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750 しゃじ

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 この頃、ちょくちょく耳にする発言がある。

「えー、このたびの件につきましては、自身の責任を認め謝罪するとともに……」

 あやまちを犯したり、失敗しちゃったり、不祥事を起こしたり。
 そりゃあ人間だもの。いろいろあるさ。
 どれだけ頭が賢くたって、地位がえらくたって、チカラがあったって、完璧超人になれるわけじゃない。
 むしろ失敗ときちんと向き合い、これを真摯に反省し、次へと活かせるならば、それはとても誇るべきこと。
 だがしかし……。

「あやまったらあやまったで責められるし、あやまらなかったらもっと責められる。というか責任をとってヤメたらヤメたで、『放り出して逃げた!』『無責任だ!』とか言われちゃう。いったいどうすればいいの?」

 やらかした政治家、やらかした社長さん、やらかした芸能人、その他もろもろやらかした人や集団たち。
 やたらと謝罪会見が増えたこの頃。
 この社会風潮の是非はともかくとして、ミヨちゃんはつねづね思うわけだ。

「で?」と。

 インターネットで四方八方から責められる。
 だから素直にあやまったら、「反省してない」とか「ちっとも反省の色が見えない」とか言われちゃう。
「いや、それって、もう印象とか演出の域じゃん」と幼女は思ってしまう。
 頑なに口を閉ざしあやまらなかったら、あやまらなかったでやっぱり責められる。ネチネチ責められたあげくに、関係のないことまで掘り出されて、それこそ人格批判にまでおよぶ。
 かと思えば、口や態度だけは殊勝にて、まるで実態をともなわないケースも多々。
 毎度、毎度、それっぽい言葉を堂々と吐くけれども、そこから先が何もない。
 逃げ得を目論み、これがけっこう成功しちゃったりもしている。
 なぜなら世間の興味はつねに移ろっているからだ。
 次々と起こる出来事にて、めまぐるしく変化するから、一年前のことなんて誰もろくすっぽ覚えちゃいない。
 人のウワサも七十五日というが、もしかしたら現代のそれは、もっと短いのかもしれない。それことひと月も続かないかも。
 責めた方も、頭を下げた方も、シレっと忘れて同じことをくり返す。

「悪いことをしたら罪をみとめてあやまる。でも、その先がよくわかんないんだよねえ」

 責任をとるってなんだろう。
 このミヨちゃんの問題提起を受けて、考え込んでしまったクラスメイトの幼女たち。

「ぶっちゃけアイドルとかの謝罪会見って、興味ないのよね」とはアイちゃん。
「っていうか、どうでもいいわ。むしろ大物ぶってんじゃねえよ。とか思っちゃう」とはチエミちゃん。
「ファンに対しては、なんとなくわかるよ。でも世間ってのはちがう気がするね」とはリョウコちゃん。
「わたしとしては、後始末をきちんとしてから、頭を下げてさようならをするのが正解だと思うんだけど……」と言ったのはミヨちゃん。「でもそんなえらい人なんて、知らないんだよねえ」

 年齢的にもずっと上で、社会経験も豊富で、立場もぐんとえらいはずの大人たち。
 でも、こと責任のとり方、謝罪の仕方となると、「うん?」と首をかしげたくなることばかり。
 だったら自分ならばどうすると考えると、これまた明確な答えが出て来ない。
 このことに悩むミヨちゃん。
 するとここまでみなの話に静かに耳をかたむけていた、ヒニクちゃんがおもむろに口を開いた。

「謝罪はつみをわびること」

 謝罪はあくまでごめんなさいがメインにて、
 これに責任を付随させるから、話しがややこしくなる。
 自分が招いた損失などをかぶることが責任。
 謝罪会見の場で責任のとり方を言及しないということは、
 つまりはそういうこと。
 ……なんぞと、コヒニクミコは考えている。


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