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序
15節『失恋未満』
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あれから数日が過ぎた。
雨宮はあの日を境に本当に姿を見せなくなり、噂によれば停学すると聞いた。僕はただただ実感を失い、胸に異物を打ち込まれたかのような不快感に襲われていた。
世界は灰色になり他にほとんど何が起きたか記憶にさえない。知らぬ間に僕は夜を迎え、朝を迎え、また夜を迎えていた。
『私ね、義務教育を終えたら本格的に修行の身に入るの』
屋上まで追いかけていった先で、雨宮は儚げな表情で告げた。
『本当はもう少し時間があった。でも、今となっては難しいみたい。ついこの前にあんなことがあったんだもの。次の日から外に出てはいけないとお父さんにも言われたわ。私がこうして二日も来てしまったのは、お別れを言うため』
ああ――これじゃあ、何もできない。
彼女の今は僕の手にあまり、
彼女の未来は僕のいないところにある。
これは、絶望だ。
直前まで、どう説得しようか考えていた僕はとうとう何も言えず仕舞いだった。
「クソだな」
あれから、まるで自分が自分でないような気分だ。離人感っていうのか、自分によく似た人形が人の真似事をしているようだ。最愛の人を失っただけで人は自分と世界を見失う。
「人一人見失うだけで、こうなら死んだ方がいい」
思えば、初恋のあの子と別れた日もこんな感じだった。何日も苦しんだ挙句にその地獄から抜け出すことを諦めた。あの子の代わりを探し、二年の間で何人も劣情をぶつけてきた。その結果、僕は嫌われ利用した周囲にも疎まれ、スクールカーストの最下層に落ちた。
誰のせいだ。あの子のせいだ。
そして繰り返す。雨宮を失い、僕は次の――いや、あの子を呼び戻すことを決めてしまっている。結局のところ、どう転んでも結ばれない偽物より本物の方がよかったのだ。そう考えても今更笑い飛ばす気にもなれない。
虚ろな心のまま、僕は萩谷に連絡を取った。
「最近見ないと思えば、こんなところに」
携帯で人気のないところに呼び出すと萩谷は会って早々に嫌味な声をあげた。奴の顔は以前よりも不愉快だ。
「さては返事を考えるあまり瞑想状態にでも入っていたのかな?」
「あいにくこちらは煩悩しかないが」
当たりとも外れとも言えない思いに僕は苦虫を噛む。こんなやつに素直に頼んでもいいのかとふと思った。同時に、それよりももっと強い感情が死んだ心から沸き上がる。
“悔しい”のだ。
「どうしたかな? 黙ってたら話にならない。あいにく、こちらも前より忙しい身なんだ」
「そういえば、あれから黒服を見ない」
わざと話を変えると、鋭くなった彼の視線が僕を射抜いた。
「そもそも簡単に表に出てくる存在じゃないからね。君に見つかるなんて力量がないなんて程がある。恥さらしもいいところ」
「お前達の組織が何とかしたのか?」
「それは企業秘密。もしかして、この話を他人にもしてないかな? 都市伝説のようなことだ、君はいい病院をすすめられるよ」
「お前こそ、いい宗教があるから教えようか」
すると萩谷は肩をすくめた。
「……サービスで一つ教えてあげるよ。相手は黒服だからね。その上、彼らが狙う相手は神秘を司る巫女だ。相手が相手なら自身もそうならざるをえない」
「何を言ってる?」
「巫術には巫術だよ。おそらく彼らは怨霊のように見えない存在になっている。僕の所属する機関も何一つ彼らがいる痕跡を見つけられない。」
「お前の組織がクソだという可能性は?」
「言い様によれば、クソだけどね」
萩谷の顔が不敵な笑みに歪んだ。
「もちろん、僕達も神秘に対抗する術を持っている。けれど、あちこち歩き回っても時間の無駄。何か違うものが関係しているとしか思えない」
「なるほど。そこで大変優秀なエージェント様がただの一人間に頭を下げて協力しろとお願いすると。土下座と対価さえ支払えってもらえば僕も――」
「手を貸した人間の当たりはついているし、いくら潜伏しても肝心の雨宮瞳は神社から出てこない。今までのは退屈しのぎの雑談だ。まさか本当に君に頼ると思ったかな? 君が振られた人に尽くす義理があるのかな?」
その言葉に僕は押し黙った。
「そろそろ本題に戻ろう。雨宮から身を引いて本来の思い人に会うかな?」
「……」
「おや、威勢の良さはどうした? それともたった今失語症にでも?」
「……彼女は本当に僕に会いに来るのか」
「もちろん。少しの手続きと彼女の自由意志を踏みにじるだけ」
だったら――……犠牲は構わない。あの子の意志を無理やり捻じ曲げでもしなければ、僕と再び付き合えない。萩谷はそれも可能にする自信がある。――だが。
喉まで出かかった言葉を飲みこみ、僕は言った。
「お前が嘘をついているかもしれない」
「そんなわけがない。確かにいくつか経歴詐称は認めるけれど、この取引に嘘は、」
「“恥さらし”。まるで組織の裏切り者が誰か知っているような口調だった」
「言っただろう、当たりはついてると」
それはそうだ。僕は桑谷と違って勘はよくない。だから、間違ってるかもしれない。
「でも、雨宮は神社の外に出てないわけじゃない」
「……」
世界が失われても、それだけは覚えていた。
「夜な夜な彼女は刀を持って墓場まで繰り出してる。武装していても巫術には巫術なんだろう? それでも行動でもできないのは何か理由が――」
「このストーカーめ」
彼から愛想笑いのベールが剥がれた。下から現れたのは獰猛な獣のような表情。
「だとしても僕は裏切り者じゃない。的外れな推理、ご苦労! 一切諦めるつもりはないってことがよくわかった」
「取引はなしか?」
「問答無用だ。君にはしばらく消えてもらった方がいい」
萩谷が制服の内ポケットに手を忍ばせた瞬間、僕は踵を返して走り出した。「おい!」という声を背に、その場を一目散に駆けた。
人気のない田舎道を走り、あぜ道に入り、雑草が生い茂る荒野の中に飛び込んだ。それから声を押し殺して周囲を見やる。人はいない。追いかけてくる姿もない。それでも安心できないと辺りに視線をやる。それにしても無我夢中で体を動かしたせいか全身が痛い。
「そこまで僕に雨宮から離れさせたいのか、あいつは……」
背中を見せるのは屈辱だったが、萩谷にこそ関わってはいけない。それに雨宮が危険だ。僕が守らなければならない。
「と言っても、あいつに尽くす理由が……」
考えをまとめようとして、しかしそれはできなかった。
何もなかった場所に黒服が立っていたのだ。
「お前は……」
はっとして周囲を見れば、四方にも黒服がいた。
「萩谷の追っ手か、それとも神社で会ったやつか」
顔の痣を見て後者っぽいなと思った時、後ろから手を羽交い絞めにされた。そのまま、道の端へと連れ込まれる。直後に口に脱脂綿のようなものを詰め込まれた。つんとした匂いに僕は遂に何も考えられなくなる。意識を手放す瞬間、誰かの声が聞こえた気がした。
雨宮はあの日を境に本当に姿を見せなくなり、噂によれば停学すると聞いた。僕はただただ実感を失い、胸に異物を打ち込まれたかのような不快感に襲われていた。
世界は灰色になり他にほとんど何が起きたか記憶にさえない。知らぬ間に僕は夜を迎え、朝を迎え、また夜を迎えていた。
『私ね、義務教育を終えたら本格的に修行の身に入るの』
屋上まで追いかけていった先で、雨宮は儚げな表情で告げた。
『本当はもう少し時間があった。でも、今となっては難しいみたい。ついこの前にあんなことがあったんだもの。次の日から外に出てはいけないとお父さんにも言われたわ。私がこうして二日も来てしまったのは、お別れを言うため』
ああ――これじゃあ、何もできない。
彼女の今は僕の手にあまり、
彼女の未来は僕のいないところにある。
これは、絶望だ。
直前まで、どう説得しようか考えていた僕はとうとう何も言えず仕舞いだった。
「クソだな」
あれから、まるで自分が自分でないような気分だ。離人感っていうのか、自分によく似た人形が人の真似事をしているようだ。最愛の人を失っただけで人は自分と世界を見失う。
「人一人見失うだけで、こうなら死んだ方がいい」
思えば、初恋のあの子と別れた日もこんな感じだった。何日も苦しんだ挙句にその地獄から抜け出すことを諦めた。あの子の代わりを探し、二年の間で何人も劣情をぶつけてきた。その結果、僕は嫌われ利用した周囲にも疎まれ、スクールカーストの最下層に落ちた。
誰のせいだ。あの子のせいだ。
そして繰り返す。雨宮を失い、僕は次の――いや、あの子を呼び戻すことを決めてしまっている。結局のところ、どう転んでも結ばれない偽物より本物の方がよかったのだ。そう考えても今更笑い飛ばす気にもなれない。
虚ろな心のまま、僕は萩谷に連絡を取った。
「最近見ないと思えば、こんなところに」
携帯で人気のないところに呼び出すと萩谷は会って早々に嫌味な声をあげた。奴の顔は以前よりも不愉快だ。
「さては返事を考えるあまり瞑想状態にでも入っていたのかな?」
「あいにくこちらは煩悩しかないが」
当たりとも外れとも言えない思いに僕は苦虫を噛む。こんなやつに素直に頼んでもいいのかとふと思った。同時に、それよりももっと強い感情が死んだ心から沸き上がる。
“悔しい”のだ。
「どうしたかな? 黙ってたら話にならない。あいにく、こちらも前より忙しい身なんだ」
「そういえば、あれから黒服を見ない」
わざと話を変えると、鋭くなった彼の視線が僕を射抜いた。
「そもそも簡単に表に出てくる存在じゃないからね。君に見つかるなんて力量がないなんて程がある。恥さらしもいいところ」
「お前達の組織が何とかしたのか?」
「それは企業秘密。もしかして、この話を他人にもしてないかな? 都市伝説のようなことだ、君はいい病院をすすめられるよ」
「お前こそ、いい宗教があるから教えようか」
すると萩谷は肩をすくめた。
「……サービスで一つ教えてあげるよ。相手は黒服だからね。その上、彼らが狙う相手は神秘を司る巫女だ。相手が相手なら自身もそうならざるをえない」
「何を言ってる?」
「巫術には巫術だよ。おそらく彼らは怨霊のように見えない存在になっている。僕の所属する機関も何一つ彼らがいる痕跡を見つけられない。」
「お前の組織がクソだという可能性は?」
「言い様によれば、クソだけどね」
萩谷の顔が不敵な笑みに歪んだ。
「もちろん、僕達も神秘に対抗する術を持っている。けれど、あちこち歩き回っても時間の無駄。何か違うものが関係しているとしか思えない」
「なるほど。そこで大変優秀なエージェント様がただの一人間に頭を下げて協力しろとお願いすると。土下座と対価さえ支払えってもらえば僕も――」
「手を貸した人間の当たりはついているし、いくら潜伏しても肝心の雨宮瞳は神社から出てこない。今までのは退屈しのぎの雑談だ。まさか本当に君に頼ると思ったかな? 君が振られた人に尽くす義理があるのかな?」
その言葉に僕は押し黙った。
「そろそろ本題に戻ろう。雨宮から身を引いて本来の思い人に会うかな?」
「……」
「おや、威勢の良さはどうした? それともたった今失語症にでも?」
「……彼女は本当に僕に会いに来るのか」
「もちろん。少しの手続きと彼女の自由意志を踏みにじるだけ」
だったら――……犠牲は構わない。あの子の意志を無理やり捻じ曲げでもしなければ、僕と再び付き合えない。萩谷はそれも可能にする自信がある。――だが。
喉まで出かかった言葉を飲みこみ、僕は言った。
「お前が嘘をついているかもしれない」
「そんなわけがない。確かにいくつか経歴詐称は認めるけれど、この取引に嘘は、」
「“恥さらし”。まるで組織の裏切り者が誰か知っているような口調だった」
「言っただろう、当たりはついてると」
それはそうだ。僕は桑谷と違って勘はよくない。だから、間違ってるかもしれない。
「でも、雨宮は神社の外に出てないわけじゃない」
「……」
世界が失われても、それだけは覚えていた。
「夜な夜な彼女は刀を持って墓場まで繰り出してる。武装していても巫術には巫術なんだろう? それでも行動でもできないのは何か理由が――」
「このストーカーめ」
彼から愛想笑いのベールが剥がれた。下から現れたのは獰猛な獣のような表情。
「だとしても僕は裏切り者じゃない。的外れな推理、ご苦労! 一切諦めるつもりはないってことがよくわかった」
「取引はなしか?」
「問答無用だ。君にはしばらく消えてもらった方がいい」
萩谷が制服の内ポケットに手を忍ばせた瞬間、僕は踵を返して走り出した。「おい!」という声を背に、その場を一目散に駆けた。
人気のない田舎道を走り、あぜ道に入り、雑草が生い茂る荒野の中に飛び込んだ。それから声を押し殺して周囲を見やる。人はいない。追いかけてくる姿もない。それでも安心できないと辺りに視線をやる。それにしても無我夢中で体を動かしたせいか全身が痛い。
「そこまで僕に雨宮から離れさせたいのか、あいつは……」
背中を見せるのは屈辱だったが、萩谷にこそ関わってはいけない。それに雨宮が危険だ。僕が守らなければならない。
「と言っても、あいつに尽くす理由が……」
考えをまとめようとして、しかしそれはできなかった。
何もなかった場所に黒服が立っていたのだ。
「お前は……」
はっとして周囲を見れば、四方にも黒服がいた。
「萩谷の追っ手か、それとも神社で会ったやつか」
顔の痣を見て後者っぽいなと思った時、後ろから手を羽交い絞めにされた。そのまま、道の端へと連れ込まれる。直後に口に脱脂綿のようなものを詰め込まれた。つんとした匂いに僕は遂に何も考えられなくなる。意識を手放す瞬間、誰かの声が聞こえた気がした。
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