学校外で会えるまで

Karhu

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第15話 お返し

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  遠くの樹々がカーテンの隙間から現れる。赤と黄色の水彩絵の具で染まった葉っぱが、北風に吹かれてゆさゆさと揺れていた。
 茂った葉っぱは、まだ多く枝についている。けれど、秋口よりも随分と葉が落ちた。
 ひときわ強い風が吹くと、枯れ葉がころころ転がる音も教室へと流れ込む。敷地内のいたるところに落ちた葉っぱは、清掃員を困らせるだろう。これだけ風が強いといくら掃いても落ち葉はなくならないからだ。

 また、風が吹いた。カーテンがふわりとふくれる。
 布こすれの音とともに机の上に置かれた、ちり紙や袋が音を立てて動いた。飛んでいかないように持っている弁当箱を置いて、手で押さえる。ほんの少し耐えると、動こうとする力はなくなった。
 机をくっつけていた木梨きなしさんのごみは飛ばされてしまったようだ。足元に落ちたサンドイッチの角底袋を拾いあげる。

「ごめん、花ヶ前はながさきさん」
「ううん」
 「レモンソースのサラダチキンサンド」と商品名の書かれた袋を手渡す。
「あんがと」
 木梨さんの隣で、米田こめださんがコンビニ袋の口を広げて待っている。そこに落ちた袋を入れると、米田さんがコンビニ袋の口を縛って「もう落とすなよ」と渡した。小刻みに頷く木梨さんの姿は、まるでチューリップのようだ。ふふっと息がもれてしまった。

「今日はほんと風が強いね。日差しはあったかいのに、風のせいで肌寒くて仕方ない」
 米田さんが自分の体を抱いて、体と栗色のボブヘアを震わせる。
「体調に気をつけないとね」
 ここ数日は気温が安定せず季節外れの陽気になっていた。そのちぐはぐさが体にとって負担になる。保健室からのお知らせで、体調不良に関しての注意喚起がされた。

 またカーテンが揺れた。焼き付くような放射状の光が目に飛び込んでくる。うっと呻いて片目を瞑った。私をもてあそぶようにカーテンがまた揺れると光は隠された。

 こうも風が強いと一カ月ほど前、彼女たちと仲良くなった日を思い出す。
 あの日、彼女たちにお土産をもらっていなかったら私はどうなっていたんだろう。いつもと同じように勉学に励み、園芸や料理と身になることを行っていたはずだ。けれど、こうして誰かと一緒に腰を据えて昼食を食べてはいないだろう。その違いはきっと大きい。

「乾燥するとさ、唇の皮がむけちゃったりすんじゃん」
「うん、それで血が出るんだよね。ご飯を食べるとき染みて痛いし」
 二人ともそれぞれ持参したお昼を口にしている。しっかりと飲み込んでから喋りはじめる米田さんと違って、咀嚼そしゃくしながら話す木梨さんの声は聞き取りづらい。

「この時期はいやだよな。花ヶ前さんは、乾燥対策になんかしてる」
 口の端にパンくずをつけた木梨さんが首を傾げる。質朴しつぼくな彼女は気付いていない。木梨さんにパンくずのことを伝え、話を戻した。
「ハンドクリームをつけてるかな。園芸部に入ってから、家でも植物を育てるようになったから」
 ティッシュで顔を拭うと、きれいに取れたか米田さんに訊く。ほとんどは取れているが一部が頬へと移動してしまっている。米田さんが自分の頬を指で叩いて、笑い混じりにそれを教えた。

 お腹を抱えた米田さんが笑いながら言葉を返す。
「手は、自分でも見えるから、荒れてると気になるよね」
 隣で木梨さんがしかめっ面をして、残っていたパンくずを拭った。
「あたしも気になる。去年、皿洗いのバイトして手荒れた時は困った。治そうとしても、また皿洗うから治んなくて」

 身体に関する悩みはみんな似たり寄ったりのようだ。季節や天候の前では年齢や立場は関係ない。先生もこの時期は乾燥しないようリップクリームをつけたり、湿度を気にして加湿器を使ったりとするのだろうか。手のケアをしているそうだから、他のところにも気を配っているはずだ。
 そびえたつ年齢と立場の壁は、案外薄くて、透けている。ふとしたときに、簡単に壊せると思い違うほどに。

「毎年のことだから、困るよね」
 そう、毎年のことだ。手荒れも、乾燥も。
 来年は、もっといえば再来年は。道端に咲く花をみて何を思い起こすだろう。四人との関係は続いているのだろうか。想像するだけでも胸が詰まる。
 オレンジジュースがよく染みたサツマイモのオレンジ煮を口へと運んだ。もったりとしていて甘酸っぱい。やな想像も消化してくれないかと、咀嚼したものを飲み込んだ。

「今年の冬も雪ふっかな」
「雪が降ったらなんかしたいことでもあるの」
 乾燥の話をして気になったのか、自分の手を見つめている米田さんが聞き返す。
 去年の雪はわたあめのようだった。少しだけ積もった雪は、一晩でほとんど溶けてしまった。関東では雪が降っても、積もることはそうない。

「特にこれといってないけどさ、雪の日って歩いてるだけで楽しいから」
 木梨さんが瞳を輝かせる。反対に米田さんの表情は曇った。
「確かにいいけど、親の実家があるところすっごい雪降るんだよね。正月にいくと、雪かき手伝わされて大変なんだよ。夢がないってのはわかってるんだけど、ほぼ毎年のことだから雪って聞くとそれ思い出しちゃう」

 今度は木梨さんの表情が曇った。雪がほとんど降らない地域に住む人は、降雪予想が出ただけで気持ちが逸る。きっと、木梨さんも冬の空を羨望の眼差しで見上げるのだろう。私もそのうちの一人だった。

「夢がない」
「だからそう言ってんじゃん」
「ふふっ」
 二人とも食事をしながら会話をしているのに、淀みなく会話が進んでいく。小気味いい会話に笑いがこぼれてしまった。
「花ヶ前さんも、雪が見られると嬉しいの」
 米田さんは自分の考えを笑われたと勘違いしたのか、きまりが悪そうに訊《き》いてきた。

「ごめんね、二人の小気味いい会話に笑ったんだ。うん、私も嬉しくなるよ」
 米田さんの表情が和らいだ。
「そっか。こっちの方はあんまり降らないもんね」
 米田さんがおにぎりを頬張る。私も、サツマイモを口にした。

さくらだに麻田あさださんにも声かけて、冬休みどっか行こうよ」
 一足先にお昼を食べ終えた木梨さんが、紙パックのジュースを椅子に寄りかかって飲んでいる。ストローを咥えて上を向いているから、腰ほどの長さのある金髪が床につきそうだ。机の横から顔を覗かせて確認すると、椅子の足辺りまでで床にはついていなかった。体を戻すと紙パックについてきたストローを口をすぼめて吸っている。

「いいね。五人で出かけたことないし」
 米田さんがおにぎりの包装フィルムの一つにごみをまとめていく。フィルム同士のこすれる音が教室に反響した。
 他の生徒もいる教室はときおり、賑やかな声が包むも、ひっそりとしていた。

「イルミネーションとか、どうかな」
 少し前なら何かあればその都度、断りを入れられていた。それがうら寂しい気持ちにさせた。それだけに、二人の遠慮のない言葉が身に染みる。
 広い教室は寂々じゃくじゃくとしている。けれど、居心地がよかった。黙々と食事をしているときに空間を横切る風も、今だけは使う人のいない机を照らす光も。
 ぽつりぽつりと続く会話に合わせて、雲が流れていく。

「いいね。丸の内のイルミネーションを見に行きたいな」
「そのイルミネーションなら、去年のクリスマスに放送された特集番組でみたよ」
 丸の内は大通りの街路樹をすべて電球によって飾られ、ビジネス街に連なる高層ビルの照明もイルミネーションの一部となっていた。テレビ画面に映った、山吹色の光を眺めるカップルを覚えている。

「六本木ヒルズのもいいぞ」
 木梨さんが勢いよく体を起こす。静謐せいひつとした室内に椅子の揺れる音が響いた。
 六本木ヒルズのけやき坂通りでは七十万灯の青と白の光が樹々を飾った。光が坂道を照らすさまは非日常に彩られ、神秘的だった。
 どちらのイルミネーションも燦然さんぜんと輝く星々がかすんでしまうほどのもの。画面越しにそう映ったのだから、間近で見た景色はどんなものだろう。

「どっちにも行ったことがないけれど、どっちも綺麗で甲乙つけがたかったな」
「どこに行くか決めるのは、ここに居ない二人から確認をとってからだね」
 桜谷さんたちは所属している部活の部員たちとお昼を食べに行っている。お昼休みに誰かしらいないのはいつものこと。修学旅行のお土産をもらったあの日、みんなと食事を共にできたのは思いがけない幸運だった。

「先に十二月の予定を確認しないとね」
 まだ一カ月も先のことだ。どんな予定が入るのかわからない。けれど、逆を言えば、それだけ予定を立てやすい。
 高校生になってから、家族以外とどこかに出かけた記憶がない。久しい出来事に胸が躍る。

「ぜったいみんなでいくぞ」
 空になった紙パックの中身を吸う音に、米田さんと一緒に大きく頷いた。木梨さんは満足そうにはにかんだ。

 ストローやプラスチックのごみを木梨さんが空の袋にぽいぽいと入れていく。勢いあまって入れたものが床へ落ちると、「だから落とすなってばー」と米田さんが拾う。メイクが落ちていないか手鏡で確認していた彼女の机の上には、ポーチしか置かれていない。

 お弁当箱の蓋を閉めて桜色のランチバックへ収納する。側面をまたいで表に枝が描かれていて、桜の樹のよう。高校に進学する前、自分でお弁当を作ると決めた時に購入したものだ。
 ランチバックを前に、手を合わせた。
「ごちそうさまでした」
 綺麗になった机を前に、三人の声が重なった。
 偶然のことで顔を見交わす。瞬間、陽気な笑いが起こった。

 私達のいる場所にはずっと斜光が差し込んでいる。光のあたった体は内も外もぽかぽかとしていた。そのぬくもりが心地よくて、また笑いがこぼれる。
 ひとしきりみんなで笑い終わると、喉元でとどまっていた言葉が口をついて出た。

「二人に渡したいものがあるんだ」
 言ったそばから鼓動が早まる。ばくばく、ばくばく。じんわりと首に汗がにじんだ。
「なになに」
 木梨さんが前のめりになる。米田さんは口元が緩るんだまま、静かに待っている。

「修学旅行のあとにもらったお土産のお返しを渡したいんだ」
 二人は喜んでくれるだろうか。胸の底でオレンジ色と青色でマーブル模様を作る。ぐるぐると色の混ざるさまを想像しながら、足元にあるリュックサックのジッパーを開けた。

 重要書類と教科プリント別に分けたクリアファイルを指ではじく。そのクリアファイルの隙間に落とさないよう入れていたものを取り出した。
 手のひらサイズの包装されたものを二人に手渡す。白く柔らかい袋は、ほんの少しの音を立てて二人の手へ移った。

「開けるね」
 二人が斜めがけしたリボンを外していく。包装のテープがはがれていく音に心臓が早鐘を打つ。早まった呼吸を正そうと息を飲み下した。袋の隅に茶色で描かれたクマの肉球がちらっと見えて、励まされたような気持ちになる。
「お、これ」

 出てきたのはリボンのヘアゴムだ。細い紺色のヘアゴムは台紙に通されたまま、木梨さんの手のひらでこじんまりと存在している。
「使ってみんね」
 稲穂のような色をした髪を、後頭部で結う。手際よく結い終えると、頭を左右に振った。田んぼ一面に生る稲穂が自然に身を任せて揺れているようだった。

「よさそうじゃね」
 明るい声に米田さんが頷いて、持っている手鏡を木梨さんに渡した。手鏡にヘアゴムが写るよう頭を動かして確認すると「おぉ」と声を上げる。
 艶やかな髪に紺色が目を引く。
 米田さんがスマートフォンを向けると、木梨さんがカメラの前でポーズをとる。シャッター音がすると撮った写真を画面に映して、くっつけた机の中央に置いた。茶目っ気のある木梨さんの顔が表示されている。

 ヘアゴム一つで随分と印象が変わる。
 先生は二年前から髪型が変わっていない。どんな髪型でも素敵だろう。もし、長髪姿が見られたら何かヘアアクセサリーを贈りたい。けれど、その気持ちとは裏腹に先生が身に着けるヘアアクセサリーはあのバレッタ以外ないと断言できるのだ。

「ありがと、花ヶ前さん」
 木梨さんのプリムラのような笑顔に息をついた。
「どういたしまして」
「でも、なんでヘアゴムなの。よく使ってたやつが切れちゃったからありがたいけど」
 首を傾げるのにあわせて木梨さんの髪が肩口から垂れる。

「前にそのヘアゴムの話を聞かせてもらったからだよ。お返しするなら使いやすいものがいいかなって」
 体育の休憩時間中にヘアゴムの話を聞いてから、休日に店舗を回った。
 どんなデザインのものが似合うか、どんな色がいいか。売っている商品の系統が違う店舗を回って、候補を絞った。話を聞いてから購入するまで日数はかかったけれど、あれやこれやと頭を悩ませながら陳列棚を眺めるのは苦ではなかった。渡したときの反応を想像しては期待に胸を膨らませた。

「覚えててくれたんだ、話したことあたし自身が忘れてたのに」
 木梨さんに抑揚のある早口で問われた。
 彼女たちについて知ろうと、ここ一カ月間、積極的に声をかけてきた。何が好きで、何が苦手なのか。それを知るために。

「渡すものに悩んでいたから、贈り物に関係するような話は覚えてたんだ。米田さんのもそうだよ」
 すでに袋を開封して手のひらでリップグロスを転がす米田さんがこちらを見る。
「私は話したこと覚えてるよ。どっちのリップグロス買おうか迷って、財布と相談した結果、一つしか買わなかったって話でしょ」
「うん」
「ありがとう、買ったリップグロスも気に入ってるんだけど買わなかった方もずっと気になってたんだ」
「どんなん、みしてみして」
 木梨さんが急き立てると、ピンク色のリップグロスを差し出す。表面には夏のような爽快感と暑さをもってマーガレットのイラストが描かれている。

 リップグロスは光を反射して机に水面のような影をつくっていた。
「やっぱりこっちもかわいい。青色を持ってなかったからそっち選んじゃったけど」
 渡すものは決まっていたため店舗に行って、米田さんが買わなかったものを手に入れるだけだった。別の物も候補にあがったけれど、彼女の様子を見るに判断は正しかったようだ。

「リップ落として使ってみるね」
 弾んだ声に頷いて返す。手鏡を片手にメイク落としシートで唇を拭ってリップを落としていく。リンゴのような色がだんだん薄まっていく。見る角度を変えて落ちたのか確認すると、指で色をぽんぽんとのせていった。

 夜更かしすることが多く、登校前にメイクをすることが少ないため、メイク中の姿をしげしげと見つめた。母もメイクはするものの、私よりも先に起床し、私が食卓につく頃には身支度が完璧な状態だ。メイクを落としている姿はみても、メイクをしている姿は見たことがない。そのため、目の前の光景が新鮮だった。

 指で色を馴染ませると、米田さんはこちらをみて「どうかな」と訊いてきた。
 手頃な価格にも関わらず、透き通った柔らかみのある桃色へと変化していた。先ほどよりも温和な印象が際立っている。

「お、つやつやしてる」
「きれいだよ」
「ふふっ、ありがとう」
 率直な意見を伝えると、米田さんは照れたように身をよじる。
「お返しもらったのは嬉しいけどさ、桜谷たちにも用意してるんだろ」
 こちらに顔を向けた木梨さんが案じたような顔つきで問いかけてくる。

「そうだよ。お土産を渡してくれた人、全員」
 それぞれに渡す以外の選択肢は端からなかった。
「うちらがあげたのは二つで、花ヶ前さんが用意したのは四つ。数と金額を考えたらうちらがあげたのよりも多くない」
 怪訝な面持ちで木梨さんが首を傾げる。

 正確には五つだが、言っていいものか分からず口をつぐんだ。話したいような、隠したいような矛盾した気持ちが胸の底で渦巻いている。
「たしかにそうだ」
 目を丸くした米田さんが勢いよく顔を振る。木梨さんの感情が移ったように顔つきが似たものになる。

「気にしないで。もらったもの以上のものを受け取ったから」
 幾分か二人の表情は晴れたものの、どこか引っかかりのあるような面持ちだった。もどかしさが喉元までせりあがる。

 どうしたら好意をそのまま受け取ってもらえるのだろう。数は多くとも、どれも値段は高くない。もらったものを考えれば、安いくらいだ。彼女たちが想像しているであろう負担も一切かかっていない。
 うんうん唸っていると木梨さんが手を打つ。

「あ、んならさ。冬休みのときにみんなでなんか食べに行こうよ」
 彼女の表情が開花したように明るくなる。米田さんは真意をくみ取ったのか、純真な目つきで頷いている。
「いいね、いいね。二人にも早く予定訊かなきゃ」
「でも、それじゃあずっとループすることになるんじゃ」
 嬉々として話を進めていく二人に待ったをかけた。

 それではまさに、お返しのお返しだ。ずっと巡って終わることがなくなってしまう。贈り物を渡したいだけで、見返りなど求めていない。
「そうかもしんないけど、うちらがもらったもんとおんなじくらいだ、って思ったものを渡すだけなら、よくね」
「うん、使い方違うけど『目には目を、歯には歯を』だよ」
 不意にでてきたハムラビが発布した法典の話に目が点になる。賛同していいのだろうか。

 正しい返答を探しておろおろとしていると、教室の扉がひきつった音を立てて開いた。
 他のクラスメイト達が教室に戻ってくる。廊下からの空気が一気に流れ込むのを感じた。寂々としていた教室は活気を取り戻していく。
「とりま、この話は保留で」
 先ほどの話がまとまったかのようにからっとした声色で木梨さんが言う。

「二人にも声かけてからだね。まだ二人にはプレゼント渡してないんだっけ」
「え、あ、うん。お昼に渡すのがいいと思ったんだけど、タイミングが悪かったみたい」
 戻ってきた生徒の中に桜谷さんたちの姿はない。二人に渡そうとしていたものがものだけに、お昼の間に渡しておきたかった。この様子だと昼休み中に話せるかも分からない。

「にしても、おそいな。二人」
 教室前方にかけられた時計は十二時五十分を差している。五分前行動の精神をもつ桜谷さんたちは戻ってきていていい時間だ。時計はチクタクと時を刻んでいる。

 これからどうするべきだろう。冬休みのお出かけには賛成だ。けれど、二人が渡そうとしているものを受け取っていいのだろうか。床を踏む足音たちに、早く答えをと迫られる。
 頭の中をこねくり回しても答えは生まれない。
 降参するように空を見上げると、さきほどと変わらず雲がのんびりと空を泳いでいた。



 ほこりっぽい昇降口に下駄箱の扉を閉める音が反響する。人影のない中、耳の奥へと入り込む重い音に息を吐いた。靴下越しに伝わるすのこはひんやりとしている。
 片手に持っていた靴を地面に落として履き替る。かかとがひっかからないように整えると、もう一度下駄箱へ目を向けた。

 扉付きの下駄箱では誰が在校していて、下校しているのか分からない。どの下駄箱の扉も固く閉ざされている。桜谷さんと麻田さんが使用している棚を眺めて項垂れた。
 結局、午後も声をかけられず、二人はホームルームが終わった後、せっせと教室を出て行ってしまった。

 昇降口の引き戸を腕に力をいれて開ける。日によって重さが変わる扉は、がらがらと音を立てて開いた。
 一歩外へ出ると、土埃のにおいから秋の物寂しさと温かさを感じる匂いへと変わる。肺いっぱいにその空気を吸い込んだ。

 日が短くなり空はすでに橙色に染まり始め、雲は薄紫色を帯びている。青色が雲の中で散乱し、夕焼けの色と混ざった空は妖しくも秀麗だ。
 明日、もう一度お返しを準備して持ってくることは可能だ。けれど、何か策はないだろうか。

「あ、渡したいものについて連絡すれば――知らないんだった」
 思いついた案が一瞬にして崩れ去っていき、力が抜ける。高校に進学してから誰かと連絡先を交換した記憶がない。
 一匹のからすが翼を広げて、阻害するもののいない空を自由に飛んでいく。

 私の後に校舎内から出てくる生徒はいない。周りには誰もいない。自分の周辺にだけ、なにか結界でも張られて切り離されているようだった。吹き抜ける風の音が強調され、耳に残る。足元の陰に恐ろしい存在がいるようで飛び退いた。
 どうしようもなく、桜谷さんたちの顔が見たい。その場で屈み、リュックサックをぎゅっと抱きしめた。



 雲が頭上を泳いでいくよりも早く、時が過ぎていく。その間にも何人もの生徒が横を通り過ぎていった。
「花ヶ前さん」
 雲の形にみたらし団子を思い浮かべていると、後ろから声が飛んできた。馴染み深い声に振り返ると、黒いジャージをきた桜谷さんが駆けて向かってくる。

 彼女の頬は熱を帯びている。走り込みでもしていたのだろうか。
 演劇部は外から見た場合、文系に分類されるが実際は体育会系だ。走り込みや筋トレといった体力づくり、舞台で作る小道具制作。体力が必要とされることが多い。去年のクラス演劇で裏方を担当したときは、求められる体力を前にしてへたり込んだ。

「もしかしてずっとここにいたの。冷えたんじゃ」
 断る間もなく、ジャージの上着を肩にかけられる。瞬間、首元からふわっと柔軟剤の香りが広がった。
「大丈夫だよ。ありがとう」
 身体を動かして暑いとはいえ、季秋の夕方、それも汗をかいた体では冷えてしまう。慌てて上着を返そうとした。

「でも、誰か待ってたんでしょう」
 桜谷さんは手で制すると私の首元を隠すように上着をかけなおした。口を開くも、心痛が滲む彼女の表情に断ろうとしたのをやめた。
 それに賛同するかのように突風が吹く。ぶるりと体を震わせた。

「うん、桜谷さんたちのこと待ってたんだ」
 傍らに置いていたリュックサックを、桜谷さんとの間に移動させる。指で布地を撫でると冷えていた。
「待ってたって、えっと、どうして、何か約束してたのに忘れてるのかな」
 珍しくしどろもどろ、狼狽うろたえている彼女にぽかんと口を開けた。

 大きな瞳が揺れている。いつもの聞き取りやすいよう、はきはきとした喋り方から独り言のような早口になる。普段の凛とした様子からは考えられない、あどけない年相応な姿。
 微風そよかせが二人の間に吹く。困惑顔の桜谷さんがもつ、鴉の羽に似た髪が揺れた。凶暴な鴉ではなく、道すがらに出会えば声をかけたくなるような鴉の羽の色。

「なにも、何も忘れてないよ。渡したいものがあるって伝えたかっただけなんだ」
 肩の力が抜けていく。
「修学旅行のお土産をみんなにもらったから、そのお返しを渡したいんだ」
 リュックサックを開けても心臓の鼓動は平静のままだった。中から小さな保冷バックを取り出す。

「いいのに」
「私が返したかったんだ、もらったものには足りないけれど、それでもどうにか形にしたくて」
 保冷剤の冷気でひんやりとしている保冷バックから保存容器を出す。蓋を開けると果物の匂いが香った。

「これをお昼に渡そうと思ってたんだ」
 切り分けたオレンジといちごは、朝と変わらず瑞々しいままだ。
「――いま食べてもいいかな」
 果物をじっと見つめた桜谷さんがそうこぼす。

「え、でも、用意してから時間が経ってるよ」
「保冷剤をちゃんと使ってるから大丈夫だよ」
「それでも食べない方がいいよ」
 保存容器を彼女から遠ざけた。
 自分が食べるならまだしも、誰かに、しかもお返しとして渡そうとしていた人に食べてもらえるものではない。涼しい季節になったけれど、食あたりを気にしなくていいわけでもない。保存容器を見せたのは、渡すものについて話したかっただけだ。
「胃は丈夫なの。だから、お願い」

 食い下がる彼女に頭が空っぽになる。脳裏に断る言葉がぼんやりと浮かぶも、泡のように弾けて消えていく。
「花ヶ前さんからのお返し、いま食べたいな」
 詰められる距離に、ぱっと言葉を口にした。
「なら、待って。私が先に食べて確認するから」
 前のめりになってそう答える。彼女がここまでこの果物にこだわる理由は見当もつかない。けれど、納得してもらわなければならなかった。

「その前に移動しようか、遮るものがないから風が直接当たるよ」
 先ほどの熱量が嘘のように凪いだ顔で桜谷さんが体を引いて、校舎の方を指差す。
「う、うん」
 頭から血が引いていく。らしくもなく、やけになってしまった。今度は頬へ血が集まった。
「どうかしたの」
 顔を覗き込まれる。そっと体を逸らして、言葉を返した。桜谷さんの顔をみていられなくて足早に移動する。きょろきょろと風のあたらない場所を探した。

 振り返って上を見ると、校舎の渡り廊下に張られた窓が光を反射している。廊下内は暗くて様子が見えない。
 そのまま地平へ視線を移すと、校舎に囲まれた中庭がある。場所によってはビル風が吹くが、そこさえ避ければ陽も当たって比較的寒くないはずだ。

「中庭に移動しよう」
 同意した桜谷さんがついてくる。いつもなら前にいる存在が後ろにいることで背筋が伸びた。誰かに先導される彼女の姿は、なぜだか違和感を覚える。教師の指示には従い、反抗的などではない。しゃしゃり出ているなんてことでもない。目に焼き付いているのは、後輩から慕われている、頼ってしまう後ろ姿だった。

 先ほどの行動の理由もよく分かっていない。それだけ桜谷さんについて、知らないことがあるということなんだろう。
 彼女について知らなかったからこそ、お返しが果物になってしまったのだから。贈り物の候補としてあがったのはスポーツドリンクとお菓子だけだった。

 無二の親友同士だとしても、相手について知らないことがあるのは当然だ。けれど、知らないことがありすぎるのも回避すべきだろう。
 無言のまま敷地内を奥へと進んでいくと、中庭へ降りる外構階段に腰を落ち着けた。

「味が変だと思ったら、この果物は食べないでね。桜谷さんの都合のいいときにまた、持ってくるから」
 北極の野生動物たちを模したお弁当ピックをオレンジに刺した。ぷつりと肉厚な果肉同士のつながりを絶つ。ピックを刺したところから果汁が流れ出し、オレンジの肌に雫が伝う。落っことさないよう、慎重に口へ運んだ。

 歯を入れた果肉は、コンフェッティバルーンがはじけたときのように口の中に果汁をまいた。ほろほろと崩れた粒は、一粒の中に果汁をふんだんに抱えていた。鼻腔びくうを抜ける香りがオレンジへと変わっていく。噛むごとに甘味と苦味が舌へと伝わった。
 オレンジを飲み下す。味におかしなところはない。

「どうだった」
 桜谷さんがじっとこちらの様子を窺う。口をもごもごと動かした。
「花ヶ前さんも食べたから、いいってことで」
 保冷バック内にあるピックの入ったパッケージから、あまり見かけないユキウサギのピックを取り出す。
「うん、美味しいよ」
 止める間もなくピックを刺して食べてしまった。

「あ、まだなんとも言ってないのに」
「ふふっ」
 頬が膨らんだ状態で笑みをこぼす。愉快そうな彼女は、太陽へ目を向けた。釈然としないものの、彼女の表情にほだされて私も空を仰ぎ見た。
 暮れなずむ空には一番星が独りぼっちで輝いている。その光は弱く、誰かを待っているようだ。

「イチゴももらうね」
 空に心を奪われていると、小ぶりなイチゴも食べられてしまった。
「まだ確認してないのに」
 聡明な顔は幼い笑みを浮かべている。ちょっとした悪戯が成功したような喜悦きえつの表情。彼女のこんな幼い顔、同じ演劇部の部員たちも知らないのではないだろうか。

 桜谷さんたちについて知っていくたびに、浮かれては悶々とする。過ぎ去ってしまった時間に後悔しても意味はない。どれだけのもしもを重ねても、過去が変わることはない。過ぎていく時間に喪失を覚えるほどに、知っていくことへの喜びが増した。
 空から顔を逸らすようにイチゴを頬張った。

 イチゴもオレンジ同様、新鮮なままだった。甘さだけが口に広がり、甘味が心を満たしていく。隣へ顔を向けると、蓮の花のような笑顔を向けられた。笑みで返すも、どこかぎこちなくなってしまった。
「ありがとう、花ヶ前さん」
「う、うん。どういたしまして」

 本当にこのお返しでよかったのだろうか。彼女に渡すものは最後まで決まらなかった。桜谷さんは聞き役に回ることが多く、木梨さんたちのように会話からお返しの候補を見つけられなかった。あれこれ思案した結果、以前彼女が食べていたものになった。

 ちょっとしたプライドで、「欲しいものはありますか」と率直に聞き出したくなかったからだ。木梨さんたちとは違い、去年から彼女のことを知っているのにもかかわらず一番知らないのは彼女についてだった。
 辺りに漂う果実の香りは弱弱しく風に吹かれて消えてしまいそうだ。



「あれ、二人ともなにしてんの」
 バッと勢いよく後ろへ体を向ける。リュックサックを肩にかけた木梨さんが、腰に手を当てて立っていた。
「木梨さんこそ」
 声をかけると木梨さんの後ろで人影が動く。見知った二つの陰に息をついた。木梨さんが私と桜谷さんとの間にしゃがむ。

「運よく会えたから一緒に帰ろうって」
 ざっと砂利を靴の裏で転がす音を立てて、米田さんは桜谷さんの隣に座った。それに従うように麻田さんは私の隣に腰を下ろす。
「麻田さんに渡したいものがあって」
 これ幸いとリュックサックからお菓子の缶を取り出した。小さな両手ほどのサイズの缶には子熊たちがお茶会をしている絵が描かれている。

 麻田さんは紅茶について明るい。持参しているコップタイプのステンレスボトルに自分でブレンドした紅茶を入れているそうだ。紙コップに入れて飲ませてもらったことがあるが、芳醇な香りと飲みやすさに茶葉について訊いたほどだった。

「もしかして、木梨さんたちが教えてくれたお返しのことかな」
 垂れ下がったウサギの耳のようなおさげを揺らす。木梨さんへ目を移すと、したり顔でサムズアップしている。渡す機会にずっと恵まれなかったことを知っていたようだ。

 麻田さんの丸みを帯びた手の上にクッキー缶を置いた。開けてと目配せすると、個包装された三種類のクッキーが顔を出した。缶の中には仕切りができていて、その中に五枚ずつクッキーが入っている。
「よかったら一緒に食べよう」

 アイスボックスクッキーを手に取ると、皆に見えるように麻田さんが中央へクッキー缶を差し出す。感謝の言葉を口にして、それぞれが好きなクッキーをもっていく。渡した本人なのに食べていいのか訊くと、もちろんと返された。
 私が絞り出しクッキーを選ぶと、麻田さんは顔をほころばせた。

「んじゃ、いただきます」
 ジャムサンドクッキーを選んだ木梨さんがそう言うと、一様に食べ始めた。
 クッキーを口に入れた瞬間、ふわっと香ばしい匂いが漂う。
「ん、美味しい」
 同じクッキーを選んだ米田さんがそうこぼす。頷いて返すと、麻田さんに「どこで買ったの」と問われて購入した店舗を教えた。

「ありがとう」
 麻田さんは先ほどと変わらずにこやかに笑う。「どういたしまして」と返すと、今度、買いに行ってみると言った。気に入ってもらえた様子に胸を撫でおろした。
「こっちも一緒に食べよう」
 桜谷さんが保存容器の縁を叩くと、ピックの袋を掲げた。

「いいよね」
「うん、桜谷さんがいいのなら」
 それぞれにピックが回ると、みるみるうちに果物が減っていく。
 肉厚な果物だっただけに重さのあった保存容器は、随分と軽くなってしまった。
「うまかった、あんがとね」
 木梨さんのにかっとした笑みにつられて、辺りの空気が明るく色鮮やかなものへと変わる。オレンジ一色だった閑寂かんじゃくな空間が、極彩色に彩られていくようだった。空になった保存容器と同様に心も軽くなった。

「あ、あの」
 容器に蓋をして保冷バックに戻す。それをきっかけにもじもじとしていた麻田さんが声を張った。
「れ、連絡先交換しませんか」

 一瞬の静寂が場を支配した。麻田さんのそわそわとした様子が悪化していく。
 微風が吹くと、木梨さんが私を挟んで麻田さんにぐいっと近づいた。
「めっちゃいいじゃん、交換しよしよ」
 はしゃいだ声に押されてスマートフォンを取り出した。
「あ、えっと、麻田さんお願いします」

 流されるままに交換していく。この中で誰とも連絡先を交換していなかった私は、どんどん名前の増えていくアドレス帳を呆然と見つめた。登録していた連絡先が少ないため、軽くスワイプするだけで五人の名前が確認できた。

「おっし、これで全員の連絡先もらったな」
 スマートフォンを胸に当てて、ギュッと手で握りしめる。
「これからはいつでも連絡を取れるから、今回みたいなときも気軽に連絡してね」
 桜谷さんの言葉にジャージを借りっぱなしだったのを思い出す。謝罪と共に返すと、「全然寒くなんてなかったよ」とジャージを羽織った。

「ふふっ、あったかいよ」
 着直したジャージの襟をきゅっと口元に寄せると、そう笑みをこぼす。それに笑みをもって返した。
 地面に伸びた影が色濃くなっていく。そのうち夜の色と同化して、影だということも気にならないだろう。




「あ、日和ひより先生だ」
 アドレス帳をじっと見つめていると、米田さんがこちらを向いてそう言った。視線の方向を勢いよく見ると、手ぶらの先生が歩いていた。足取りは軽く、少し弾んでいるようにみえる。先生の居る空間だけ切り取られたようだ。自動的に先生の後ろ姿を目が追っていく。フォーカスが絞られて、先生の周りがぼやけていった。

「花ヶ前さん、どうしたの」
 リュックサックを引っ掴む。急がないと声をかける絶好のチャンスを逃してしまう。
 明日じゃだめだ。今、渡したい。このあったかい気持ちを抱えたまま。
「みんな今日はありがとう」
 また明日と叫んで、先生の後を追う。誰かの問い声を振り切って、先生を追った。



 靴が地面をこする音がする。木の葉が揺れる音しかしない空間では、余計に音が強調された。
 普段のゆっくりとした足取りとは異なり、今日の先生はなぜか歩くのが早い。校舎へ入る前に先生を捕まえたくて地面を力強く蹴った。なかなか縮まらない距離にもどかしさを感じる。もう一息いれて、走る速度を上げた。

 先生の背中が徐々に大きくなっていく。足音に気づいたのか足を止めて振り返ろうとする姿に、声を張り上げた。
「日和先生」
 先生が動きを止めた。
「花ヶ前さん」

 目を瞬いている先生の前に立ち止まる。一気に押し寄せてくる息苦しさに、手を膝に当てた。
「ど、どうされました」
 ほんの少ししか走っていないのに、息が上がる。心拍数も段違いに跳ね上がっていた。

「わ、渡したいものがあります」
 なんとか呼吸を整えて、顔を上げる。先生はいまだ困惑顔のままだ。
 脈打つごとに熱が込み上げてくる。
「しおりをもらったお礼に、これを」

 慌ててリュックサックからOPP袋を取り出す。
「そんな、いいのに」
 気が急くあまりに取り出したものを取り落としかける。あっと声を出すも、落ちる前に先生が掬うように拾ってくれた。
「これは、ポインセチアのしおりですね」
 黄色いポインセチアの押し花で作ったしおりに、先生がしみじみと口を開く。
「はい。これならお渡ししても、迷惑にならないかなって」

 お返しが一番に決まったのは先生だった。これしかないと、他の候補を考える間もなくイエロールクスの押し葉を作り始めた。汚してしまったしおりに見守られながら。

 汚れてしまったしおりは落としたその日のうちに綺麗にしようと試みたが、最終的に漂白しなければいけないという答えにたどり着いた。変色する可能性があるため、そこで汚れを落とすのを諦めた。捨てる気なんてさらさら起きなくて、今では写真立てに入れて飾っている。

「丁寧に作ってくださったんですね。ありがとうございます」
 いつの日にか見たバレッタへ向けるような表情に息を呑む。先生の指先がしおりを撫でるたびに内から歓喜の熱が込み上げた。

 しおりからぱっと顔を上げた先生が、何かを思い出したような表情をした。
「花ヶ前さんもみましたか。正門近くの花壇に咲いたミリオンスター」
 桜谷さんたちを待っていた時、健気に咲いているのを見た。一つ一つの花弁が、夕焼けに負けない色彩を放っていたのを覚えている。

「はい。どれも見事に花を咲かせていましたね」
 先生がここからは見えない正門の方へと振り向く。自然とバレッタがこちらをみつめる形になる。
 精巧なデザインのバレッタは鮮やかな黄色を強く発している。数十年にわたって愛用されてきたと思えないほどに状態がいい。透かし彫りされたカタバミのような花弁は気丈に上を向いている。

「とっても綺麗です」
 暮れてきた空はオレンジ色を連れ去って、紺色を迎え入れ始めた。
 ほくほくとした気持ちに、温かさを感じているといくつもの足音が後ろから近付いてくる。大きな声も一緒に聞こえてきた。

「せんせーと花ヶ前さん」
 木梨さんたちが、それぞれの荷物を持って立ち止まった。
「渡せたんだね」
 米田さんが人懐っこい笑みでそう話す。
「え、うん。でも、なんでそれを」
 呆然としていると、木梨さんに背中を軽い力で叩かれた。

「あのとき一緒に教室いたし、そんで一緒に帰ったじゃん。だから、お土産もらってたの知ってたし、お返しはみんなに渡すって言ってたから」
 自分のことのように表情を崩す彼女に、面映ゆくなる。みんなの視線から逃れるように頭を下げると、みんなの影が混じって大きな一塊の影ができていた。ゆらゆらと個々の意思によって動く影は恐ろしいおばけではなく、愉快なキャラクターのようだった。

「んでさ、またみんなで帰ろうよ」
 木梨さんが軽く跳ねてそう提案する。ちらと横目で先生の顔を窺うと、穏やかな面持ちだった。
「桜谷さんもいいの」
 桜谷さんはジャージから制服に着替えていた。部活動中だったのではないだろうか。
 ぽつんと座り込んでいる私に、部活動を中断してまで声をかけてくれたのだろうか。だとしたら、時間を奪ってしまったのではないか。降って湧いた考えに体が震えた。

「うん、部活のあとに体力づくりのために走っていただけなんだ。だから、今から帰っても大丈夫だよ」
 無理をしていない顔に、ほっと息を吐く。
「だから、急いで着替えさせたんだ」
 晴れやかな表情の木梨さんがそう話すと、「更衣室に行くぞって急に腕を引っ張られてびっくりしたんだからね」と桜谷さんが詰め寄った。

「いいじゃんか、みんなで帰れんだし」
 木梨さんは腕をぶんぶん振ってそう言い返す。
「確かに、そうだね」
 桜谷さんは納得した様子で体を戻した。それに安堵したように木梨さんが私と麻田さんの背中を押す。背中に添えられた手の感触はブレザー越しでもしっかりと伝わった。

「ほらほら、いこ」
 間延びした声で先生への挨拶がされる。その流れでみんなも先生へ会釈したりと、各々挨拶をしていった。
 ぐいぐい押されて前へ進んでいく。手から逃れようと思えば逃れられるのに、そんな気にはならなかった。
 私が動くたびに発する足音が、みんなの足音に混じる。

「お気を付けて。また明日」
 手を振る先生が遠ざかっていく。進む足は止めず、後ろをみて手を振り返した。
「せ、先生、また明日」
 揺れた声に届くか不安になると、先生がより大きく手を振った。それだけでのぼせあがるようだった。

 四人がいて、先生がいる。それだけでこれほどまでに心が浮き立つ。来年のことを想像しても悲観的な考えは浮かんでこなかった。
 桜谷さんたちと連れ立って正門へと歩く。三者三様の歩き方なのに、気づくと同じ足並みになっている。静穏な空気をまとって門近くの花壇に着いた。先生の言葉を思い返して、すれ違いざまにオレンジ色のミリオンスターを眺めた。

 小さな星々のような花弁は目いっぱい伸びをするように開いている。どれもが上を向いていて、一つ一つが彼女たちの姿と重なった。
 植物に囲まれて生活してほしいという校長先生の意向通り、学校の敷地内では数多くの植物が呼吸している。学校という集団組織のなか、それぞれの持つ個性のように多種多様な花々が極彩色を纏って健気に咲いていた。

「だいぶ暗くなったね」
 麻田さんの声に全員が立ち止まり、空を仰ぎ見た。晩方の空には星々がきらめいている。
 辺りは水を打ったようだ。その静寂が、より星の輝きを強めているようだった。心細さは感じず、心は火が灯ったように温かい。
 ぽつんと小さな光を放っていた一番星は頼もしい星たちに囲まれていた。
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みんなの感想(2件)

透羽 ありす

日和先生に必死な花ヶ前さんも可愛いし、途中から意識し始める先生も可愛くて、今日一日で全て読み進めました!

解除
透羽 ありす

日和先生に必死な花ヶ前さんも可愛いし、途中から意識し始める先生も可愛くて、今日一日で全て読み進めてしまいました!

解除

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