Citrus 柑橘探偵

みのり

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2幕 時の廃れた研究室

6話 煙の中の憧憬

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 俺は冷めきった紅茶を一口分だけ残し、タバコに火を焚きつけた。目は充血、しきりに瞼が震え、今にも寝てしまいそうだった俺は苦肉の策として、まどろみの中で一服しようと考えたのだった。実際に吸うことはなく、灰皿の上にタバコを置いてその立ち上る煙を眺め始めた。

 書類に目を通していた間にいったい何度瞬きをしたのだろう。名探偵の活躍を密かに羨み、もしかしたら彼ほどの集中力が俺にも備わっているかもしれない、と淡い期待を抱いてしまった。結果的に全体に目を通すことはできたものの、局所的に理解の追いつかず、彼の足元にも及ばなかった。そんな不甲斐なさがタバコを吹かす喜びへと駆り立てようとした。
  灰皿から頼りなく昇天していく煙が渦を巻いて喫煙始めたてのことを映し出す。

 二十歳に成り立ての警察学校時代、俺の二十歳の誕生日会で普段が厳しい教官が珍しく酔っていた。俺にとって第二の父親、一緒に酒を酌み交わしたのは実の父親より早い共感だった。初めて酒を飲んだ俺はその酒の苦くまずいことに驚いて、気持ちが萎えてしまい自分の誕生日を楽しめずにいた。

 教官は部屋の隅で他の生徒に迷惑をかけないようにタバコを吸っていた。身を縮めてタバコを吹かす教官の姿が情けなく見えてしまった、と同時にタバコの匂いが桜のようで落ち
着くことを思い出し、教官に近づいた。
「教官。俺も一本吸ってみたいです」

 大人として社会的に認められてまだ数分足らずの小童であったから非行に走るようで、そのはっきりとした一言は喉を焼き切る思いで発せられたのだった。教官はしばらく俺を見つめた後、無言で差し出した。不格好に口に加えて差し伸べられるがままにライターの先を炙った。

 実際にタバコにありつけたものの、右も左もわからず息を止め、教官のタバコを燻らせる所作だけを見た。そうしていると、無意識のうちにタバコを吸ってしまい盛大に噎せてしまった。想像していた桜の風味なんか一切しない、ただ気道を塞ぐ異物が体を一瞬にして支配しただけ。

「苦しいが楽しいと分かったらまた受け取りに来い。そしていつか、一緒に一服しよう。少なくとも私はそうするのが夢だ」
 涙目で教官に視線を向けると、そう言ってケタケタと笑った。

 それから俺がタバコを吸えるようになるまでの6年間、居酒屋で飲むことが多かった。6年目、二課に昇格した俺は報告とともに吸えるようになったばかりのタバコを片手に先輩の自宅を訪れたが、そのとき教官は首をつって彼岸へ言ってしまっていた。部屋には中身の空いた酒瓶が何本も転がって、灰皿から溢れた吸い殻が机を焦がしてさえいた。もともと独り身だった教官は警察学校の教官をやめ交番駐在に転身したあと、業務をこなすことができずに酒ばかりを呷っていたという。
 
 悲しみのあまり涙さえも流せず教官の遺体の前で正座した俺は、机の下に丸まった紙と未開封のタバコが一つ置いてあることに気がついた。シワを丹念に伸ばした紙いっぱいには俺に対する言葉がびっしりと書き下されていた。今はもう内容を覚えていないが、読み終わったあと手紙をライターで燃やしてしまったほど、無性に腹が立ったのは覚えている。
 その日からの俺はタバコを吸う事によって先輩の吸うはずだったタバコを現在に継承させていくことで手紙を燃やしたことを謝罪しているきでいる。

 
 禁煙は自分から始めたわけじゃない。健康診断で肺炎や肺癌のリスクを強く指摘され仕方がなかった。実際、走ると息苦しく犯人とチェイスをする自身がない。
 少し前なら迷惑を被るのは俺だけだった。
 今は奈津子の育成をして名探偵日向柚葉のサポートをしなくてはならない、そんな思いが俺を禁煙へと働きかけた。
「年をとって弱くなったな」
 
 彼らを裏切った気がして、俺はタバコをくしゃくしゃに押しつぶした。残りの紅茶を一息に飲み込んで、書類をもう一度手に取った。そして今度は、彼らを十二分にバックアップできるように大きな背中を見せてやろう、と息を巻いた。
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