぬしの父に憧れておったのだよ」

 上役から発せられた意外すぎる言葉に、わたしは浮かしかけた腰をおろす。
 萩原さまの口から語られたのは、遠き昔のこと。
 わたしの父、山部無我との出会いの物語。

  ◇

 月のない夜であったという。
 墨汁をぶちまけたような視界の中、突如として白刃が閃く。
 無意識のうちに反応し、とっさに避けられたのは日頃の鍛錬のおかげか。
 手にしていた提灯が裂けて、だらりと大口を開けた。
 いささか酒が過ぎて千鳥足となっていた、若かりし日の萩原丘隅と山脇正行はいっきに酔いが醒め、そして己らの迂闊さを悔いる。
 近頃、武士ばかりを狙う辻斬りが横行しているという噂は耳にしていた。
 一刀のもとに斬り伏せ、金銭のみならず髷を落とし、腰の大小をも奪う。ときには骸の袴を脱がし、ふんどしすらも剥ぐという。
 執拗に侍を愚弄する行為。そのやり口からして、よほど武士に恨みを抱いている者の犯行であろうと、まことしやかに囁かれていた。
 それがよもや、こんな武家屋敷が居並ぶ中で、凶行におよぼうとは思いもよらなかったのである。
 けれどもそれこそが辻斬りの狙いでもあった。
 ここで恥も外聞もなく声をあげ助けを求めれば、きっと襲われた者は助かるであろう。
 だがしかし、それは武士としての面目をおおいに失うことになる。
 それすなわち武士としては死んだも同然。
 斬られて死ぬか。
 生き恥を晒して死ぬか。
 家のこと、家族のこと、己のこと……。
 凶刃を前にして、いろんなことがぐるぐると脳裏をよぎる。
 時間にすればほんの一瞬。
 だがその躊躇が生死を分け、辻斬りが獲物を狩るには充分すぎる猶予となる。

 萩原丘隅と山脇正行の両名とて、それなりの家柄にて幼い頃より剣は学んできた。
 だから「いざともなれば、返り討ちにしてくれるわ」との気概もあった。
 しかし実際に明確なる殺意を持って白刃をふるう者を前にして、これまで学び身につけてきたすべてが、どこぞへと消え失せてしまった。
 実戦と訓練はちがう。
 戦場の剣と道場の剣はちがう。
 よく言われていることであり、二人もそれなりに理解しているつもりではあったが、どこまでいってもそれは「つもり」でしかなかったのだ。それを痛感した時には、すでに絶体絶命の死地であった。
 武士の矜持なんてどこへやら。
 いますぐにでも叫びながら、まろび転びつ逃げ出したかった。けれども体が思うように動かない。足が根を張ったようにて一歩も動けない。せめて斬られるのならば腰の物を抜こうとするも、それすらもかなわない。
 このまま案山子のように突っ立ったまま、斬られるのか?
 それもまた武士としては屈辱的な死であり、いい物笑いの種となる。残された家の者たちは、さぞや肩身の狭いおもいをすることであろう。
 無念であった。
 怒りにて血が沸き、はらわたがねじ切れそうでもあった。
 なのに、それでも指一本動かせなかった。
 この瞬間、二人は自分たちが武士なんぞではない、まがい物であることを認めざるをえなかった。
 それを認めたとたんに、するりと生への渇望が己の内より消えた。
 悟りといった上等な境地ではなく、死を受け入れたがゆえの諦めによる、虚無が全身へと広がっていく。

 ふりあげられた辻斬りの凶刃が、地面に投げ出されて燃え尽きようとしている提灯の明かりを受けて、ギラリと剣呑な輝きを放つ。
 それがまさにふりおろされようとしたとき。
 闇の向こうから「ざっざっ」と地面をするような足音が近づいてきた。
 不用意に近づいてくる者に「逃げろ!」と萩原丘隅は叫びたかったが、声すらもろくに発せられなかった。
 惨劇の場に迷い込んだ運のない者へと、辻斬りは振り向きざまに容赦のない一刀を放つ。
 脳天を叩き割る剣撃。
 が、それは空を斬る。
 直後、辻斬りは両膝をつき、そのまま前のめりにどぅと倒れてしまう。
 ひょうしにころんと地面に転がったのは、辻斬りの首。
 まるで花でも手折るかのように、造作もなく辻斬りの首を刎ねたのは、たまさか現場を通りがかった、若かりし頃の山部無我であった。

  ◇

「あの夜、わしらは自分たちが武士の皮をかぶって、それっぽく振る舞っているだけのまがい物だということを思い知った。そして、それと同時にそなたの父である無我に対して、どうしようもないほどの憧憬を抱かずにはおれなんだ。ただし、武士としてではないぞ? あれもまた武士とはほど遠い存在。われらが惹きつけられたのは、ひと振りの刃としてのあやつの生き様よ。あの夜の無我は、それは凛としており、抜き放たれた名刀のごとき美しさであったわ」

 昔語りの末にそんなことを口にした萩原さま。
 病床にもかかわらず長話がすぎたのが、激しく咳をしだしたので、あわててわたしは近寄りその背をさする。
 はじめて触れた自分の後見人の背中はとても薄かった。

「ふふ、悪くはないものだな。娘に老いた背をさすってもらうというのも」

 そんなことがあった五日後の夕暮れ時。
 萩原丘隅さまは、ひっそりと息を引き取られた。


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