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376 音
しおりを挟む市内にある多目的ホールが老朽化にともなって建て替えることが決まった。
半世紀以上にも渡って市民に愛されてきた建物。
本格的な舞台や音響設備を備えており、演劇、ダンス、音楽、落語などなど、市民サークルのお披露目だけでなく、プロなんかも多数舞台に立った場所。小学校の合唱コンクールでも利用され、市内の子らの大部分が一度はこのステージからの景色を眺めたことがある。
市の芸術に多大な功績をもたらし、多くのドラマと感動と想い出を産む。
そんな場所との別れを惜しんで、最後の公演会が一週間に渡って大々的に催されることとなる。
五日目、市内の学生が中心となったブラスバンドの有志による演奏会。
演奏を聞きに来ていたのは、元芸者にて現在は三味線の師匠をしているやっこ姉さんに連れられた、ミヨちゃんとヒニクちゃん。
ちょぴりおめかしをして、客席にちょこんと行儀よく座るお子さまたち。
見上げた天井は、現在の基準に照らし合わせると、いささか低く圧迫感があり、照明も独特の橙色にてやや薄暗い。エアコンも旧型にてあまり微調整ができずに、場所によっては肌寒くなるのもご愛嬌。
年数相応にもっさりとして、やぼったい雰囲気の館内。
だけれども幼女たちにとっては異空間にて、その低い視点から見れば、これでも十分に巨大な建造物。
公演会は連日大盛況にて、本日もほぼほぼ席が埋まっている。
そんな中ではじまったブラスバンドの演奏。
CDやレコードとはちがう。間近で接するからこそ感じられる楽器のパワー。生演奏の迫力に圧倒されるミヨちゃんたち。
曲の演目も、堅苦しいのばかりではなくて、アニメや映画のテーマ曲なんかもはさみつつ、大人から子どもまで楽しめる内容。
これには館内にいたお子さまらも大喜び。
いや、曲の年代によってかえって大人のほうが興奮することさえあった。
そんな感じにて演奏自体は素晴らしいものであった。
だが、そんな会場の片隅では、グースカといびきをかいている客もいたりする。
「これだけにぎやかなのに、よく寝れるね? なんかふしぎ」とミヨちゃん。
大音量にてホール内を威勢のいい音楽が席巻。
たぶん電車の走る音よりも大きいはず。なのに平然と居眠り。
幼女はこれをたいそうふしぎがったのである。
そんな小さなハプニングにも満たない出来事がありつつも、演奏会は無事に終了。
演者やその関係者、客などでごった返す玄関前。さながらデパートの初売りセール会場の様相を呈している。
さすがにそこに突撃をかけての強行突破は無理と判断したやっこ姉さん。
「こりゃあ、しばらく人が引けるのを待ったほうがよさそうだね。わたしはともかく、あんたらうっかり転んでペシャンコにされたら、たまらないからねえ」
そんなわけで、しばらくジュースでも飲みながら、待つことになった。
三人そろって売店へと向かうが、同じようなことを考えていた人たちが大勢詰めかけており、こちらもけっこうな賑わい。
そこでおとなしく列に並んで順番待ちをしていたときのこと。
お会計をしていた客がうっかり小銭入れを落として、中身が大理石の床にまかれてチャリンチャリンと鳴った。
すると、それまでガヤガヤとうるさかった館内が、その一瞬だけシーンと静まり返る。
ほんの数秒ほどでガヤガヤが戻ってきたけれども、これに「えっ、なんで?」と首をかしげたのがミヨちゃん。
だってアレほど熱意溢れる演奏の中でも、グースカできるの人もいれば、たったアレしきの音にみんなが一斉に反応するんだもの。
耳がいいのか、わるいのか、なんだかヘンなのとミヨちゃん。
これには肩を小刻みにふるわし、くつくつ笑うやっこ姉さん。
彼女としては芸術には反応しないくせに、小銭には敏感に反応したというくだりが面白かったらしい。
これを受けて、おもむろにヒニクちゃんが口を開く。
「それは価値観の相違」
演歌にポップにロックに歌謡……、好きな音楽は人それぞれ。
でもお金は社会の共通認識にて、老若男女を問わずみんな好き。
こいつを前にしては、バッハもモーツアルトもいささか分が悪い。
はたしてこの魅惑の音色を打ち破れる天才はあらわれるのか?
……なんぞと、コヒニクミコは考えている。
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