崩れた白き盤面

歩夢

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一日目

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 バザールには幾つもの白い光が、布の合間から木漏れ日のように差し込んでいた。私はいつものように、その眩しさを疎ましく思いながら、片手を顔の前に立てて、人混みを避けながら王宮へと戻っていた。後ろからゼニファーの追い縋るような必死の声が聞こえてくる。

「ちょっと、お待ちくださいまし、お嬢様! お嬢様!」

 私は少しばかり行った先にある小さな広場の前でゼニファーを待ち、片手が火傷するような感触を覚えながら、ただ彼女のことを待った。

 彼女は息を弾ませながら、ようやっと抜け出せたと言わんばかりに、膝をついていた。私の顔を上目遣いに見据えてきた後、徐に近づいて来、私の両肩を再び掴んだ。

 私は息の荒いゼニファーの澄んだ美しい翠玉の瞳を見つめていた。

「お嬢様、あなたは本当に、王女としての自覚が足りません」

 ゼニファーは人混みが苦手だった。彼女は人を物として認識して避ける感覚が欠如していて、その為町への付き添いには不向きだったのだが、メイド長としての矜持もあるのだろう、いつも私に付いてくるのは彼女だった。

「分かってるよ、ゼニファー」

 そう言いながら彼女の手を払う。

「以後、気を付ける」

 何度そう言っただろう。ゼニファーは払われた手を少しばかり見つめた後、私の顔を見つめ、それから私は振り
返り、再び王宮へと繋がる道をゆっくりと歩き始めた。後ろからゼニファーが付いてくることを知りながら。

 ゼニファーと初めて会ったのは、私が三歳前後の頃のことだ。

 まだ物心というものを会得する前の私は、ただの人の形に似た芋虫と言った風情で、意識を持った私にも、外の世界は同様に曖昧なものに感じられた。ゼニファーはその中では、異質に感じられる程、際立った個性を備えた人物だった。芋虫に似た私は、当時の母の懐の中で、彼女の醸し出す紫色の美しいオーラを感じ取っていた。

 その当時の最初の印象について、彼女に面と向かって言うことはついぞなかった。私は、ただ彼女にーーただ彼女にーーただ、私が当時見て来たものの中で、あなたが一番美しく見えた、とだけ、伝えられてさえいればそれで良かったのだ。

 ゼニファーは私の専属の執事だった。女執事はカナンの王宮では珍しいものではなく、他の王女達の御付きにも女性が登用されていたことは後から知った。思っていたよりも多く、驚いたことを今でもよく覚えている。

 ゼニファーは本当によく出来た執事だった。私がやることなすこと、全てを先回りして、私が驚かない日はなかった。ただ人混みを歩く時を除いて。私が必要なこと、例えばジャガコンガとか、礼儀作法であるとか、他の王女候補への振る舞い方であるとか、男女の駆け引きであるとか、最新の民の噂する王女間の序列番付であるとかーー私は数え切れない程の知識や教育を、この一見か弱そうに映る女性から教えられてきたのだった。

 私達は王宮へと差し掛かる大きな本道に足を踏み入れかけていた。私は立ち止まり、彼女のことを待った。

 やがて、重たそうな服の裾を掴んで必死に駆けてくる彼女の姿が見えた。

 少し待ってから、私は言った。

「ゼニファー」

 息を弾ませながら彼女は答えて言った。

「何でしょう、お嬢様」

 私は少しばかり間を置いた、彼女が息を整える間を作りたかったというのもあるが、床に、王宮の手前にそんなことがある筈がないのに、小さな沢蟹が歩いていたのだ。私はその沢蟹を見つめながら言った。

「私を、エクスの塔に連れていってくれて、ありがとう。ジャガコンガがあんなにも面白い競技だとは、私は知らずに死ぬところだった。本当にありがとう」

 仮にも王女候補たる人間が、街の最下層に位置する地下街で、いわくしかないエクスの塔で賭け事に興じているなどと国王が知ったら、どう思うだろうか? いいや、何事も思うまい。私はただの数合わせ、数ある王女の中の九番目に過ぎないのだ。血統も取り立ててて言うべきところもない、ただの、殆ど庶民に近い身分の女性がたまたま孕んだ、その程度の話で生まれ出てきた少女なのだ。誰が本気で王女候補などと思うだろうか? この私の目の前にいる、紫色の女性を除いては。

「お嬢様」

「何、ゼニファー」

 彼女はまだ、息を弾ませていた。

「私は今、憤っております」

「何に」私は言う。

「私があなたを、街に招いたことをです」

 私は笑った。その言葉を聞いて。彼女を唆して街に出させ、エクスの塔まで連れて来させ、挙句話の流れでジャガコンガの賭け事にまで参加させたのは、誰であろう私なのだ。少しも彼女の責任ではないのに、今、彼女は私のせいで、彼女自身も賭け事の対象にされ、私の腕如何では、彼女の今後の将来も危ういものとなる。

 私は軽く、王宮へと繋がる本堂へと、その、カナンの清浄なる白き光を纏てーー彼女に向かって言うのだった。全てを招いた、当の本人が。

「ありがとう、ゼニファー。そして、ごめんよ」

 ゼニファーの服の裾を掴む手が、キュッと締まるのを、私は見た気がした。いいや、私は見たのだ。見たのに、見ないふりをしたのだ。


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