青い月の下で

大川徹

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破(青鷺編)

7節『世界の裏側の暴露あるいは革命』

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 同時刻。

 「霧の拡大が早い……」

 鏑木が車のミラーを見ると、既に街中にまで霧が侵入してきていた。市役所まであと少しで着くというものの、このままだと避難が間に合わない。全速力で逃げ切るか、それともこの場で自分が避難を呼びかけるべきかと悩んでいると脳裏に閃くものがあった。

 「町内放送の放送室にそのまま行くんだ」

 この街はスピーカーの備え付けられた高台の下に放送室が置かれている。直接そっちに行った方が近いし避難が間に合うかもしれない――そう考えて執事に指示を飛ばした。

 その時だった。
 突然、道路の目の前に人が数人現れた。執事が急ブレーキを踏み、鏑木は前のめりになって内臓を圧迫される。

 「何だ!? 憑影か?」
 「違います。あれは青鷺の方々です」

 言われて前方を覗き込むと、上下を黒服に包んだ彼らは間違いなく青鷺の戦闘員だ。

 「なんで? 彼らは今それどころじゃないはず」
 「近づいてきますよ」

 黒服達は疲弊しているのか、普段の機敏な様子もなく車まで歩いてきた。執事が窓を開けると、彼らは寄りかかるようにして顔を近づける。

 「霧が発生している方向を探っていたが、まさか鏑木家の方々とは」
 「あなた達はどうしてこんなところに。本部が襲撃されたのではなかったのですか」
 「本部は陥落した。怨霊が人に憑りついただけで超人的な力を得たどころか巨大な腕を生やして何本も突っ込んできて……。思い出すだけでも恐ろしい。鳥の声主導で相手にしたが、瞬く間に建物を破壊されて散り散りに逃げてきたんだ」
 「じゃあ、青鷺はもう……」

 壊滅したと鏑木は言いかけると黒服の一人は首を横に振った。

 「いや、あと一歩でやられると思った時に憑影の連中はなぜか街に向けて散っていった。こうなれば後は撤退戦だ。俺達は奴らの様子を見ながら住民に避難を呼びかけているんだ」
 「そうなんですか! 実は僕達も避難を呼び掛けに行くところだったんです」
 「それについては心配ない。当主が役所に連絡を入れているはずだ。怨霊のことを明かせないから災害に対する緊急避難訓練という形にはなるが、ある程度効果はある」
 「よかった……」

 その言葉に鏑木は少しだけ気が楽になった。

 「ここは私達に任せて貴殿らも避難を。仲間からの連絡では、この周辺まで霧が伸びてきている。氷見の動向は不明だが、見るからに作為的な動きだ。まるで何かを追いかけているような」
 「わかりました。……うん?」
 
 この周辺まで何かを追いかけている、その言葉が彼の中で引っかかった。

 「坊ちゃま、ではどうしましょう。私達も避難する前に一度、お友達に連絡しては」

 「そうだね……でも、ちょっと待って」

 なぜか嫌な予感がする。彼は車のドアを開けると、執事が止めるのも聞かずに外に出て後方のトランクを開けた。その瞬間、ぞっとした悪寒が彼の中を駆け巡った。
 
 「なんで……」

 そこにあったのは霧寺が持っていたはずのアタッシュケースだった。急いで中を開けると、そこに鍵はあった。鏑木家に置いてきたはずの鍵だ。何かに反応しているのか青く発光しているあたり、明らかに本物だ。彼は放り出すこともできず、それを持ったまま中に慌てて入ると桑谷に電話をかけた。

 『よお、順調か?』
 「桑谷くん! おかしいんだ、あっちゃいけないはずのものがここに」
 『……ああ』

 桑谷は一拍置いて言った。
 
 『悪いな。作戦のためだ』
 「え……? まさか君が入れたの? そんな話聞いてないよ」
あくまで落ち着いて、静かに桑谷の無実を信じる。だが、それはすぐに裏切られた。
 『そりゃ、避難の話は嘘だからだ。俺は誰かに鍵を持って街中を走り回ってほしかったんだよ。悪いが、それが一番ことを運ぶのに効率がいいからな』
 「はあ……?」

 鏑木は何か言おうとして、うまく言葉にできなかった。なぜなら、彼はわかってしまった。今まで車に乗せて街中を走り回ってきたことの意味。外の景色の異常さ。それが結びつき、今や自分が世界の破滅の引き金を引いてしまったこと。そして、その後のことも。

 「僕は囮……餌なのか」
 『さすがにどうかとは思ったんだ。車に入れるのを人に見られるリスクもあるし、何より鍵を持ち出すことがばれたらおしまいだ。ただ、俺の本質は知能犯じゃない。愉快犯なんだ』
 「い、意味がわからないよ。ふざけないで!」

 鏑木は今まで感じたことのない怒りを覚えた。しかし、それを冷ますかのように周囲の気温がいっそう低くなる。

 『ところで鍵に加えて怨霊が欲するものは何だ。ヒントは彼らを現世に縛り付けているもの』
 「怒りや恨み……負の感情」
 「坊ちゃま! 外が大変なことになっています」
 「しまった!」

 窓越しに見える景色はいつのまにか霧で覆われていて、まるで森や山の頂上付近にいるようだ。突然現れた怨霊に周りの黒服達が車を守るようにして立ち向かうも、あまり戦えている様子もない。さっと一人の姿が見えなくなると、途端にバンと窓が叩かれた。見れば、手形のような跡がついている。

 「うわぁ!」
 「坊ちゃま、お気を付けを!」

 車が速度を上げて走り出す。しかし、鍵が手元にある以上もう逃げ切ることは不可能だ。

 『さて、ここまで言えばいいだろう。鏑木、手に持っている鍵を捨てろ』
 「え? 今度は何を言うんだ。もう君のことなんか信じない」
 『持ったままだとお前が憑依されるぞ。そのまま街の外縁まで逃げて、近くの民家の中にでも匿ってもらえ。学生証を見せれば、鏑木のおぼっちゃまだってわかるし御三家の人間を無碍にはできないだろ』
 「まさか僕だけ逃げろって言うの?」
 『街への避難指示が出たことは知ってる。なら大騒ぎを起こしても問題ない。それが俺がお前に頼んだことの真意だ』

 鏑木は手元の鍵を見た。そして、今や車の後方で戦っている黒服達を見やる。
 迷う余地はなかった。彼はすぐにドアを開けて鍵を放り投げた。

 「桑谷くんは怨霊をここに集めたい理由があったんだね?」
 『言っただろ、俺は必要なことしかしない主義だ。そのためにはお前の感情も餌にする』
後ろでは憑影達が鍵を見つけてアリのように群がっている。もはや生きた人間には興味もないのか、互いを押し合いへし合い激しい戦いが始まっていた。
 『いや、やっぱり嘘だ。嗜虐心はある。こっちでも今、遠藤が面白いことになっているが笑いが止まらない』
 「怖いよ。でも、それも計画なら勝算はあるんだね? 鍵には月の魔力が込められているとわかった以上、あれを怨霊に与えたのは賭けだよ?」

 『わかっている。できるだけうまくいく方へ持っていくさ』

 そう言って桑谷は電話を切った。鏑木は通信終了と画面に映った文字を眺めた後、街の災害警報が通話中に来ていたことに気付いた。

 「今頃、街の中心部は災害時と同じ状況になっているはずだ。でも、誰もが鵜呑みにしてくれるわけじゃない。それに一度、鍵を与えた怨霊を街の中にまで引き連れてきてしまった以上……。一体彼は何をするつもりなんだ?」

 最後に嗜虐心と言って笑った桑谷の声が鏑木の中で何度も反響していた。


 そして、彼の心配はすぐに現実のものになった。

 「一体誰がこんなことをしたのかしらね」

 青い閃光が瞬くのを見て、氷見は思わず呟いた。
 憑影達が鍵を手に入れ、一か所に集中したためか街を包む霧は薄くなっている。その代わり、彼らが通ってきた道の凄惨な光景を浮き彫りにした。

 「まるで世界の終わり。生者は丸ごと罪人となり、最後の審判を待っている――」

 そう言って足元を見ると道路に敷き詰められているのは意思を失った人間の群れだ。街の外縁部に住んでいた人達は警報が鳴る前に襲われ、怨霊に体を乗っ取られた。鍵を手にした憑影の群れも次の鍵や得物を探すために街中を闊歩し始めている。巫女が不在の今、誰もその行進を止めることができない。

 「あのせいで青鷺を壊滅し損ねたけど、陽動にしては派手すぎる。とはいえ乗るしかないか。月も限界だし、みんなあれを望んでる」

 氷見は右手を掲げ、くいっと掌を内側に握りしめた。

 「おいで」

 その声に一斉に足元の憑影が彼女を見る。絶え間なく聞こえていたうめき声は止んで静寂となり、氷見が人差し指を閃光へと向けると彼らも視線をそこへと向けた。

 「行くぞ」

 氷見が屋根の上を走り、隣の屋根へと移る。憑影もついていくようにして走り出し、まるで軍隊のように統率の取れた動きへと変化した。蒼鷺の戦闘員がそれに出くわし、対抗しようとするも瞬時に押し潰された。
鍵を手にした憑影の行列に近付いた時、前方の憑影が氷見へと目を向けた。彼女は視線だけでそれを操ろうとするも、その前に行列の中に取り込まれた。彼らの隊列が崩れたかと思いきや、まるで一つの生物のように人間がパーツとして組み立てられ始めたのだ。

 「ちっ」

 青い閃光が電流のように彼らの体の表面を駆け巡り、まるで血管のようだ。

 「かわいそうに。それでも復活なんてできないのね」

 外敵を察知した憑影達は巨大な手の形を構成した。さながら巨人のようになったそれに氷見は人差し指をさすと、彼女の後ろから凄まじい数の憑影が突っ込んでいく。青い光を宿した巨大な腕は大きく振り仰いで、それを吹き飛ばした。さらに拳を作ると氷見に向かって殴りかかる。

 「ふっ――」

 氷見は両手を前に突き出し、その拳を全身で受け止めた。足で踏ん張ろうとしてもずり下がるが、直後に彼女の両手が青く発光し出す。同じ青い月の力で拳を完全に抑えると、跳ね返そうと力を込めた。
 その時、一発の銃弾が足元に着弾した。

 「こんな時に!」

 撃ってきた方向を見れば、萩谷雅人を筆頭にした青鷺の生き残り。まるで軍人のように頭をヘルメットで覆い隠し、防弾チョッキを着込んでいる。銃機も持っているが、不釣り合いにも数珠や札まで携帯していた。その様子に宗教犯罪組織みたいだと氷見は笑ってしまう。

 「というか手伝ってくれない? 頭がいいなら、どっちが敵か味方かわかる?」
 「憑影が徒党を組もうと、お前は敵だ。それにお前に味方して勝ったところで、我らは全員お前側の怨霊に肉体を取られるのではないのかね?」
 「ふん。だったら、どうする?」
 「決まっている。街の平和を守るのは我々だ」

 萩谷父が合図すると蒼鷺本隊が巨大な手に向かって走り出し、萩谷父は唯一氷見へと足を踏み出した。

 「一体何度目のリターンマッチ? そろそろ諦めろ!」
 「断る!」

 ここに三つ巴の戦いの火蓋が切って落とされた。
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