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第7章
眠れない夜
しおりを挟む三年の春。
選抜に届かなかった蒼陵は、
区切りとして「部屋割り変更」が行われた。
俺と同室だった同期は、
レギュラー落ちを機に引退した。
その空いた部屋に、誰が来るか──。
青
(二年が上がってくるか、
マネージャー兼務の誰かか……。)
(まぁあと一年で卒業だし、
誰が来ようが変わらないか‥‥。)
* * *
寮管理の先生が名簿を読み上げる。
先生
「303号室、佐伯君。新しく入るのは……
2年岡谷蒼太君だね。」
青
「…………は?」
岡谷
「……よろしくお願いします。先輩‥‥」
控えめに笑う岡谷。
その距離の近さに、
俺は一瞬だけ息を飲んだ。
青
(なんで……よりによって岡谷なんだよ!)
* * *
荷物を持って部屋に入ると、
岡谷はベッドに荷物を置き
ながら周りをきょろきょろしている。
岡谷
「ここって、
元の先輩は、
どっちのベッド使ってたんですか?」
青
「俺は……こっち。そっちが空いてる。」
岡谷
「じゃあ借りますね。
布団、あとで干そっかな。」
無邪気なのに、礼儀正しい。
その態度が、俺には妙に胸に刺さる。
青
(近づかれると……
なんか、落ち着かないんだけど‥)
岡谷は部屋の隅に置いてある
俺の野球ノートに気づく。
岡谷
「あ、すごい……毎日つけてるんですか?
キャッチングの角度とか、
ピッチャーごとの癖まで書いてるんですね」
青
「見るなよ……!」
思わず声が荒くなる。
岡谷がビクッとして、少し距離を取った。
岡谷
「す、すみません……でも、すごいです。
こんなにやってるの、知らなかったから。
僕のことこんなにいっぱい
書いてくれてたなんて‥嬉しいです」
青
「……別に、他にやる事がねぇから……
書くしかなかっただけだろ。」
岡谷はその言葉に息をのむ。
俺は顔を上げられなかった。
胸の奥がドクン、と跳ねる。
青
(なんでそんなこと言うんだよ……。
期待する……だろ)
* * *
夜10時、寮は消灯。
部屋の電気が落ち、
窓からの街灯の薄い光が
差し込むだけの空間になる。
布団に入ったものの、
俺はまったく眠れなかった。
青
(なんか……息がしづれぇ……。
岡谷が隣にいるだけで
こんな落ち着かねぇとか……
どういうことだよ)
ベッドがギシ、と揺れた。
岡谷
「……先輩、起きてます?」
青
「……起きてるけど」
すぐ答えてしまう自分に、少し腹が立つ。
岡谷
「……さっき、ノートのこと、
怒らせちゃいましたよね」
青
「怒ってねぇよ。
ただ……見られるの、
なんか嫌だっただけだ」
岡谷
「……なんでですか?」
青
「……俺が頑張ってるのなんて、
見せるようなもんじゃねぇだろ」
その言葉に、
岡谷はすごく優しい声で返した。
岡谷
「……先輩が頑張ってるの、
僕……嬉しいですよ」
岡谷
「……僕は、頼られてもいいんですよ?」
青
「……っ」
息が止まった。
岡谷
「先輩、
ずっとひとりで抱えてるじゃないですか。
ノートもそうだし、
練習終わったあとも、
ひとりでキャッチングの形
ずっとやってるし……」
青
「見てんじゃねぇよ……」
岡谷
「見ますよ。気になりますから。」
“気になる”って言い方が、自然すぎる。
胸の奥が、少しだけ痛くなる。
青
「……なんで、お前はそんなこと言うんだよ。」
岡谷
「なんでって……」
岡谷は言いかけて、言葉を飲んだ。
布団の中で
握りしめた拳の音が聞こえる気がした。
岡谷
「……先輩のこと、放っておけないからです。」
その声は、震えていた。
俺は答えられない。
答えたら、何かが変わる気がしたから。
でも沈黙が、逆に岡谷を追い詰める。
青
「……迷惑でした?」
青
「……ちげぇよ。」
驚いたように、岡谷の布団がわずかに動く。
青
(ちげぇけど……
ちげぇけどさ。
そんな優しいこと言われたら……
俺、期待するだろ)
暗闇の中、岡谷は小さく笑った。
岡谷
「……あの、本当に、
先輩と同室になれてよかったです」
青
「……そんなに俺と一緒がいいのか?」
岡谷
「……はい」
一瞬の迷いもなく答えて、
岡谷自身がハッとしたように
口を押さえる。
岡谷
「……あ、いや、その……
練習の相談とかもしやすいかなって……
そういう意味で……」
明らかに誤魔化している。
暗闇でもわかるくらい、声が震えている。
青
(……なんでそんなに俺を特別扱いすんだ。
意味わかんねぇよ……。)
でも、どこか嬉しい気持ちがある。
俺は枕に顔を埋めた。
(言えねぇよ‥‥、
そんなこと直接言われて
嬉しくなってるなんて、
絶対言えねぇ‥‥)
でも。
胸の奥が、じんわり熱くなる。
近すぎる距離で、
聞きたくなかったくらいに優しい声。
・
・
・
・
今日はもう眠れそうにない
翌朝
寮の食堂は、
いつものようにザワザワと騒がしい。
味噌汁の湯気、焼き魚の匂い、
部員たちの笑い声。
青
(クソ……
なんで昨日ほとんど寝れなかったんだよ……。
岡谷が……あんなこと言うから……。)
席につくと、
岡谷が当たり前のように隣に座った。
岡谷
「……おはようございます、……先輩」
青
「……おう」
なんとか普通に返したつもりだったが、
声が少し上ずった。
岡谷は、
いつもより落ち着きなく
箸を動かしている。
岡谷
「味噌汁……薄いですね」
青
「え、そうか……?」
岡谷
「えっ、違いました? あ、すみません……」
俺
(なに謝ってんだよ……
昨日の続きみたいで変な感じだろ……。)
そこへ、同期組がやってくる。
3年同期A
「お、なんでお前ら隣り合ってんの?」
3年同期B
「部屋割り変わったからっしょ。
佐伯、誰と同室になった?」
青
「……岡谷」
3年同期C
「へぇー、2年と同室になるのって珍しくね?
やっぱり、バッテリー優先なんかね?」
3年同期E
「バッテリーは夫婦っていうしな!」
青
「――っ!!」
思わず、
口に含んでいた味噌汁を吹き出した。
「ゲホッ、ゴホッ……!」
岡谷
「せ、先輩!? 大丈夫ですか!」
慌てて立ち上がる岡谷。
ポケットからハンカチを取り出し、
俺の前に差し出してくる。
岡谷
「ほら……口、拭いてください。
火傷とかしてませんか?」
青
「い、いいから! 」
顔が熱い。
絶対、真っ赤になってる。
3年同期C
「さっそく見せつけてくれるねぇ」
3年同期E
「はいはい、ごちそうさまでーす」
周囲からクスクス笑いが起こる
* * *
食堂を出るとき。
岡谷
「……先輩。
今日、ブルペン……一緒に入りますよね?」
青
「ああ……いつも通りだろ」
岡谷
「……よかった」
ほんの小さな言葉なのに、胸に刺さる。
青
(なんだよ……それ。
そんな顔で言うなよ……。)
昨日より距離は縮まったはずなのに、
昨日より気まずくて、
昨日より胸が落ち着かない朝だった。
その夜
夕飯後、夜練習を終えて部屋に戻る。
スパイクを脱ぐ音、タオルを投げる音。
それだけで、部屋がやけに狭く感じた。
青
(前はさ……練習終われば、
顔合わせることなんて
ほとんどなかったのに。
同室になると……
こんなにも距離、近いのかよ)
しばし、沈黙。
落ち着かない。
時計の秒針の音まで気になる。
青
「あ……ちょっと早いけど、
風呂行こうかな?」
岡谷
「あ、じゃあ……僕も行きます」
青
「……え?」
岡谷
「え、ダメですか?」
青
「そんなこと言ってねーし。
……好きなときに行けばいいだろ」
岡谷
「じゃあ……今、行きます」
青
(それを“当然”みたいな顔で言うな!)
脱衣室
青
(今まで、
風呂一緒になることなんて
ほとんどなかったのに……
部屋が一緒だと、こうなるのか‥‥)
落ち着かない。
岡谷は、
いつも通りの動きで服を脱いでいく。
無駄がなくて、
静かで……なのに、やけに目に入る。
青
(……色っぽい、なんて言葉、
今まで
こいつに使ったことなかったのに‥‥)
俺の視線が泳ぐ。
岡谷
「……先輩、調子悪いんですか?」
青
「いや、別に」
岡谷
「早く入らないと、あと詰まりますよ」
青
「……ああ」
意を決して、俺も服を脱いだ。
浴場
ピーク時間。
人も湯気も、今日はやけに多い。
青
(助かった……。
これなら、あまり見えなくて済む)
岡谷
「この時間、混むんですね」
青
「ああ……」
岡谷
「あ、こっち、二つしか空いてないですよ」
並ぶ位置が、近い。
岡谷が体を洗い始める。
その動きが、やけに目に入る。
俺は目を閉じて、無心で体を洗った。
青
(……頼むから、平常心‥‥)
そして、湯船に浸かる。
青
(――あ。)
すでに、角石と高橋が入っていた。
高橋
「あ、佐伯。岡谷も。お疲れさま」
角石
「……」
あれ以来、
角石とはほとんど言葉を交わしていない。
それに気づいて、俺も自然に黙る。
高橋
「風呂で会うの、珍しいね」
岡谷
「はい。
先輩たちは……
いつも一緒に入ってるんですか?」
高橋
「まぁ、同室だからね。流れで」
岡谷
「……そうなんですね」
一拍置いて。
岡谷
「僕たちも、そうです」
高橋
「え? ……あ、部屋割り変わったんだ?」
高橋の視線が、さりげなく俺に向く。
高橋
「……」
そのとき。
3年同期
「うわ、わるい!」
ぶつかられ、よろける。
その勢いで――
俺は、岡谷にぶつかった。
体が、密着する。
一瞬。
ほんの一瞬なのに、呼吸が止まる。
青
「あーー……!!
もう出る!!」
湯をはねさせて、立ち上がる。
岡谷
「え? どうしたんですか、先輩。
水、飲みました?」
青
「……っ、いいから!」
高橋
「……佐伯」
少し笑って、納得したように。
高橋
「なるほどね」
何かを察した声。
角石は、何も言わずに、俺を見る。
その視線が、やけに痛かった。
俺は湯気の向こうから逃げるように、
足早に浴場を後にした。
* * *
俺は足早に部屋へ戻った。
扉を閉めるなり、タオルを適当に放り投げ、
そのままベッドに倒れ込む。
青
(ああ……なんだよ、さっきの感触……。
俺、
思いっきり岡谷に抱きついたな……!?)
湯気の中で触れた、肩の感触。
背中の硬さ。
一瞬だけ感じた体温。
青
(……やめろ。思い出すな……)
顔を枕に押し付ける。
――ガチャ。
ドアが開く音。
岡谷
「……先輩?」
部屋に入ってくる気配。
岡谷
「大丈夫ですか?
なんか……今日は変ですよ」
青
「……平気だ」
岡谷
「まさか、熱とか……」
近づいてくる気配。
おでこに手が伸びてくるのがわかる。
青
「……大丈夫だから」
とっさに、岡谷の手を押さえる。
岡谷
「……そうですか」
一瞬だけ、言葉に間があった。
岡谷
「もし、調子悪かったら……
ちゃんと言ってくださいね」
俺は何も返さず、
そのまま枕に顔をうずめる。
昨日からほとんど寝ていなかったせいか、
意識は思ったより早く落ちていった。
青
「……すー……すー……」
しばらくして。
岡谷
「……先輩?」
返事はない。
岡谷
「……寝ました?」
そっと、ベッドの横に立つ。
岡谷
「……先輩?」
顔を覗き込む。
岡谷
「……起きないんだ」
さらに、少しだけ顔を近づける。
岡谷
「……こんなに近づいても、
起きないんですね」
青の寝顔。
規則正しい寝息。
岡谷
「……先輩、まつ毛……長いな」
小さく息を吐く。
岡谷
「ずるいよ……。
こんなの、完全に不意打ちじゃん」
湯船での感触が、ふっと蘇る。
腕に触れた体。
一瞬、密着した距離。
岡谷
「……あんなふうに抱きついてきてさ‥‥」
無意識に、自分の胸に手を当てる。
岡谷
「……どうしよう」
小さく、誰にも聞こえない声で。
岡谷
「今日は……たぶん、眠れそうにない」
電気を落とし、
青の寝顔にもう一度だけ視線を向けてから、
自分のベッドに戻る。
静かに、夜は更けていった。
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