14 / 29
その十四 ひと振りの刃
しおりを挟む腰物奉行の荻原丘隅さまが熱をだして床につかれた。
やたらと乱高下する気温にて、体がまいっているところに、うっかり寝汗をかいて風邪をこじらせたらしい。
死をあつかう仕事柄にて、わたしがお見舞いに行くべきか思案していると、向こうからお声がかかった。
で、いそいそと出かけて面会し、たいそう驚く。
鶴のような痩身が、いっそう痩せて骨と皮ばかりになっていた。
ひと目みて「これはいけない」とわたしは思って、あまりのことに挨拶の言葉を詰まらせる。
するとこちらの困惑なんぞお見通しだとでも言わんばかりに、目を細めた荻原さま。
「似合わぬことをせずともよい」
病人にかえって気を使わせてしまい、わたしは小さく縮こまった。
◇
萩原さまが休んでいたのは中庭に面した静かな一室。
外の喧騒どころか屋敷内の物音一つ聞こえてこない隔絶された場所。
開け放たれた襖の向こう側が、まるで切り取られた一枚絵のように映る。
庭の良し悪しはわたしにはわからない。けれども、これは美しいと思った。
いつにもまして口数が少ない萩原さま。
そのなかで「あとのことは山脇に頼んである」と告げられ、わたしはハッとする。そして自分の感情のゆらぎに戸惑った。
母を斬ったときも、父が死んだときも、数多の死を看取ってきたときも。
まるで動じなかったわたしの心が、確かにゆらいでいた。
おそらくは心の動きが表情にもあらわれていたのであろう。
わたしの顔をまじまじと見つめて萩原さまが「ふふふ」と微笑む。
「わしのためにそんな顔をしてくれるとはなぁ。これはなによりの土産を貰うたわ」
そんな言葉を口にした萩原さま、しばし黙り込む。
二人して庭の景色をぼんやりと眺めて、静かな時を過ごす。
静謐の中、庭の鹿威し(ししおどし)が「こん」と控えめな音を立てた。
病床にてあまり長居をするのも失礼かと、わたしがそろそろお暇を告げようとしたとき、萩原さまがおっしゃった。
「わしは……。いや、これはわしだけではないな。山脇もなのだが、われら二人はぬしの父に憧れておったのだよ」
上役から発せられた意外すぎる言葉に、わたしは浮かしかけた腰をおろす。
萩原さまの口から語られたのは、遠き昔のこと。
わたしの父、山部無我との出会いの物語。
◇
月のない夜であったという。
墨汁をぶちまけたような視界の中、突如として白刃が閃く。
無意識のうちに反応し、とっさに避けられたのは日頃の鍛錬のおかげか。
手にしていた提灯が裂けて、だらりと大口を開けた。
いささか酒が過ぎて千鳥足となっていた、若かりし日の萩原丘隅と山脇正行はいっきに酔いが醒め、そして己らの迂闊さを悔いる。
近頃、武士ばかりを狙う辻斬りが横行しているという噂は耳にしていた。
一刀のもとに斬り伏せ、金銭のみならず髷を落とし、腰の大小をも奪う。ときには骸の袴を脱がし、ふんどしすらも剥ぐという。
執拗に侍を愚弄する行為。そのやり口からして、よほど武士に恨みを抱いている者の犯行であろうと、まことしやかに囁かれていた。
それがよもや、こんな武家屋敷が居並ぶ中で、凶行におよぼうとは思いもよらなかったのである。
けれどもそれこそが辻斬りの狙いでもあった。
ここで恥も外聞もなく声をあげ助けを求めれば、きっと襲われた者は助かるであろう。
だがしかし、それは武士としての面目をおおいに失うことになる。
それすなわち武士としては死んだも同然。
斬られて死ぬか。
生き恥を晒して死ぬか。
家のこと、家族のこと、己のこと……。
凶刃を前にして、いろんなことがぐるぐると脳裏をよぎる。
時間にすればほんの一瞬。
だがその躊躇が生死を分け、辻斬りが獲物を狩るには充分すぎる猶予となる。
萩原丘隅と山脇正行の両名とて、それなりの家柄にて幼い頃より剣は学んできた。
だから「いざともなれば、返り討ちにしてくれるわ」との気概もあった。
しかし実際に明確なる殺意を持って白刃をふるう者を前にして、これまで学び身につけてきたすべてが、どこぞへと消え失せてしまった。
実戦と訓練はちがう。
戦場の剣と道場の剣はちがう。
よく言われていることであり、二人もそれなりに理解しているつもりではあったが、どこまでいってもそれは「つもり」でしかなかったのだ。それを痛感した時には、すでに絶体絶命の死地であった。
武士の矜持なんてどこへやら。
いますぐにでも叫びながら、まろび転びつ逃げ出したかった。けれども体が思うように動かない。足が根を張ったようにて一歩も動けない。せめて斬られるのならば腰の物を抜こうとするも、それすらもかなわない。
このまま案山子のように突っ立ったまま、斬られるのか?
それもまた武士としては屈辱的な死であり、いい物笑いの種となる。残された家の者たちは、さぞや肩身の狭いおもいをすることであろう。
無念であった。
怒りにて血が沸き、はらわたがねじ切れそうでもあった。
なのに、それでも指一本動かせなかった。
この瞬間、二人は自分たちが武士なんぞではない、まがい物であることを認めざるをえなかった。
それを認めたとたんに、するりと生への渇望が己の内より消えた。
悟りといった上等な境地ではなく、死を受け入れたがゆえの諦めによる、虚無が全身へと広がっていく。
ふりあげられた辻斬りの凶刃が、地面に投げ出されて燃え尽きようとしている提灯の明かりを受けて、ギラリと剣呑な輝きを放つ。
それがまさにふりおろされようとしたとき。
闇の向こうから「ざっざっ」と地面をするような足音が近づいてきた。
不用意に近づいてくる者に「逃げろ!」と萩原丘隅は叫びたかったが、声すらもろくに発せられなかった。
惨劇の場に迷い込んだ運のない者へと、辻斬りは振り向きざまに容赦のない一刀を放つ。
脳天を叩き割る剣撃。
が、それは空を斬る。
直後、辻斬りは両膝をつき、そのまま前のめりにどぅと倒れてしまう。
ひょうしにころんと地面に転がったのは、辻斬りの首。
まるで花でも手折るかのように、造作もなく辻斬りの首を刎ねたのは、たまさか現場を通りがかった、若かりし頃の山部無我であった。
◇
「あの夜、わしらは自分たちが武士の皮をかぶって、それっぽく振る舞っているだけのまがい物だということを思い知った。そして、それと同時にそなたの父である無我に対して、どうしようもないほどの憧憬を抱かずにはおれなんだ。ただし、武士としてではないぞ? あれもまた武士とはほど遠い存在。われらが惹きつけられたのは、ひと振りの刃としてのあやつの生き様よ。あの夜の無我は、それは凛としており、抜き放たれた名刀のごとき美しさであったわ」
昔語りの末にそんなことを口にした萩原さま。
病床にもかかわらず長話がすぎたのが、激しく咳をしだしたので、あわててわたしは近寄りその背をさする。
はじめて触れた自分の後見人の背中はとても薄かった。
「ふふ、悪くはないものだな。娘に老いた背をさすってもらうというのも」
そんなことがあった五日後の夕暮れ時。
萩原丘隅さまは、ひっそりと息を引き取られた。
0
あなたにおすすめの小説
柳鼓の塩小町 江戸深川のしょうけら退治
月芝
歴史・時代
花のお江戸は本所深川、その隅っこにある柳鼓長屋。
なんでも奥にある柳を蹴飛ばせばポンっと鳴くらしい。
そんな長屋の差配の孫娘お七。
なんの因果か、お七は産まれながらに怪異の類にめっぽう強かった。
徳を積んだお坊さまや、修験者らが加持祈祷をして追い払うようなモノどもを相手にし、
「えいや」と塩を投げるだけで悪霊退散。
ゆえについたあだ名が柳鼓の塩小町。
ひと癖もふた癖もある長屋の住人たちと塩小町が織りなす、ちょっと不思議で愉快なお江戸奇譚。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
狐侍こんこんちき
月芝
歴史・時代
母は出戻り幽霊。居候はしゃべる猫。
父は何の因果か輪廻の輪からはずされて、地獄の官吏についている。
そんな九坂家は由緒正しいおんぼろ道場を営んでいるが、
門弟なんぞはひとりもいやしない。
寄りつくのはもっぱら妙ちきりんな連中ばかり。
かような家を継いでしまった藤士郎は、狐面にていつも背を丸めている青瓢箪。
のんびりした性格にて、覇気に乏しく、およそ武士らしくない。
おかげでせっかくの剣の腕も宝の持ち腐れ。
もっぱら魚をさばいたり、薪を割るのに役立っているが、そんな暮らしも案外悪くない。
けれどもある日のこと。
自宅兼道場の前にて倒れている子どもを拾ったことから、奇妙な縁が動きだす。
脇差しの付喪神を助けたことから、世にも奇妙な仇討ち騒動に関わることになった藤士郎。
こんこんちきちき、こんちきちん。
家内安全、無病息災、心願成就にて妖縁奇縁が来来。
巻き起こる騒動の数々。
これを解決するために奔走する狐侍の奇々怪々なお江戸物語。
無用庵隠居清左衛門
蔵屋
歴史・時代
前老中田沼意次から引き継いで老中となった松平定信は、厳しい倹約令として|寛政の改革《かんせいのかいかく》を実施した。
第8代将軍徳川吉宗によって実施された|享保の改革《きょうほうのかいかく》、|天保の改革《てんぽうのかいかく》と合わせて幕政改革の三大改革という。
松平定信は厳しい倹約令を実施したのだった。江戸幕府は町人たちを中心とした貨幣経済の発達に伴い|逼迫《ひっぱく》した幕府の財政で苦しんでいた。
幕府の財政再建を目的とした改革を実施する事は江戸幕府にとって緊急の課題であった。
この時期、各地方の諸藩に於いても藩政改革が行われていたのであった。
そんな中、徳川家直参旗本であった緒方清左衛門は、己の出世の事しか考えない同僚に嫌気がさしていた。
清左衛門は無欲の徳川家直参旗本であった。
俸禄も入らず、出世欲もなく、ただひたすら、女房の千歳と娘の弥生と、三人仲睦まじく暮らす平穏な日々であればよかったのである。
清左衛門は『あらゆる欲を捨て去り、何もこだわらぬ無の境地になって千歳と弥生の幸せだけを願い、最後は無欲で死にたい』と思っていたのだ。
ある日、清左衛門に理不尽な言いがかりが同僚立花右近からあったのだ。
清左衛門は右近の言いがかりを相手にせず、
無視したのであった。
そして、松平定信に対して、隠居願いを提出したのであった。
「おぬし、本当にそれで良いのだな」
「拙者、一向に構いません」
「分かった。好きにするがよい」
こうして、清左衛門は隠居生活に入ったのである。
花嫁
一ノ瀬亮太郎
歴史・時代
征之進は小さい頃から市松人形が欲しかった。しかし大身旗本の嫡男が女の子のように人形遊びをするなど許されるはずもない。他人からも自分からもそんな気持を隠すように征之進は武芸に励み、今では道場の師範代を務めるまでになっていた。そんな征之進に結婚話が持ち込まれる。
サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします
二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位!
※この物語はフィクションです
流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。
当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。
冷遇妃マリアベルの監視報告書
Mag_Mel
ファンタジー
シルフィード王国に敗戦国ソラリから献上されたのは、"太陽の姫"と讃えられた妹ではなく、悪女と噂される姉、マリアベル。
第一王子の四番目の妃として迎えられた彼女は、王宮の片隅に追いやられ、嘲笑と陰湿な仕打ちに晒され続けていた。
そんな折、「王家の影」は第三王子セドリックよりマリアベルの監視業務を命じられる。年若い影が記す報告書には、ただ静かに耐え続け、死を待つかのように振舞うひとりの女の姿があった。
王位継承争いと策謀が渦巻く王宮で、冷遇妃の運命は思わぬ方向へと狂い始める――。
(小説家になろう様にも投稿しています)
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる