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『桜の季節』
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気候が随分と暖かくなり、愛着の湧いた安物石油ストーブを灯すことがなくなると、季節感などに疎い私でも「なるほど、これが春という奴なのか」と気付くものだ。
昨日から今日の夕方まで、我が家にはボーイフレンドが訪れていた。
彼は、私には無い、人々にはある、季節・気候などの日本的な感覚を持っているので「桜の花が奇麗だったよ」といったような言葉を私によく投げかける。
以前、そう、例えば半年くらい前の私であれば「植物になんて興味はないわ」などと答えていたが、最近は「へぇ、そう、奇麗なの……」と返すようになった
「そういえば、そこの公園に桜の木があったような気がする」
と彼は建て付けの悪い窓を開く。
薄曇りの下、公園に咲く桜を見て彼は、
「桜はやっぱり、八分咲きが良いね」
と云う。
「どうして? 全部開いた方が奇麗なんじゃあないの?」
と問う私に対し、
「つぼみもあれば花もある、そういったバランスが風情って奴だよ」
と微笑む彼。
「……へぇ、そういうものなのかぁ」
これが私の出せる精一杯であった。
私は彼の言葉の「半分だけ」しか理解していない自分に気付き、なるほど、これが私に「欠けているもの」なのだと、ひとり納得し、しかしそうは見えない様に振る舞う。
朝、目を醒ますべくシャワーを浴びようと風呂場に入ると、壁から剥き出しの水道管の継ぎ手がいきなり抜けて、水が勢い良く、水圧そのもので噴き出してきた。
水圧を腕力で押さえつつボーイフレンドを呼び「外にある量水器を締めて欲しいんだけど」と頼む。水が止まるまでの間、継ぎ手部分を必死でねじ込む私。
アパートの管理会社に電話を入れ事情を説明すると「日曜日なので」という前置きが何度かあり、
「午後過ぎに業者を手配できる、かもしれません」と答えたので、
「トイレが使えないのだけど? 民間業者で一時間以内に来るというのを歌い文句にしているところがあり、それをこちらが頼んで請求をそちらに回しても良いかしら?」
とブラフ(脅し)を入れ、電話を切る。
管理会社から折り返し電話が入り「二十分でうかがいます」との知らせが入った。
私は一瞬思案し、ブラフにとどめを刺すべく、長らく押し入れの奥に仕舞っていた「建築士免許証」という紙切れを額縁に入れ、玄関扉の正面にある壁に掛けた。
管理会社の、我が物件の担当である若い(恐らく私よりも)男性が心底申し訳無さそうに、か細く「申し訳ありません」と、「おはようございます」の前に云い、腰を折ったまま玄関をくぐった。
彼が必死で作る笑顔はしかし「クレームに耐える準備」で一杯だった。
管理担当の男性に「床が濡れていますから」とスリッパを渡し風呂場に入り、水漏れ場所を事細かに説明していると、五分遅れくらいで水道業者が到着した。
事情・状況の一切を管理担当の男性に説明していたので、私はダイニングテーブルへと腰掛け、朝兼昼食であるホットケーキとジンジャエールを、ボーイフレンド共に食した。
水道管を叩く音、業者と管理担当の若者とのかすかに届く会話をBGMに、他愛もない会話をしてカラカラと笑う私と彼。
暫くして管理の若者が、
「終わりました。この度は大変なご迷惑を……」
と始めたのでそれを聞く。はあ、とか、へえ、とか。
要約すると「心のこもった謝罪」だった。
暫{しばら}くして、
「古い建物ですから仕方が無いでしょう。建築士ですから解ります」
と私がいうと、
「ええ、賞状(=免許証)が飾ってありましたね」
と彼。
一切合切が終わり「申し訳ありませんでした」と去る彼に対し私は「ありがとうございました」と送り出した。
若い彼らの的確で親切な応対(心のこもった言葉遣い)は、私からのブラフを差し引いても「合格点」であり、だからこそ「ありがとうございました」なのだ。
「ねえ、何で彼らはあんなに申し訳無さそうにしてたの? 腰は低いし笑顔はぎこちないし」
私がボーイフレンドに問うと、彼は驚いた顔をした。
「それは、彼らはクレームに対応すべく訪れて、だから申し訳ない顔に決まっているじゃないか」
今度はこちらが驚いた。
「クレーム? 誰が? 何に?」
彼は云う。
「何故君は怒っていないんだい? 水が漏れて水道が使えなくなったのに。頭からびしょびしょで、冬なら風邪をひいてたかもしれない。彼らは君からのクレームに対して申し訳なく思って、だから腰が低いのは当たり前さ」
「怒る? 私が彼に? 別に私は怒っていないわよ。ただ「水道、トイレが使えないと困るから、修理して欲しい」と頼んだだけ。水が漏れたり私がびしょぬれになったのは彼らの責任ではないわ。だから彼に腹を立てても仕方が無いじゃあないの」
「普通は」と強調して彼は云う。
「怒るような事態だったんだよ。「クリーニング代を出せ」だとかなんとか」
「へぇ、世の中は複雑なものね」
と私。
桜の季節となり、街には入学式のためか着飾った親子が闊歩している。
なるほど、これが春というものか。
――おわり
昨日から今日の夕方まで、我が家にはボーイフレンドが訪れていた。
彼は、私には無い、人々にはある、季節・気候などの日本的な感覚を持っているので「桜の花が奇麗だったよ」といったような言葉を私によく投げかける。
以前、そう、例えば半年くらい前の私であれば「植物になんて興味はないわ」などと答えていたが、最近は「へぇ、そう、奇麗なの……」と返すようになった
「そういえば、そこの公園に桜の木があったような気がする」
と彼は建て付けの悪い窓を開く。
薄曇りの下、公園に咲く桜を見て彼は、
「桜はやっぱり、八分咲きが良いね」
と云う。
「どうして? 全部開いた方が奇麗なんじゃあないの?」
と問う私に対し、
「つぼみもあれば花もある、そういったバランスが風情って奴だよ」
と微笑む彼。
「……へぇ、そういうものなのかぁ」
これが私の出せる精一杯であった。
私は彼の言葉の「半分だけ」しか理解していない自分に気付き、なるほど、これが私に「欠けているもの」なのだと、ひとり納得し、しかしそうは見えない様に振る舞う。
朝、目を醒ますべくシャワーを浴びようと風呂場に入ると、壁から剥き出しの水道管の継ぎ手がいきなり抜けて、水が勢い良く、水圧そのもので噴き出してきた。
水圧を腕力で押さえつつボーイフレンドを呼び「外にある量水器を締めて欲しいんだけど」と頼む。水が止まるまでの間、継ぎ手部分を必死でねじ込む私。
アパートの管理会社に電話を入れ事情を説明すると「日曜日なので」という前置きが何度かあり、
「午後過ぎに業者を手配できる、かもしれません」と答えたので、
「トイレが使えないのだけど? 民間業者で一時間以内に来るというのを歌い文句にしているところがあり、それをこちらが頼んで請求をそちらに回しても良いかしら?」
とブラフ(脅し)を入れ、電話を切る。
管理会社から折り返し電話が入り「二十分でうかがいます」との知らせが入った。
私は一瞬思案し、ブラフにとどめを刺すべく、長らく押し入れの奥に仕舞っていた「建築士免許証」という紙切れを額縁に入れ、玄関扉の正面にある壁に掛けた。
管理会社の、我が物件の担当である若い(恐らく私よりも)男性が心底申し訳無さそうに、か細く「申し訳ありません」と、「おはようございます」の前に云い、腰を折ったまま玄関をくぐった。
彼が必死で作る笑顔はしかし「クレームに耐える準備」で一杯だった。
管理担当の男性に「床が濡れていますから」とスリッパを渡し風呂場に入り、水漏れ場所を事細かに説明していると、五分遅れくらいで水道業者が到着した。
事情・状況の一切を管理担当の男性に説明していたので、私はダイニングテーブルへと腰掛け、朝兼昼食であるホットケーキとジンジャエールを、ボーイフレンド共に食した。
水道管を叩く音、業者と管理担当の若者とのかすかに届く会話をBGMに、他愛もない会話をしてカラカラと笑う私と彼。
暫くして管理の若者が、
「終わりました。この度は大変なご迷惑を……」
と始めたのでそれを聞く。はあ、とか、へえ、とか。
要約すると「心のこもった謝罪」だった。
暫{しばら}くして、
「古い建物ですから仕方が無いでしょう。建築士ですから解ります」
と私がいうと、
「ええ、賞状(=免許証)が飾ってありましたね」
と彼。
一切合切が終わり「申し訳ありませんでした」と去る彼に対し私は「ありがとうございました」と送り出した。
若い彼らの的確で親切な応対(心のこもった言葉遣い)は、私からのブラフを差し引いても「合格点」であり、だからこそ「ありがとうございました」なのだ。
「ねえ、何で彼らはあんなに申し訳無さそうにしてたの? 腰は低いし笑顔はぎこちないし」
私がボーイフレンドに問うと、彼は驚いた顔をした。
「それは、彼らはクレームに対応すべく訪れて、だから申し訳ない顔に決まっているじゃないか」
今度はこちらが驚いた。
「クレーム? 誰が? 何に?」
彼は云う。
「何故君は怒っていないんだい? 水が漏れて水道が使えなくなったのに。頭からびしょびしょで、冬なら風邪をひいてたかもしれない。彼らは君からのクレームに対して申し訳なく思って、だから腰が低いのは当たり前さ」
「怒る? 私が彼に? 別に私は怒っていないわよ。ただ「水道、トイレが使えないと困るから、修理して欲しい」と頼んだだけ。水が漏れたり私がびしょぬれになったのは彼らの責任ではないわ。だから彼に腹を立てても仕方が無いじゃあないの」
「普通は」と強調して彼は云う。
「怒るような事態だったんだよ。「クリーニング代を出せ」だとかなんとか」
「へぇ、世の中は複雑なものね」
と私。
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