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529 男坂
しおりを挟む荷物を積んだ軽トラックが途中で動けなくなって立ち往生したという逸話を皮切りに、電動自転車の挑戦を跳ねのけ、ときには原付バイクのエンジンを焼きつかせ、いきった暴走族らを軒並み蹴落とし、地元の高校の柔道部やラグビー部の猛者どもが死屍累々。
ウワサを聞きつけて全国から「我こそは」と数多の挑戦者たちがやって来るも、すべてを撥ねつけてきた。ついには太もも筋が丸太のごとくパンパンなプロの競輪選手も訓練の総仕上げにと通うような難所。最近ではインターネットを通じて、これを知った海外からの客まで姿をみせているとか。
だれが呼んだか地獄坂。
その傾斜はとにかく急にて、うねうねくねくね、延々と山の頂上にあるアンテナ基地局まで続いている。
ただおっちらおっちらと歩いて登るのでさえ至難。
そして踏破したとて、素晴らしい景色が見えるわけでなし、うっそうとした緑にて何も見えやしない。
むしろ誰がどうやってここに基地局を建てたのかが、不思議でしようがない。
しかしこの坂が真の姿をさらすのは冬から春先にかけて。
第一形態から第二形態へとパワーアップ。
冬将軍を配下に引き連れ、路面を凍結。
地獄坂は、氷結地獄へと変貌を遂げる。
こうなってはもういけない。スタッドレスタイヤ? チェーン? そんなもの鼻で笑われ、ヘソで茶を沸かす。お話にならない。ただの二十メートルも進めやしないだろう。
そんな風光明媚ではないのに一部マニアに人気な坂。
地元では別の名でも呼ばれている。
男坂と。
傾斜ゆえに、よく滑る。
ダンボールやソリでも尻に敷けば、たちまちシャーッ。
幸い麓地点がちょっとした広場になっているので、滑り降りたとたんに道路に飛び出すなんて危険はない。
だから子どもたちにとっては、ちょっとしたスリルスポット。
もちろん大人たちはそんな危険な遊びはヤメなさいと、口を酸っぱくして言っているが、基本的に子どもたちは大人の言うことなんて聞きやしない。
かといって放置も出来ないから、とりあえず行政は坂の要所要所にしっかりと頑丈な金網を設置。
滑り過ぎて、うっかり崖からダイブとかしないようにだけは処置した。
だがそれすらもが子どもたちの遊びを助長させることになろうとは、誰が予想できようか。常に大人の想像を上回るのが子どもという生き物。
おかげで、わんぱくどもがときおり坂道を滑りおりては、金網に突っ込んでキャッキャとはしゃいでいる。そのせいで金網はべッコベコ。
これだけよく滑る坂。滑り甲斐のある坂を前にして、ダンボールだけで満足できない者もいる。
人外の領域へと踏み出した勇者たち。
ある者はローラースケートで、ある者はスケートボードで、ある者はマウンテンバイクで。
わざわざ天辺までおっちらおっちら運んでは、一気に滑り降りるというデンジャーな遊びに興じる。
それは勇気を試す行為にて、それゆえにいつしか男坂との呼び名が自然発生した。
成功すれば末代までの誉れを、失敗すればすり傷と憐れみを。
登りを完走した者はいまだにあらわれていない。
しかし滑走を成し遂げた者は一人だけいる。
彼は小学校五年生のときに、ローラーブレードでこれを成し遂げたという。
その伝説の勇者の名をヤマダタカと言った。
何を隠そう、ミヨちゃんの次兄である。
「そんな伝説を第三者から聞かされた妹としては、何て言えばいいのかな」
休日の午後、話題の地獄坂見学へと出かけたミヨちゃんのヒニクちゃん。
現地に行ったらちがう学区の小学校から遊びにきていた男の子たちがいて、その話を聞かされたのである。
それでもってミヨちゃんの正直な心情が先の言葉。
これを受けておもむろにヒニクちゃんが口を開く。
「伝説の勇者の妹……、これは少々キツイかも」
ヤンチャな兄がしでかしたアレやコレやソレ。
誇らしいことは、やがて重荷となり、恥ずかしいことは、
やがて反発を産み出す要因に。なるほど。
こうやって世間の兄妹の関係は少しずつ拗れていくのね。
……なんぞと、コヒニクミコは考えている。
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