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008 光る海

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 海辺によく生えている軽くて丈夫なマドラの木。
 これをくり抜いて造られた細長い船体。
 それを大小二艘、並べて連結させたものに帆をつけたものが、海の民ダゴンたちが愛用しているフェオンイエと呼ばれる舟。
 カニのハサミを広げたような形の帆が風を受けて、舟が夕陽に染まる海面を滑るように疾走する。
 巧みに帆を操り風をとらえるヨスさんが「しっかし、あれにはたまげたねえ。フフッ」と笑みをこぼす。

  ◇

 ヨスが近くの港に必要な物資を買い出しに行った帰りのこと。
 突然の嵐に巻き込まれて難儀をしていたら、いきなりの稲光、バリバリと轟音が鳴り響いた。
 かとおもえば、空から女の子と白銀の大剣が降ってきた。
 で、そのまま落ちるのかとおもいきや、海面近くで水中から飛び出したミズチ(海に住む大ヘビのこと)にパクンと丸のみされてしまう。
 目の前で人が喰われたものだから、ヨスは「あぁ」と嘆息するも、ここでさらに驚くべきことが起きる。
 まんまと餌を丸のみして、そのまま海中に戻ろうとしたミズチを、今度はオオミフカがバクリ!
 オオミフカとは巨大サメの銅禍獣。大食漢で獰猛な性格。
 その目が「ぜんぜん足りない」とばかりにぎょろり、ヨスの小舟を見た。
 食べられた女の子はかわいそうだけれども、モタモタしていたら自分も危ない。ヨスはすぐさま舟を操って現場を離れようとする。
 するとまたまた驚くべき光景をヨスは目の当たりにする。
 一瞬、無数の光が閃いたかとおもえば、なんとオオミフカのカラダがバラバラになってしまったのだ。
 細切れにされて四散する肉片、舞い散る血しぶき。
 その中から飛び出してきたのは白銀の大剣。
 けれどもヨスが一番ど肝を抜かれたのは、そんな大剣がまっすぐに自分のところへ飛んできて、己が剣身にてぐったりしている少女の救援を要請したこと。
 もう、何が何やら。
 わからないままに、ヨスは少女の介抱をするハメに……。

  ◇

 ヨスさんが「あれにはたまげたよ」と笑った出来事は、わたしことチヨコが救助されたときの経緯。
 気を失っているときに、大きな魚に食べられちゃう夢を見ていたが、よもや本当に喰われていたとは。
 しかもまさかの二段オチ。
 それを救い出してくれた勇者のつるぎミヤビは、現在、白銀のスコップ姿にて帯革内にておとなしくしている。カミナリの直撃を喰らって、なんだかムズムズするんだそうな。

 わたしは帆を操るヨスさんにあらためて礼をのべつつ、どうして自分があんなところにいたのかという事情を説明した。
 するとヨスさんは「あー、ユモ国の軍船が海賊に派手にやられたって話だね。それなら知ってるよ」と言ったあとに、こんなことを口にする。
「じつは……うちにもひとり、そのときの関係者っぽいのがいるんだよねえ」

 いかに自由と風を愛する海の民ダゴンとて、単独で動くことはあまりない。中長期の航海ともなれば、たいていは集団を形成して行動している。
 ヨスさんのお仲間が少し前に、波間を漂っていたひとりの若者を拾った。
 板の破片につかまりつつも、剣だけは固くにぎって離そうとしない黒髪の青年。
 かなり長い間海中に浸っていたらしく、すっかり冷え切っており、全身に傷を負って衰弱も激しかったが、よく鍛えられたカラダのおかげでどうにか持ちなおしたという。
 黒髪の青年と剣。
 この話を聞いて、わたしはすぐにホランを連想する。
 ひょっとしたらと勢い込んで青年についてたずねるも、そこでヨスさんは困った顔をした。

「いや、じつは、そいつ……。打ちどころが悪かったらしくって、自分のことがわかんないみたいなんだよ。発見されたときに身につけていたのは剣だけだったって話だし。
 おそらくは溺れまいと甲冑や持ち物を捨てちまったんだろうけど、おかげでこっちはお手上げでね」

 まさかの記憶喪失!
 こうなっては、もはや当人に会って確かめるしかない。
 かくしてわたしは、しばしヨスさんが操るフェオンイエの客人となり、彼女が所属する集団が身を寄せているという小島へと向かうことになった。

  ◇

 ゆっくりと水平線の彼方に陽が沈んでいく。
 夕暮れなんてすっかり見慣れているはずなのに、陸地とはまるでちがった表情をみせる太陽。
 橙黄色の光がとても鮮やか。なのにどこかやわらかい。
 それがじょじょに薄らいでいき、こんどは星々の時間となる。
 圧巻の光景であった。
 どこまでが空で、どこからが海なのかわからないほどに、無数の星のきらめきが視界を埋め尽くす。
 夜のアマノ河もたしかにキレイではあったが、こちらは規模が桁ちがい。
 さざ波の音がなければ、自分が星の海に迷い込んだのかと錯覚してしまうほど。
 世界の広さに圧倒されてポカンと口をひらきっぱなしのわたし。
 その肩をちょんちょんとつついたのはヨスさん。
 彼女が指さしたのは、右舷方向の離れた海面。
 そこでは海が発光していた。
 新緑の若葉を太陽にかざしたような明るい色。神秘の光が帯となって、ずーっと向こうにまで続いている。

「あれは?」
「あれはジールオル。海に生きる小さなものたちの骸が寄り集まった葬列さ。海の民の間では豊漁の前触れを示す吉兆だといわれているよ」

 そう答えたヨスさんは、右の拳をにぎるとそれを己の胸元に押し当てる格好をする。
 海の民ダゴンが相手に敬意をあらわすときの仕草。
 海に産まれ、海に生き、海に死んで、また海へと還る。
 それをまっとうした名もなき小さなものたちを、ダゴンの民はとても尊敬しているとのこと。
 だからわたしもヨスさんに倣って、光の帯に礼をとった。


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