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001 去る王子、嘆く乙女、のる稲荷

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 夏休みを間近にひかえていたある日のこと。
 丸橋小学校に激震が走った。
 女子人気でつねに上位にいるキラキラ王子さま。彼が一学期をもって転校することがわかったからである。
 嘆きは女子のみにとどまらない。なにせ王子さまは地元のサッカーチームでも活躍しているエースだったから。勉強もスポーツもできて、身長も高くて、足が長くて、スタイルも性格もよくて……。
 まるで少女マンガの世界から飛び出したかのような彼を失うことを、みんながいたく悲しんだ。
 もちろんわたしも悲しい。
 とはいえ同じ五年生の教室にいてもまるで接点はなく、住む世界がちがいすぎ羨望しているだけの相手のことだから、あくまでこっそりとだけど。

  ◇

 いつものごとく仲良しの多恵ちゃんと並んでの下校中。
 話題はもちろん王子さまのことである。
 何かと情報通な多恵ちゃん。彼女からもたらされる「月野さんが遠距離恋愛を覚悟で告白するらしい」とか「いついつが彼の出場する最後の試合になる」「どうやら転校は父親の転勤のせいらしい」などなど。
 気にはなっている。
 けどやっぱり近くて遠い存在。自分とは無縁の話。
 だからぼんやり聞き流していたら、ふいに多恵ちゃんが前にまわり込んで、ずいと顔を近づけてきた。

「結ちゃんはこのままでいいわけ? あんなにがんばってラブレターを書いたじゃない。せっかくなんだし、ダメもとで渡すだけ渡してみれば」

 クリクリしたどんぐりまなこに見つめられて、わたしは「うっ」とたじろぐ。
 そうなのだ。
 身のほど知らずにもわたしは以前、憧れの君に向けてかなーり気合いの入ったラブレターを書いたことがある。便箋六枚にもおよぶ超大作。
 うっかりそれをうちに遊びに来ていた多恵ちゃんに見つかってしまった。
 いかに親しい間柄とて、ふつうならば書いたラブレターを勝手に読まれたらケンカになりそうなもの。
 だがそうはならなかった。
 多恵ちゃんが「すごいよ、結ちゃん! まえから作文とかうまいなぁって思ってたんだけど、コレはいい、すごくいいよ。こんなのもらったら、だれだって胸キュンしちゃうよ」とやたらホメてくれたから。
 ここまで言われたら逆に何も言い返せなくなる。
 だがしかし、そこまで絶賛されたラブレターも渡せなければそれまでである。手紙は宛先に送ってこそなのだ。
 あいにくとわたしにはアレをポストに投函する勇気がなかった。
 それっきり自室の机の引き出しの奥にて忘れていた存在。いずれは他の黒歴史ともども大掃除のときにまとめて処分するつもりだったというのに。
 なのに「いまこそ出番だよ!」と多恵ちゃんはにやり。
 わたしは真っ赤になってアウアウうろたえるばかり。

  ◇

 近在で一番大きな下谷総合病院。
 そこの裏手にある土手の遊歩道を並んで歩く。
 橋のところで多恵ちゃんとはバイバイ。
 別れ際に「たとえ記念告白になるにしても、何もしないのとしたのとでは全然ちがうんだから。あたってくだけちゃえ。ものはためしだって。女勇者・奈佐原結、いざ出陣せよ」と言われて、わたしが「もう!」と腕を振りあげて頬をふくらませたら、多恵ちゃんは「きゃーっ」と笑いながら橋の向こうへと元気よく駆けていった。
 ゆらゆら遠ざかるポニーテール。見送りながらわたしはふたたび「もう」とつぶやく。けどその声はさっきよりもずいぶんと小さい。
 多恵ちゃんのいうこともわかる。
 ウジウジしているのと、一歩を踏み出すのとではまるでちがう。たとえそれが小さな一歩だとしても。
 わたしはいつも一歩下がってばっかりだ。引っ込み思案というのではない。争いを嫌うといえば聞こえがいいけれども、ただの意気地なし。ぶつかって自分が傷つくのが怖いだけ。
 それがわたしこと奈佐原結という女の子の正体。
 ときどきそんな自分がイヤになることがある。
 けど、やっぱりわたしには無理。とてもできそうにない。
 よしんばやれたとてあとが怖い。
 なにせ大人気のキラキラ王子さまには、非公認ながらも親衛隊っぽいのがいるんだもの。集団になった女子はピラニアみたいにおっかないのだ。あれににらまれたらよってたかってつつかれる。ひとけのない校舎裏に呼び出されて囲まれるとか、絶対にイヤっ。

「……というわけで、うちに帰ったら手紙は缶箱にでも入れて封印しよう。さらば、わが初恋未満の淡い想い」

 つらつらそんなことを考えながら土手沿いをしばらく進んでから、石段を下りて住宅街の方へと向かう。
 余計なことを考えていたせいかうっかり目測をあやまり一段とばし、ちょっとつんのめる。おっとっと。
 すると何げに向けた視線の先に細い路地を見つけた。
 幅は人ひとりが通り抜けられる程度しかない。けど足元には玉砂利が敷かれてあるし、飛び石も配置されてあるから、ちゃんとした道らしい。神社の参道とかにちょっと雰囲気が似ているかも。
 ふだんならば寄り道なんてしないんだけど、今日はいろいろあった。
 どうにも心がざわついている。このままモヤモヤしたものを家に連れて帰るのもなんだかなぁ。
 と考えたわたし。
 ちょっとだけ小さな冒険にくり出すことにした。

  ◇

 自分の家の近所だからって、すべてを把握しているわけじゃない。住人にしたってそうだ。町内会とかで繋がりがあるところならば顔と名前が一致しているけれども、つき合いがなければほんの五十メートルほど離れたお宅のこともよくわからない。
 年の近い子どもがいるとか、カッコいいお兄さんがいるとか、目立つ奥さんがいるとか、大きなイヌを飼っているとか、ご近所トラブルを起こしたとか、何がしかの話題や特徴がないかぎりはまず気にもとめないもの。
 道も同様である。ふだん利用しているところはごく限られている。
 他の人は知らないけれども、わたしの活動範囲なんてたかが知れている。ぶらぶら散策するような趣味もないし。
 だから一本奥とか隣の筋に入ったらまるで見覚えのない街角だった。なんてことも珍しくはない。

「ひょっとしたらおしゃれな隠れ家カフェでもできたのかも」

 よく雑誌とかで紹介されている、あんなお店だったらうれしい。
 小学五年生の身では気軽に立ち寄れないけれども、近所にあるというだけでなんだかワクワクしてくる。
 が、そんな期待はすぐに裏切られた。
 道がそれほど奥まで続いてはいなかったのだ。ほんの二十メートルほどでわたしの冒険は終了する。
 突き当りにあったのは小さな神社みたいなもの。

「えーと、ちょっと変わってるけど、これもお稲荷さんなのかなぁ」

 よくある朱塗りの木製の社ではなくて、総石造り。
 それも大きな石から削り出したようにて、なんとも重々しい容姿をしている。風合いから昨日今日に設置されたわけではなさそう。かといって年季を感じるほどに古くもない。
 これをどうしてお稲荷さんだとわたしが判断したのかというと、祠の扉が半開きになっており、祀られてあるキツネの石像が見えたから。
 対となって狛犬みたいに飾られてあるのはよく見かけるけど、一体だけというのも珍しい。
 珍しいといえばその石像のしっぽ。
 尾が三本も生えている。

「へー、九尾のキツネとかは有名だけど、三尾ってのは初めてかも」

 しげしげ眺めてから、わたしはランドセルからペンケースをとり出す。
 ここにはヘソクリが隠してある。とはいっても金額にして百円ほどだけど。小銭の中から五円玉を探すも見つからない。しようがないので奮発して十円玉を石の賽銭箱に投入。
 鈴のついた紐みたいなのは吊るしてないので、パンパン手だけを合わせておく。
 特に何かをお願いしたわけじゃない。これも何かのご縁。せっかくだからといった軽い気持ちでやったこと。
 でもお稲荷さんに祈ったら、なんとなく胸のモヤモヤが晴れたような気がした。
 十円分の価値はあったのかもしれない。
 スッキリしたわたしは家路につく。

  ◇

 ヘンな夢を見た。
 寝ているといきなりトンっと軽い衝撃がきた。
 びっくりして目を開けたら、胸の上に灰色の子ギツネがちょこんと座っている。三本の尻尾がゆらゆら。ふさふさしている。とっても触り心地がよさそう。
 だからつい手をのばしたら、ペシっとキツネパンチではたかれた。

「おっと、この生駒(いこま)さまの尻尾に触れようなんざぁ、百年早いよ」

 キツネがしゃべった!
 なんともファンシーな夢である。
 いや、夢だからこそというべきか。

「おや、この子はまだ寝ぼけていやがるね。ほら、結。しゃきっとしな! これからあんたに、とってもお得な話をしてやるんだから」
「お得な話?」
「そうだよ。それもただのお得さじゃないよ。とっても、とっても、とーっても、盆と正月がいっしょにやってきたどころじゃないぐらいのお得な話さ」

 生駒の目もとが弓なりに。
 ……なぜだろう。笑顔がどうにもうさんくさい。
 そういえばキツネってば人を化かすんだよね。
 もしかしてわたしってば化かされちゃうの?
 そんなこちらの心配にはおかまいなしに、生駒と名乗った三尾のキツネは話を進める。

「パンパカパーン、なんと! 結はあたいの相棒に選ばれました。やったね」
「はぁ? えっ、ちょ、ちょっと待って。勝手に決めないでよ。それにどうしてそれがお得になるのよ」
「えーい、勝手もへちまもない。これは稲荷総会による厳選なる抽選の結果なの。
 ちなみに拒否権に関しては……。あるにはあるんだけど、あんまりオススメはしないよ。
 なにせ要請を拒んだ時点で全国津々浦々にいる、すべての眷属たちを敵に回すことになるから。そうなると運気だだ下がりどころじゃすまないからね。
 たぶん貧乏神と添い遂げた方がよっぽどマシだっていうぐらいの目にあうんじゃないかなぁ」
「なっ!」

 断らせるつもりがまったくない。完全なる押し売りにわたしは絶句。

「まぁまぁ、そんなにおもしろい顔をしなさんなって。それだけこれは大切なお勤めだということさ。そしてそれに見合うだけの報酬もちゃーんと用意してあるよ。
 よろこべ、結。あたいの仕事を三つ、たったの三つだけ手伝ってくれたら、バイト代としておまえの願い事をなんでも一つかなえてやるぞ」

 なんでも、と言われてわたしはハッとする。
 一瞬、ちらりと脳裏をよぎったのはキラキラ王子さまのこと。
 でも、いや、まさか、さすがにそれはちょっと……。
 するとそんなこちらの迷いを見透かしたように生駒が言った。

「男と女の赤い糸をちょちょいといじるのなんざぁ、あたいにとっては造作もないこと。これでも縁結びに関しては仲間内で一目も二目も置かれているんだから」

 もしも本当ならばたしかにお得な話である。
 どのみち拒否できないっぽいし、とりあえず話を聞くだけ聞いてみようかという気になったところで、生駒が「じゃあ、耳の穴をかっぽじってしっかり聞くんだよ」と説明をはじめた。

  ◇

 三本の尻尾を持つ灰色子ギツネと語らう。
 というファンシーな夢から醒めたら、すでに朝だった。
 まったくヘンテコな夢を見た。仕事の話そっちのけで最後の方なんてなぜだか説教だったし。「ガツンと一発かますんだよ」とか「ケンカは先手必勝」とか、ヤンキー漫画みたいなことをコンコンと説かれた。しかも「こんこんとキツネだけにね」というオヤジギャグのおまけ付き。うーん、アレはひどい。
 まぁ、しょせんは夢だからべつにどうでもいいけど。
 枕元に置いてある目覚まし時計を見れば、いつも起きる時間よりもほんの少しだけ早い。なんとなく時計に勝ったような気がして、ムフンと鼻息がもれた。
 で、さっそく起きようとしたところで自分の右手に握られてある存在に気がつく。
 べっ甲っぽい飴色をしたクリップ式の髪留め。三日月の形をしており、落ち着いたデザインにてふだん使いには丁度いい感じ。
 それから紺色のお守り袋もあった。首から下げられるようにと紐がついている。袋の中には小指の爪の先ほどの半透明な小石がひとつ。
 夢の中で生駒と名乗った子ギツネから渡された品たち。
 それを前にしてわたしは呆然。

「マジか……」


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