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842 え

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 立派な額縁に入った大きな絵。
 精緻な彫刻が施され、表面は金ぴかの額縁。これだけで数万円はくだるまい。
 なかにおさまる絵は、誰かはわからない黒髪の妙齢の女性の肖像画。
 どんな女性なの?
 と問われれば、「うーん、やまとなでしこ」としか答えようのない和装の美女。
 たしかに美人だ。
 けれども、ちょっと怖い。
 透き通るような青白い肌、切れ長の瞳はどこか悩ましげ。整った鼻筋に、キリっとしまった顔の輪郭。艶のある黒髪はストレートのロング。
 憂いを帯びた雰囲気もさることながら、印象的なのはなんといっても紅をさした口元。
 ほんの少しだけ開いているのだけれども、それがなんともいえぬ色香を漂わせており、老若男女を問わず、ぞくりとさせられる。
 背景は暗い水底のように暗いので、全体的に黒を基調とした色使い。でもそれが、ツバキ柄の艶やかな着物姿が浮かび上がらせている。

 作者は不明ながらも、素人目にもいい絵だと思える。
 が、キレイだけれどもやっぱり不気味。
 日本人形をリアル化したら、こんな感じになるのではと連想させるものがある。
 そんな絵なのだが、ステキな絵にはそれにふさわしい額縁が必要であり、またこれを飾るにふさわしい場所がいる。
 ぶっちゃけ、ミヨちゃんの家にそんな場所はない。
 では、どうしてこんな絵がヤマダ宅にあるのかというと、それは父の友人から貰ったため。
 なんでも新居を建てたので、旧宅から引っ越そうとした際に、納戸の奥からたくさん絵画が出てきたという。
 いちおうその筋の専門家に鑑定してもらったのだけれども、市場価値が高い品はなかった。とはいえ新居にもっていったところで飾る場所もなければ、保管場所も。かといって燃えるゴミの日に出すのはちょっと……。
 で、処理にこまって友人知人に片っ端から押し付けたというわけ。
 しかも新居祝いへの返礼品という名目で。恩を仇で返す所業にて、なかなかに迷惑な話である。

「だからって、こんな大きな絵を……、どうするのよ?」

 ミヨちゃんのお母さん、ぷくぷくご立腹。
 だって、今回の一件にはお父さんのポカがからんでいるから。
 新居を建てた友人さんから電話をもらって「なぁ、美人の絵と風景の絵、どっちがいい?」とたずねられたお父さん。「そりゃあ、べっぴんさんの方がいいさ」とビール片手にほろ酔いで答える。
 よもやこんな大作が送られてくるとは思いもよらなかったとはいえ、結果はご覧の通り。
 ごく平均的な広さと間取りの一戸建て住宅であるヤマダ宅。
 こんなシロモノを壁にかけたら、それこそ壁ごともげちゃう!

 以来、置き場所がなくて玄関先にデデンと居座っている女性の肖像画。
 おかげでヤマダ一家は帰宅して玄関扉をあけるたびに、目が合ってビクリとさせられる。
 宅配便の人とか用事で訪ねてきた近所の人たちも、ビクリ。
 そして今度はミヨちゃんと遊ぶためにやってきたヒニクちゃんも、ビクビクっとさせられた。

「なんだかごめんねえ」とミヨちゃん。

 申し訳ないとの謝罪を受けて、おもむろにヒニクちゃんが口を開いた。

「絵と人形は処理に困る」

 ひと筆ひと筆、画家が膨大な時間と労力と情熱を費やし、
 丹念に仕上げた力作。市場価値のあるなしに関係なく、
 唯一無二の存在。芸術的観点からすれば、優劣なんぞは存在しない。
 芸術は等しく崇高なる芸術である。とはいえ邪魔は邪魔。
 ……なんぞと、コヒニクミコは考えている。


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